第30話 歌の山
アレクシアは導火線の切れた花火の残骸を拾い上げて、ルカに微笑みかけた。
「ルカ、ありがとう。よく口頭の説明だけで対応できたな」
「説明が良かったからです」
褒められて、ルカは心のしっぽを激しく振った。
「あなたの言葉は一言一句もらさず聞いていたからです」と言いそうになったが、変態みたいで気持ち悪いので、要約して「説明が良かったからです」と言っておいた。
せっかくほのぼのと楽しんでいた祭りの日だったが、隣国から来た二人のコソ泥を捕縛したこときっかけに、浮かれていることはできなくなった。
アレクシアとルカは村に置かれた自警団の駐屯地に合流し、たった今拘束したばかりの男たちについて報告をし、そのままなりゆきで自警団の仕事に加わることになった。
地元民と観光客でごった返すにぎやかな祭りの影では、大なり小なりトラブルが多発していた。
さすがに花火を持ち出して犯罪に利用しようとするほど大それた不届き者はいなかったが、街行く人々を狙ったスリや置き引きのたぐいや、出店の商品を通りすがりにくすねようする窃盗犯はたびたび出没する。
若い少女が上空に打ちあがる花火に見とれていた時。
突然、闇の中から伸びる手があった。
脂ぎった手が少女の口をふさぎ、力ずくで暗がりの中に引きずりこみ、茂った藪の中に押し倒して襲いかかる。
「ぐあああぁ!」
汚い悲鳴をあげたのは、暴行に及ぼうとした中年の男の方だった。逆に地面にうつ伏せに倒され、アレクシアに腕を捩じあげられる。
身動きが取れないまま、焦った男はもごもごと言い訳を連ねた。
「ち、違うんだ。わざとじゃない! じ、持病が急に悪化して……ふらついて触れてしまっただけで……」
「話はあちらで聞こうか」
アレクシアが示した先では、筋肉を擬人化したようなマッチョな騎士が投げキッスをしていた。
見苦しい悲鳴をあげる男の襟首を、アレクシアは片手でつかんで軽々と持ち上げる。
放り投げられた中年の男は、そのままきれいな放物線を描いて、騎士の腕の中に落ちていった。
「さすがです……」
ルカはうっとりと言った。
アレクシアの腕っぷしの強さを目の当たりにするたびに、ますます惚れ直してしまう。
圧倒的な腕力。犯人を確保する瞬発力。騎士たちを束ねる統率力。
全部好きしかなくて、いっそう彼女に魅せられてしまう。
(あぁぁ……格好いいぃ……!)
そんなルカが肩車しているのは、四歳くらいの男の子。先ほど保護したばかりの迷子である。
親とはぐれて泣いているところを見つけたのだが、騎士が身柄を預かろうとしたらおびえられ、手がつけられないほど号泣されたので、ルカが預かることにした。ルカにはなついてくれたので、肩に乗せて呼びかけながら親を探して歩いているところだ。
人出が多くなるほど、迷子も頻出する。今日出会った迷子はこの子で五人目だ。
ちなみにこの子の前に保護した女の子はルカになつきすぎて、親が無事に見つかってからもしがみついて離れようとしなかった。
「すみません。この子の親御さんはいらっしゃいませんかー?」
周囲に呼びかけながら大通りを一巡したところで、若い夫婦が男の子の名前を呼びながら駆け寄ってきた。
簡単に聞き取りをし、間違いなく実の両親のようなので男の子を引き渡す。
若い夫婦からは泣いて感謝されたし、男の子も純粋なまなざしで「おにいちゃんありがとう」と言ってくれたので、心がぽかぽか温かくなる。
ほわほわした気持ちのまま、自警団の駐屯地に戻ると、祭りもようやく大詰めを迎え、騎士たちも一安心した表情を浮かべているところだった。
騎士から報告を受けていたアレクシアが、振り返ってルカをねぎらう。
「ルカは初めての祭りなのに、楽しむどころではなくなってしまったな。休日に働かせてすまなかった」
「いえ、楽しかったです」
ルカは笑顔で答えた。
本当は「あなたと同じ空気を吸えるだけで楽しかったです」と言いたいところだったが、変態みたいで気持ち悪いので、理性で前半を削って「楽しかったです」だけにしておいた。
「ありがとう。おかげで祭りも無事に終わりそうだ」
──ありがとう、ともう一度くりかえすアレクシアの声が、ルカの胸にあたたかく沁みていく。
この人が奏でるだけで、ありふれた言葉がどうしてこんなにも綺麗に聴こえるのだろう。
どんな苦労も疲れも、全部が報われて、浄化されていくみたいだった。
「アレクシア様……」
胸が高鳴って、心臓が熱くなる。
こみあげる想いに突き動かされて、ルカが一歩近付いた時だった。
アレクシアが上げた顔を、ぱっと輝かせた。
「始まるぞ」
「え? 何が?」
ルカはきょろきょろとあたりを見回してから、そっと耳に手を当てた。
「……不思議な歌……」
色鮮やかな花火が打ちあがって、夜空を飾る。
光の乱舞に重なって聞こえてくるのは、歌だった。
広場や街道の至るところから、同じ旋律が流れてくる。異口同音で歌う声が、輪唱のように追いかけあいながら響いてくる。最初に街に入った時に耳にしたのと同じ歌だ。
独特の節に、聞き慣れない抑揚。
歌詞はどこか遠い国の言葉のようで理解できなかったが、なぜか心に残るメロディーだった。
「聞いたことのない曲ですが、とても美しくて……心が温まるような歌ですね」
「そうだろう。これがこの地の語源だ」
「語源?」
「ああ。リートベルクの地名の由来を知っているか?」
「ええと……ベルクが山ということはわかりますが……」
「そうだ。ベルクとは山を意味する。王都から遠い山沿いの地方は、ベルクの名を冠することがめずらしくない」
「山」を表すBergはペルレス王国において辺境地帯を治める貴族の姓にしばしば用いられる。
一方で、国の中枢に近い所領を有する上位貴族はBurg──ブルクの付く姓が多い。
ブルクとは「城」という意味だ。貴族の中で最も位の高い公爵の家は、ほとんどがブルクを戴く姓を名乗ってきた。
たとえば現在の筆頭公爵家として
このペルレス王国を預かる王家の姓も「ペルレブルク」
ブルクはまさに、国の中枢を統べる家にふさわしい氏姓なのだ。
音にすればわずかな違いではあるが、意味するところの差は大きい。
ごく単純に分類するならば、ブルクは首都で権勢を誇る中央貴族。ベルクは地方に本拠地を置く田舎貴族。
そのため、ブルクの名を持つ公爵家の中には、ベルクの名を持つ下位貴族を見下し「山ふぜいが」と蔑む者も存在する。
アレクシアは気取りなく笑った。
「気にならないな。私は山を表すベルクの名が好きだから」
「僕も好きです……」
アレクシアの笑顔に見とれながら、ルカもうなずいた。
悠然とそびえる山嶺のはざまに、秋の日が落ちていこうとしている。巨大な峡谷が、燃えるような茜色に染まっていく。その壮大な景色の中を、村人たちの謡う歌が朗々と流れていった。
「リートとは歌という意味だ。先住民たちが口承で伝えてきた古い
この地に古くから暮らしていた先人たちの王国は、すでにない。彼らの言葉は古語となり、血はペルレス王国の民と混ざり合った。
歴史の
「……
「良い歌で、良い名だろう」
「はい!」
誇らしげに言われて、ルカは大きくうなずいた。
空には満ちた月、野には燃える
いにしえの言葉で綴られた歌が、秋の風と渾然一体となってあたりを包んでいく。
旋律のこだまする山波は、胸を打つほどに美しかった。
黄金色に熟した葡萄の葉が、秋風に吹かれてひらひらと舞い落ちる。
山は来たるべき冬を待って、眠りにつこうとしていた。
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