一人前のおんなのこ


【もうすぐ……もうすぐです……

 悪神さまが”扉”を見つけてくだされば、ついに……

 私の悲願は成就される……】


 魔王リリシアは、笑みを浮かべながらジェシカを眺めていた。

 ジェシカの胎内の胎児が、神の世界と現世を繋ぐ”扉”となり、

 魔王は、魔神の到来を待ち望んでいた。


 ザッ……


 そこへ、一つの人影が姿を現した。

 剣聖エリカ。

 マナ王国騎士団、剣聖一位、王国最強の剣士である。


【戻ってきたんですか、エリカ?

 マリリはどうしたんですか?】


 魔王ロゼリアは不思議そうに首を傾けた。


「あなたを倒すなんて、私一人で十分よ」


 剣聖エリカが淡々と答えた。


【へぇ、今度こそ内臓をぶちまけて、息の根を止めてあげましょうか?】


 魔王リリシアが余裕の笑みを浮かべる。


「やれるものならやってみなさいよっ!!」


 エリカも負けじと言い返す。

 そして、足元に転がっている"ウンコ仮面"を拾いあげると、それを自身の頭に被った。


「ウンコ仮面は、最後まで、諦めないヒーローなのよっ!」


 エリカは力強く叫ぶと、

 魔王リリシアに向かって、勢いよく、真っ直ぐに走り出した。

 剣聖の剣を構えて、最高速度で魔王に突進していく。


【何のつもりか知らないけれど、あと二人殺せばいいのでしょう?】


 魔王リリシアは、槍と杖をエリカに向けて、


 ボフゥゥゥ!!!


【……!!?】


 その瞬間、部屋が真っ白なきりに包まれた。


 ロゼリアは無数の手で槍を振り払い、きりをもと来たほうへ押し返す。

 しかし……

 ボボボボボ……

 きりは勢いよくリリシアへと襲いかかってきた。

 ただの水滴。

 魔王どころか赤子にも無害な水である。

 しかし魔王リリシアは必死に防御した。

 毒を混ぜられている可能性、途中から毒を混ぜてくる可能性があったからだ。

 いつの間にか、エリカの足音も消えていた。

 

【…………!?】


 迫りくる濃霧のせいで、魔王リリシアは、エリカの位置を見失っていた。

 濃霧を放出し続けているであろう、マリリの位置も特定できない……


 ――周囲一帯を吹き飛ばすか? 

 ――駄目だ、すぐ後ろにジェシカ居る以上、巻き込んでしまう可能性がある……


 魔王リリシアは考えを巡らせた。


 ――まぁいい。

 ――間違っても私より後ろには、霧も人も通さない。

 ――私はただ耐えればいい。

 ――悪神タナトスさまが、ジェシカの胎内の赤子を”扉”として、この世界に降臨なさるその瞬間まで!

 ――濃霧の魔法も、長くは持たないはずだ。

 ――耐久戦で……


 ダダダダダダダッ!!!


 その瞬間。

 飛びだした剣士。

 ウンコ仮面の剣士がひとり。

 部屋の右端から、一目散に、魔王の横を駆け抜けようと、

 ジェシカの方へ走り出した。


【遅いわ!】


 魔王リリシアは10数本の槍を、仮面の剣士に向けて放った。

 ガギギギギィ!!

 凄まじい金属音がなる……

 全方位からの槍攻撃……

 

 ……絡み合った槍のなかに、人影はなかった。

 そこにあったのは、粉々に砕け散った”剣聖の剣”……

 仮面の剣士は、後ろの飛び退いて尻もちをついていた。


 ――剣を捨てて逃げたか……まぁいい、殺そう。


 魔王は、剣を失ったウンコ仮面へと、複数の槍を突き刺した。

 突き刺そうとした。

 その瞬間……

 

「【雷・波サンダー・ブレイブ】!!」


 ウンコ仮面は、後ろに隠し持っていた杖を取り出し、早口で魔法を詠唱した。


【なっ!!?】


 驚きのあまり虚をつかれた魔王は、正面から雷を喰らった。

 ボロ、ボロ、と、魔法使いの被っていたウンコ仮面が、崩れ落ちていく。


(剣も仮面も、すべて泥細工よ!)


 マリリは心のなかでほくそ笑んだ。

 すべては魔王に、私をエリカだと勘違いさせるために……


(今よ、エリカ。ジェシカのところまで……!)


 マリリは祈りながら、雷魔法を食らわせ続けた。




 ダッ!! 


 本物の・・・エリカが走り出す。

 魔王の横を抜けて、ジェシカの元へ……


【行かせやしないわっ!!】


 ロゼリアが魔法弾を放つ。

 しかしエリカは素早くそれを躱し、魔王と・・・ジェシカの直線上・・・・・・・・へと割り入った。


【なっ……!?】


(魔王リリシアは、ジェシカを攻撃できない)


 ジェシカは、悪神を召喚する上で必要な存在。

 この角度で、もしも魔王がエリカに魔法弾を放てば、直線上のジェシカにも危害がおよんでしまうから。

 したがって魔王は、魔法弾を使えない。

 剣聖エリカは、槍の攻撃だけを注意していればいい。


 ――いける!


 エリカは走った。ジェシカの元へ。

 お腹の中から、凄まじいエネルギーを放つ彼女の元へ……


 そんな中で、

 エリカは、深刻に迷っていた。


―エリカ視点―


 どうすれば、ジェシカを止められるのだろうか?

 本当に殺すしか、方法はないの?


 ジェシカは静かに身体を動かしながら、ほとんど動いていない。

 お腹の赤ちゃんに、全エネルギーを集中させているのだろうか?

 そしてジェシカの体内には、レジェもいる。

 魔王リリシアの話を信じれば、レジェの【嫌われ】スキルで集めた【憎悪ヘイト】のエネルギーも、利用されているのだ。


 なんとか魔王を振り切った。

 ジェシカの元へとやってきた。

 でも、私には……

 ジェシカを斬るという決断を、ずっと躊躇していた。



【ジェシカっ! 命令ですっ!!

 剣聖エリカを殺しなさいっ!!】


 後ろから焦ったように、魔王が叫ぶ声がした。

 すると……


 ジェシカの身体が、動きだした。


「え……??」


 身体から伸びる、無数の触手……

 それは化け物そのもので……

 私の視界いっぱいに、黒い触手が降り注いできた。


 ジェシカ……


 私は剣を構える。


 手が震えて、心臓が暴れて、頭が真っ白になる。


 だめだ……ふせぎきれない……


 私は絶望した。

 また同じ感覚だ。


 魔王の娘、ジェシカ。

 今の彼女は、とてつもなく強い。

 下手したら、魔王以上に……


 勝てるイメージが湧かない。

 また同じ感覚だ。

 こんな攻撃、一瞬足りとも耐えられない……


 世界が、スローモーションへと変わった。

 世界から音が消えて、色が消えて……

 思考と絶望が加速していく。


 あぁ、これが私の最後か……


 死期を悟ったとき、私の手の震えはピタリと止んだ。

 怖いことは怖いけど、どこか温かくて、ほっとしている自分がいた。

 私の大親友、ジェシカ……

 あなたに殺されるなら……私は……

 

 私は、全身の力を抜いて、

 やすらかに、目をつむった。


 ……………………


 ………………


 ………


 グシャァァァァァァ!!!!


 肉が裂ける音がした。

 世界の終わりのような音がした。

 でも……


 ……………


 私は、


 ……まだ死んでいなかった……


「…………??」


 ゆっくりと、目を開けると、

 私のまわりは、ジェシカの触手に包まれていた。

 でも、ジェシカの触手は、私の身体を貫くことなく……

 私の身体を避けるように、私を通りすぎて、私の後ろへと向かっていた。


 え……?

 ジェシカ……?


 ギチギチギチィィ……


 私のすぐ後ろで、耳障りな金属音が鳴っていた。

 ふっと、後ろを振り返ると、

 私のすぐ後ろ、首元に、魔王の槍が迫ってきていた。

 それを食い止めていたのは、

 魔王の槍から、私の命を救ってくれたのは、

 他でもない、ジェシカの放った触手だった。




【……どうして? ……私に逆らうのですか? ジェシカ……?】


 魔王リリシアが、呆然とした声を漏らした。


【そもそも、逆らえるはずがないのです……

 そういう風に、遺伝子を仕込んだはず……】


 魔王リリシアが、言葉を続けていた。


【…………】


 ジェシカの触手が、ギリリと震えた。


【…………バカに……しないで……ください………】


 これは、ジェシカの声だ。

 間違いなく、ジェシカの言葉だった。


【……私は……お母さまの……道具じゃ……ありません……】


 ジェシカの触手は、震えていた。

 ジェシカは、泣いていた。


【……私の生き方は……私自身が……決めるんです……

 ………私…は……魔王の…娘……じゃ……ないっ……

 ……私は……王女……ジェシカですっ……】


 ギリリ……と、

 ”ジェシカの触手”と”魔王”の槍が押し合っている。


【なりませんジェシカ!

 母さまの命令は絶対です!

 剣聖エリカを殺すのです!!】


 魔王リリシアが叫んだ。

 ジェシカの身体が、壊れたように震えだす。


【……いや……ですっ……

 エリカは……私の……友だち…だからっ……

 私は……みんなと…一緒に……魔王を倒すんですっ……!】


【馬鹿な……】


 私は、”剣聖の剣”をこの手に握った。

 これは、絶好のチャンスなのだ。

 ジェシカが魔王を止めているうちに……


 

【……だから……エリカ……

 ……私の心臓を……刺してください……】


「………うん……」


【……私が……理性を……保てているうちに……】


「………うん……」


【……悪神が……この扉を……見つける……前に……】


「………うん……」


 分かってる。

 分かってた。

 こうなるんじゃないかって、思ってたんだ。


 震える両手で、強く握りしめた。

 乱れた呼吸を、無理やり吐いて。

 大きく吸って、大地を蹴った。


 私はいまから、ジェシカを斬る。


「うあぁああああああああぁああああぁぁっ!!!」


 スバァァァァァ!!


 心臓を、思い切りくり抜いた。

 ジェシカの肉は柔らかくて、簡単に斬れていった。

 紫色の血液が、目の前で爆ぜて、私の頬をあたためた。

 これは……ジェシカの体温……



(ねぇ……エリカ……)


 ジェシカの声がした。


(……私ね、ずっと、エリカやマリリに憧れてたの……)


 ジェシカが、私を抱きしめてくれている気がした。


(……二人みたいな、カッコいい女の子に、私もなりたかったの……)


 違う……私は……


(……ねぇ、エリカ……

 私……なれたかな……?

 エリカやマリリの隣に立てるくらい……

 一人前の女の子に……)


 私は、伝えなければいけない。

 優しくて健気で強い女の子、ジェシカに。


「あたりまえでしょっ!

 ジェシカは自分で思ってる以上に、凄い女の子なんだからっ!

 優しくて、勇気があって、なりたい自分を目指して変われる力があるの! 

 あなたは強くて立派で、素敵な女の子よ……」


 私は、彼女を抱きしめかえした。


(えへへ……死ぬほど嬉しいや……)


 彼女はくしゃくしゃの笑顔で泣いていていた。


「ジェシカ……おやすみ……」


 私は彼女に、最後の言葉を贈った。


 ……………


 ジェシカの身体が灰になって、夜の星空に溶けていく。

 消滅していくジェシカの身体のなかに、私たちの愛する旦那、レジェがいた。

 レジェは目をつむったまま、苦しそうな顔で気絶していた。


「……ジェシカ……うぅぅ……っっ……」


 後ろでマリリのすすり泣く声がした。

 私は、レジェのもとへと向かい。

 レジェの身体を抱き上げた。


「レジェ……?」


 胸に耳をあてる。

 大丈夫、息はある。


「レジェ……起き


「ジェシカ……」


 レジェは、悲しそうな顔で彼女の名をぼやいた。

 閉じた左の瞳から、一筋の涙を流しながら……


【あぁ……ジェシカ……なんという愚かなことを……

 私の……計画が……】


 魔王リリシアが、呆然とした様子で、消えゆくジェシカに近づいてきた。

 その瞳は絶望にそまり、まるで老婆のようにおぼつかない動きで、灰となっていくジェシカの影を追いかける。

 

 これで、計画は阻止できたのだろうか……?

 しかし、魔王はまだ生きている。

 いま魔王リリシアは放心状態のようだが、いつ何をし始めるか分からない。

 早く、魔王を殺さないと。

 ジェシカのためにも……


「ジェシカ……」


 彼女の名を呟きながら、涙を流すレジェの背中を、私は優しく叩いた。


「起きて、起きてレジェ……

 まだ……終わってないわ……」


 横目でマリリの方をみると、マリリは床に両手をついたまま、涙とともにうなだれていた。





 ゴォォォォォォォ!!!


 凄まじい音がした。

 私のすぐ近く。

 次の瞬間、私たちは吹き飛ばされて、床を転がった。


「……う……ぐ……ぁぁ……」


 レジェのうめき声がした。

 レジェが目を覚ましたのだ。

 いや、それよりも……

 ……アレは……何だ??


 それは、つい先程まで、ジェシカが居た場所だった。

 漆黒は黒より黒く、空間に、大気にヒビが入っていた。

 圧倒的な邪悪、恐怖、死の象徴……

 ……呼吸をすることもままならない。

 この世の恐怖の象徴。

 死神に値する存在……


「………悪神……タナトス……」


 ……ジェシカの体内の奥に見えた、底知れなく禍々しいなにか・・・……

 そいつ・・・が……来る……


【……間に合った……のですか……?

 タナトス様っ………

 天は……私に……味方したのですね……】


 魔王リリシアの声が、みるみるうちに生気を取り戻していった。


【あぁ……美しい死の化身……私の主……タナトスさま……

 私を……見つけて……くださったのですねぇ……】


 魔王リリシアは、恍惚した表情で天を仰いだ……


【あぁ、タナトス様……どうかこの私に、神なる力を授け給え!!】


 魔王リリシアが、邪悪な空間の歪みへと、手を伸ばした。

 闇と魔王が触れ合う。

 直後、闇が爆発した……


(……だめ……逃げないと……

 こんな化け物に……勝てるわけない……)

 

 私は、ただ呆然と恐怖し、ソレを眺めていた。


【あぁ……これが……これが神の力ですか……

 ……力が……どんどんと膨れて……高まっていきます……

 あぁ、悪神さま……

 こちらに……近づいてきているのですねぇ……!!】


 魔王リリシアは、悪神の力に触れて、さらにその闇を高めていく……

 私たちに……この測り知れないほど大きな悪意を、止めることなんてできるのだろうか?

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