第3話 野蛮令嬢は噂される
公式のパーティーには身分の低い者から入場するという暗黙のルールがあるため、幸いなことに今この場にいるのは下級から中級の貴族のみだ。高位貴族や王族はまだ誰も隣席していない。
──王家の不興を買う前に、早くこの騒動を収めなくては。
「マティアス! 浮かれている場合じゃない。王族や高位貴族に見咎められる前に早くこの場を……」
ルカが咎めると、まだ有頂天で周囲に手を振っていたマティアスは、あからさまに不快そうな顔をした。
「何を言っているんです? 私の人気に嫉妬するのは見苦しいですよ、兄上」
「そういうことじゃない。ここをいったいどこだと──」
どれだけ非常識なことをしているのか、説明して撤収させようとしたルカの前に、愛らしくも無慈悲な視線が注いだ。ナターリアからだ。
「ルカ。私に振られたからって、マティアスを逆恨みするのはやめてちょうだい。卑しい血を引く人は、行動まであさましいのね」
マティアスは長めの前髪を
「ナターリア。兄上を許してやってくれ。本来ならば貴族として認められない、可哀相な人なんだ」
「マティアス、あなたは本当に優しいのね……」
ナターリアは恋に酔いしれた表情を浮かべた。甘い言葉をささやきながら、見せつけるようにマティアスといちゃいちゃべたべた絡み合っている。
「本当に美男美女だわ……」
「ええ、お似合いのお二人……」
「まさに理想のカップルですわね!」
すっかり場の主役をさらったマティアスとナターリアは、人々から喝采と賞賛を浴び続けていた。
二人はこの心地よい時間を手放すつもりはないようだ。むしろ少しでも長く浸っていたい様子で、ちやほやと褒めそやしてくれる周囲に機嫌よく愛想を振りまいている。
広々としたパーティーホールには、新たに婚約を誓った若い二人を祝福する声が、にぎやかに飛びかっていた。
この場にいる誰も、ルカのことを気遣ったりはしない。
かばってくれる者はおろか、哀れんでくれる者さえ一人もいない。
捨てられたのが男だから、というのも大きいのだろう。
もしも婚約破棄されたのが令嬢であれば、うら若い女性が気の毒に、と同情され、相手はいたいけな乙女を袖にする酷い男だ、と非難される。
だが男女が逆転すれば、振られた令息は嘲笑される。
──婚約者を奪われるなど馬鹿な男だ、と。魅力もなければ覇気もない、間抜けな負け犬なのだと見下される。
婚約破棄という事実は同じなのに、男女でこうも評価が変わるのは不公平ではないかと思うが、嘆いたところで仕方がない。
「マティアス様を虐げるだなんて、"末端令息"のくせに身の程を知らないこと」
「この期に及んでお二人を引き裂こうとしたって無駄だということが、まだわからないのかしら?」
女性たちは扇で隠した口元で、くすくすと笑いあっていた。あざ笑う言葉の中に、ちくちくと棘が見え隠れする。
「ルカ様と婚約したいという物好きなご令嬢は、もう社交界にはいないでしょうね」
「ええ。今日のこの宴には、名のある貴族はみな参列していますもの」
本日の宴は年に一度、夏至に寄せて開かれる盛大なもの。主催は王家であり、国内において爵位を有するすべての家が招待される。
特に未婚の若者にとっては、結婚相手を見定める貴重な機会でもあるため、ほとんどの家の令息令嬢が参加する。
つまり先ほどの婚約破棄の
「あら。お見えになっていない方もいましてよ。ほら、あの
「ああ、辺境の“野蛮令嬢”!」
王国の北方、隣国との国境付近には急峻な山岳地帯が広がっている。
その危地を代々預かるのは、リートベルク辺境伯。
現在の辺境伯には一人娘がおり、妙齢を迎えているはずだが、領地の遠さを理由に今日のパーティーにも参加を見合わせていた。
めったに社交界に姿を現さないその令嬢は、王都よりはるかに未開で無教養な僻地で育ったため、淑女らしい優雅さのかけらもない粗野で野卑な姫君だともっぱらの噂だった。
「リートベルクの令嬢は自ら馬を駆るばかりでなく、弓や剣まで好まれるとか」
「女性が乗馬や武術を? なんて野蛮なのかしら!」
美しく着飾った深窓の令嬢たちは、品位に欠ける「野蛮令嬢」の噂に眉をひそめた。
「そんなはしたない女では、殿方が誰も寄り付かないのも当然ですわね」
リートベルク家は建国以来の由緒ある家柄で、辺境伯令嬢は王家の外戚に連なる高貴な血筋でもあるのだが、不名誉な評判も手伝って、中央貴族たちからは遠巻きにされていた。
令嬢はすでに適齢期を過ぎているはずだが、婚約や結婚はおろか、浮いた話のひとつもあったことがない。
慎ましく淑やかであることが美徳とされる女性像とは真逆の、野卑で荒々しい「野蛮令嬢」
物見高いうわさ話と、まことしやかな流言が、宴の日を染めていく。
弟を虐げた卑劣な「末端令息」も、破天荒で型破りな「野蛮令嬢」も、声高に断罪するのに何の遠慮もいらない相手らしかった。
ルカはあきれて肩をすくめた。
(……品がないのはこの人たちの方だ……)
貴族たちはここにいるルカの陰口も堂々と叩くだけでなく、ここにはいない辺境伯令嬢のことも、風評だけで好き放題に貶めている。
品位に欠けるのはいったい、どちらなのだろうか。
(僕だけでも、ここを辞した方がいいだろうな……)
ルカがこの場から消えた方が、聴衆の興奮も早く冷めるはずだ。
そう判断してきびすを返したのだが、時はすでに遅かった。
残念ながら、そのまますんなりと出て行くことは叶わなかった。
恐れていた事態がすぐそこまで迫って、すでに充分みじめな目に遭ったルカにさらなる追い打ちをかけてきたのだ。
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