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 「いいですか、落ち着いて話を聞いてください」


 入社して3ヶ月が経ち、社会の深淵を覗いてしまった新卒社員のような女が、疲れ切った笑顔を張り付けて話し始めた。


「その、貴方はもう元の世界、つまり日本の秋葉原という場所には戻れません。ほんと、巻き込んですみません。なので転移か転生を選んでもらって、私の管轄している異世界へと移動して頂きたく……」


 六男は椅子に座って腕を組み、ただ黙って話を聞いていた。

 

「えっと、もちろん、希望に近いチート能力もお渡しできます。皆さんに大絶賛と噂の転生でしたら、種族や家柄、性別も選べますし……」


 目を閉じたまま眉間に皺が寄り、あからさまに不機嫌そうな顔付きに変わっていく六男。

 そして呼応するように、彼女の表情もだんだんと青ざめ、わたわたと動揺しつつも早口で喋り続けた。


「……あれ? お気に召しませんか? さっきの方は『夢のチート異世界転生だヒャッホー!』とすごくお喜びになってましたけど。あ、でも、家族とか地位とか財産とか全部捨てなきゃいけないし、メリットばっかりじゃ……」


 その時、首を午後3時まで傾けていた六男がカッと目を開き、姿勢を正して勢い良く右手を上げた。

 女がさっとノートパソコンを盾のように身構え、張り詰めた緊張感が走る。


「テンイとかテンセイってなんのことだ? マカイか?」


 彼女はずるっと椅子から滑り落ちた。


「いや、オレの親友が言っていたような気もするんだが、なんせフライドポテト以外のことは覚えが悪くて……申し訳ないが子どもでも分かるように教えてくれ」


「……あの、年齢をうかがっても?」


「今年で25歳。部楽突ブラツクSGR株式会社の営業7年目、男田六男だ。気軽に六男と呼んでくれ」


 意表を突かれつつも「自己紹介ありがとうございます」と女は律儀に頭を下げ、「私は女神です」と名乗った。


「えっと、ロクオさんが過ごしていた日本の秋葉原という場所は、今現在サブカルチャー文化が発展していて、二十代ならその辺りの知識が常識化しているってマニュアルにはあったんですが……そりゃみんながみんなってワケじゃないですよね」


 メガミは溜め息をつきながら、テーブルの上のノートパソコンに手を置いた。


「転移は外見も記憶も今の貴方のまま異世界に移動して、転生は記憶を維持したまま異世界で生まれ変わります。なので見た目が変わることが多いです。記憶だけ憑依させるというパターンもありますが、色々と手続きがメンド……受精卵から再スタートが良いと思います」


「……うーん……メガミさんはどっちがオススメなんだ?」


「え? 手続きが簡単な……あ、いえ、転移の方がなんやかんやオススメです」


「ならテンイとやらにしてくれ」


「……あの、今の状況、理解してます?」


 恐る恐る彼女が問うと、六男は鷹揚に頷き、輝かしい笑顔を浮かべてガッツポーズをした。


「オレはイセカイという外国の企業にヘッドハンティングをされたんだろう? 両親兄弟はどこにいるか分からんし、じいちゃんは天国だし、カネも地位も何も無いから行ったきりでもオレは平気だ」


 六男は居住まいを直して、拳を腿の上に置き、ガバっと頭を下げた。


「英語も中国語もアメリカ語も喋れないし、営業成績もマイナスだったが、体力と尿酸値とフライドポテト愛だけは誰にも負けない! だから店員さん……じゃなくてメガミさん頼む! ちょうど転職先を探していたんだ。社長が愛人と夜逃げして倒産の危機で……」


「……私のこと、人事か面接官と思ってますね。女神って言っているのに……」


 彼女は肺の空気が丸ごと押し出されるような大きな溜め息を吐き、「まぁ、了承は得たからいいか」と半ば諦めた様子でノートパソコンを開いた。 


「『強制チェンジリング』手続き開始と……」


 ぶつぶつと呟きながら、メガミは見事なブラインドタッチでキーを叩いていく。顔を上げた六男は感嘆の声を漏らしつつ、ドキドキワクワクと無言で成り行きを見守っていた。


「……罰則期間は……うー、思ったより長いなぁ。配属されたばっかりだってのに……まぁ、堕天よりマシか……最後の項目は、と……」


 女がパッと顔を上げた。


「ロクオさん、どんなチート能力を考えてますか?」


「……チート? 鶏油チーユの仲間か?」


「他人より優れた能力、こんなことできたらいいなーっていうスキルのことです。体力や筋力、魔力が平均値を優位に越えていたり、動物や神獣、精霊の守護が得られたり、さっきの方は『元の世界の全ての知識や情報を頭の中で検索できるようにしてほしい』なんておっしゃってましたが」


「他人より優れ……こんなことあんなことそんなことができるスキル……つまり、願いごとか」


「まぁ、そんなところです、ハイ。遠慮なくパーッと言ってみてください。難しかったら難しいって言うんで」


 「流石外国企業、なんて最先端な面接なんだ」と六男は感動しつつ、空咳をして喉の調子を整える。

 そしてガバっと立ち上がり、我が生涯に一片の悔いも無さそうに右拳を天に掲げて、声高々に叫んだ。


「Lサイズフライドポテトを1日3食100年間食べ続けても、病気一つしない健康な身体をくれ!」

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