第31話 豚肉の林檎酒煮込み


 月日は飛ぶように過ぎていった。


 山を鮮やかに埋め尽くした秋が、少しずつ葉を落としながら去りはじめる。

 

 日ごとに寒さの募る季節の、夕闇の迫る頃あいだった。

 ルカは厨房の一角で、先日の秋祭りで手に入れた林檎酒アプフェルワインのボトルと向き合っていた。


 祭りの屋台で初めて林檎酒を飲んだあの日、料理にも使えそうだと思ったし、アレクシアにも「いいな。よろしく頼む」と言われた。


 あの「頼む」が忘れられない。

 多分アレクシアにそんな深い意図はなく、話の流れで言った何気ない「頼む」なのだろうが、ルカとしてはどんな小さな約束だろうと、彼女とかわした言葉は何が何でも守りたい所存である。

 

 なので、実際にやってみるべく、夕食後の空いた厨房を借りて、実際に試作することにした。


「よし、いい感じ」


 一昨日のうちに、糸を巻いた豚肉の塊に塩をもみ込み、ハーブの葉を乗せて冷暗所に寝かせておいた。


 昨日は肉をいったん取り出し、出た水気を丁寧に切っておいた。そこに林檎酒を注ぎ、漬け込むことさらに一日。


 今日はついに調理である。再び林檎酒のボトルを開栓すると、甘くて爽やかな林檎の匂いがふわっと立ちのぼった。


「……」


 林檎酒の香りにつられて思い出すのは、アレクシアと行った祭りの風景だった。


 にぎやかな街並みに、色とりどりの飾りつけ。たくさんの屋台が並び、村人たちが楽しそうにいこっていた。夜空には花火が打ちあがり、野山には古語で奏でられる歌曲リートがこだましていた。


 おとぎ話のようにきらめく光景が、忘れたくない大切な記憶となって、ルカの心の中でわだかまっている。


「…………」


 満ち足りた思い出を反芻するたびに、どうしても感じてしまう悩みがあった。

 感じずにはいられない、壁があった。

 

 過ごした時間が楽しければ楽しいほど、アレクシアともっと一緒にいたい、と願ってしまう。


 ずっとそばにいたい。もっと近くにいたい。彼女の声が聞こえる場所で、呼吸が感じられる距離で、手を伸ばせば届く距離で、あの輝く姿を見ていたい。


 そう切望するのと同じくらい、それが分不相応な願いだという自覚もあった。


 ルカは「末端令息」だ。

 貴族の中でもっとも家格の低い男爵家の、立場の弱い私生児。


 ギリギリで貴族ではあるのだが、本当にギリギリすぎる。貴族と名乗るのも気が引けるし、労働にも慣れ親しみ過ぎて、己が令息だという自覚すら薄い。


 それでももっと高い地位が欲しいと願ったことなどなかった。──アレクシアに恋をするまでは。


(……足りない……)


 彼女への想いを自覚すればするほど、自分の不足を思い知る。


 生まれた家が、親が、血筋がもっと高貴であったならと願わずにはいられない。

 それはもはや渇望と呼んでいいほどの苦悩となって、ルカを内側から締めつけた。

 

 恋した人を、望むことは許されない。

 そのことが、とてつもなく苦しかった。


「はぁ……」


 悩みながらも、ルカの手は休むことなく、てきぱきと動く。


 焼き目をつけた肉を塩や胡椒、ディルやクローブと一緒に鍋に沈めた。上から林檎酒をひたひたに注いで、火を点けたかまどに鍋を置く。


 肉を煮込んでいる間にソースを作る。メインは同じく林檎だ。すりおろした林檎に数種類のハーブ類を混ぜて、油を加えながらなめらかになるまですりつぶす。ペースト状になったら、茹でた卵の卵黄だけをつぶしてさらによく混ぜる。


「わぁ~! いい匂いですねぇ」


 塊肉がじっくりと時間をかけて煮込まれた頃。

 匂いにつられてやってきた主厨長のハンスは、にこにこと調理台をのぞきこんだ。


 色白でふくよかなわがままボディの持ち主ハンスは、いつ会っても癒し系である。鍋をのぞきこみながら早くもよだれが出そうになっているハンスを見ていると、もやもやした気持ちが薄れていくのをルカは感じた。


「ハンスさん、味見してくれる?」

「はい喜んで!」


 ルカは肉を鍋から取り出した。食べやすい厚さにひと切れ切って、器に盛る。別の小皿にソースを添えて、お好みでどうぞ、とハンスにさし出した。


 ハンスはできたての煮豚に息を吹きかけながら口に入れ、もぐもぐと咀嚼する。嚥下した喉が、ゴクリ、と鳴った。


「うっ……」

 

 しばし、沈黙が流れる。

 

「ハンスさん?」

「うまい!」


 力強く言いながら、ハンスはもちもちの両頬を押さえた。落ちそうになったらしい。


「ルカ様、これすっごく美味しいです!!」

 

 先に塩をして寝かせておいたことで、余計な水分が抜けて、肉の身が引き締まっている。その水分を丁寧に拭き取っているおかげで、旨みがぎゅっと濃縮されて、林檎の芳醇な味わいと溶け合っている。ただの塩漬け肉とは段違いの美味しさだった。


「あ~! このままでも充分美味しいけど、ソースとも合いますね~!」

「良かった。ありがとう!」

「絶対にみんなも好きだと思いますよ。今度、大量に作りましょう。お手伝いします!」

「はい、ぜひ」


 肉を煮込むのに使った林檎酒は、かさは減ったがまだ鍋に半分ほど残っている。肉の出汁だしが溶け込んでいるだろうから、捨てるのはもったいない。


 これは明日、スープに使いまわそう……などと考えながら、ルカは手際よく料理に使った器具をてきぱき片付けていった。

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