第4話 第二王子の叱責


 白柱に支えられたエントランスの奥から、規則的な靴音が高く響く。


 左右対称に飾られた巨大な花瓶の脇を通り過ぎて、涼やかな長身の影がホールへと伸びた。

 

「──何の騒ぎだ?」


 そう厳しい口調で尋ねたのは、水もしたたるような美青年だった。


 冷涼な碧眼に、すらりと筋の通った高い鼻梁。目が覚めるほど端正な容姿と、白を基調とした礼服にきらめく勲章の数々。


 ルカが速やかに礼を取ると、周囲もあわてて後に続いた。


「第二王子殿下……」


 美貌の顔立ちに険のある表情を浮かべて歩み寄ってきたのは、現国王の次男だった。


 リュディガー・フランツ・ペルレブルク。

 王国の第二王子であり、王太子の異母弟でもある、眉目秀麗な青年だ。


「国家の祝祭の場で、婚約破棄の発表とはな……」


 リュディガーは広い会場を一瞥いちべつすると、長い指でこめかみを押さえながら言った。


「王家主催のパーティーを、自分たちのための晴れ舞台か何かだと勘違いしているのか?」


 本日の宴は年に一度、夏至の到来に合わせ、建国を記念して王家が開催するもの。会場も宮殿の大広間である。


 クレーフェ家もしくはヴァルテン家の主催するパーティーが会場ならばともかく、王宮を舞台にして私的な婚約破棄を大々的に発表し、個人を弾劾して盛り上がるなど、場をわきまえない僭越な行動とそしられても仕方がない。


「婚約を結ぶにしろ破棄するにしろ、そんなことは両家の間で内々に行えばよいことだろう。わざわざ衆人環視の中、注目を集めて悦に入るとは理解しかねる」


 リュディガーの鋭い眼光が剣高になじり、浮ついた空気を一瞬にして鎮める。


 魂までも凍らせるようなまなざしは次の瞬間、マティアスへと向けられた。

  

「どうやら君が首謀者のようだが。マティアス・アウグスト・ヴァルテン」

「し、首謀者など、そのような……まるで罪人のような……」

「正式な認可も得ることなく、王宮で騒ぎを起こす者が、罪人と何が違う?」


 リュディガーは有無を言わせずに問い詰めた。美形が不機嫌をあらわにすると、美しさに凄みが増す。


「誰の許しがあって、場で私的な婚約発表などに及んだ? 申し開きがあるなら聞いてもいいが」


 マティアスも、つい先ほどまで物見高くはしゃいでいた貴族たちも、何も言おうとはしなかった。冷や汗のつたう顔を伏せたまま、気まずそうに黙りこくっている。

 

「クレーフェ伯爵令嬢。あなたからの弁明でもかまわないが」


 水を向けられたナターリアは、おどおどと震えながらマティアスの背後に隠れた。


「わた……私は何も……。お、お許しください、殿下……」

 

 マティアスは彼女を守るどころか、完全に委縮して後ずさるばかりだ。


 真実の愛を誓ったばかりの恋人たちは、お互いを盾にしながら見苦しく答えに窮していた。


「──第二王子殿下」


 腰の引けた弟とおびえる元婚約者にかわって、前に進み出たのはルカだった。

 

 ルカは何も知らなかった──というか、事前に知らされていたなら全力で止めた。

 婚約破棄はしてもいいから自宅でしろ、身の程もわきまえず王宮で発表など絶対にするな──と釘を刺したことだろう。


 だが、派手な婚約発表はすでに起こってしまった。


 そして不本意とはいえ、ルカは一応はこの婚約破棄の当事者だ。


 このまま我関せずというわけにはいかないし、沈黙や無視を決め込んでいるのも寝覚めが悪い。


「すべて殿下のおっしゃる通りです。申し訳ございません」

「ルカ・ヴァルテン。私は君を責めているわけではない。それとも弟の不手際について弁解があるのか?」


 ルカは振ったかぶりを、丁重に下げた。


「いいえ。弁解などできるはずもありません。殿下がご不快に思われるのはごもっともです。国家の祝祭を汚すような騒ぎを起こしたこと、深くお詫び申し上げます」


 ──ですが、とルカは顔を上げて、リュディガーの整った顔立ちを真正面から見つめた。


「僕にとっては醜聞ですが、本人たちにとっては新たなる婚約の成立。今日のところは慶事に免じて、どうかお目こぼしいただけないでしょうか」

「慶事ゆえ容赦せよ、か」

「はい。誠に申し訳ございませんでした」


 リュディガーは彫像のように整った唇をつぐんだ。


 公衆の面前で婚約破棄されたばかりの「末端令息」が口にしたのは、自らの恥辱をすすぐための発言ではなかった。


 浮気した元婚約者と弟を罰してほしいと訴えることも、王子の叱責に便乗して二人を懲らしめることも、彼はしようとしない。

 潔く謝罪だけを述べて、二人をかばおうと頭を下げている。


(自分を裏切った二人の婚約を……慶事と言うか……)


 リュディガーが端麗な口元を再び開いた時、もう糾弾の言葉が出てくることはなかった。


「ルカ・ヴァルテンの顔を立てて、今回だけは大目に見よう」


 そう短く告げて、鋭い切れ長の瞳でもう一度マティアスを冷たく見下ろす。


「だが、二度はない。覚えておくのだな」


 黙りこむ弟にかわってルカがはっきりと返答し、深く頭を下げた。

 

 立ち去っていくリュディガーの姿が、完全に見えなくなった直後。


 まるで止まっていた時計が再び動き出したかのように、マティアスとナターリアは強く抱き合った。


「ああ、マティアス! 私、怖かった……」

「大丈夫だよナターリア。君は僕が守るからね」


 いや。たった今、守れていなかったが。


 思わずそう言いたくなるが、二人はルカが王子に対応したことは一切見なかったふりをして、お互いを称え合っている。

 

 兄としては空しいが、本人たちがいいのならそれでいい。どうせ感謝を求めても侮辱が返ってくるだけと知っているので、放っておくことにした。


「あんな偉そうな言い方、あんまりだわ! リュディガー殿下は王子といったって、王位を継ぐことはない第二王子なのに!」

「まったくだ。王妃の子でもないくせに、居丈高に権力を振りかざして……酷いものだよ……」


 リュディガーの母は国王の寵妃だ。王妃ではない。


 しかしリュディガーはれっきとした国王の息子で、王位継承権も持つ王子である。伯爵令嬢や男爵令息とは比べ物にならないほど身分は高い。いくら腹立ちまぎれであっても、軽率に批判していい相手ではない。


「マティアス、口を慎め。殿下への誹謗と取られるぞ」


 ルカがいさめると、マティアスは大仰なため息を吐いた。


「兄上はやはり、正妻の子でない者の肩を持つのですね。同類相憐れんでいるつもりかもしれませんが、兄上に同情されるほど殿下も落ちぶれてはいませんよ」

「どうしてそうなる……。どこまで無礼を重ねる気だ……」


 話が通じない。

 頭痛がして、ルカもため息を重ねた。

 

 いちいちルカを貶める言葉を連ねるくらいなら、その前に、まずは王子からの糾弾という危機をしのいだことに一言くらいあってほしい。


 兄とはいえ「末端令息」に向けるような感謝など、マティアスは持ち合わせていないのだろう。慣れているとはいえ、正直うんざりする。

 

「……はぁ」


 ルカは張りつめていた緊張を解き、ようやく呼吸の仕方を思い出したかのように、高い天井を仰いで空気を吸った。


 とんでもなく疲れた時間だった。


 それなのに、厄日と言っていい一日はまだ終わらない。


 家に帰ってからのことを思うだけで、頭がひどく痛かった。

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