第8話 私の一番大切なもの、良一の場合

(私の一番大切なもの、良一の場合)


 僕の一番大切なもの。それは、あーちゃん、僕の母です。

 なぜあーちゃんと呼んでいたかと言えば、もちろん、父がそう呼んでいたからで……

 それに母の言っていたことを付け加えれば、僕が最初に口にした言葉が、あーちゃんだったそうです。

 真意はわかりませんが、でも母はそう呼んでくれたことが嬉しくて、それからも、

「あーちゃん、あーちゃんだよ」

とか言って、僕に言い聞かせるように話しかけていたそうです。


 他人から見れば、おかしな事かも知れませんが、僕からしてみれば「お母さん」と呼ぶ方が、あーちゃんが別人になってしまうような気がして、「お母さん」の意味を理解した今でも、それを直す気にはなれませんでした。


 自分にとって本当に大切なものを守るためだったら命なんかいらない。

 でもそう言ったら、あーちゃんは怒るでしょうね。


 でも僕の生き甲斐はあーちゃんに喜んでもらうことだった。

 あーちゃんの嬉しそうな顔。笑っている顔。


 僕はそれを見ていると何でもできる勇気が涌いてきた。


 あーちゃんがいなくなれば、僕は誰に喜んでもらえればいいんだ。

 誰に褒めてもらえればいいんだ。


 僕にとってそれが生き甲斐だったのに……

 生き甲斐。その反対は死に甲斐。


 僕はもう死んでしまっているのかも知れない。

 あーちゃん、僕はどうやって生きて行けばいいんだ。


 僕は蠍になれないよ。


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