臆病者と抱擁と


―ジェシカ視点―


 ……………

 ここは……どこだろう……

 私は、なにをして……?

 ……レジェ?


 横を振り向くと、そこにはレジェの寝顔があった。

 苦しそうに、汗を流して、乱れた呼吸で喘いでいた。


「レジェ…… 大丈夫……?」


 私はレジェに手を伸ばす……


「……悪い夢でも見ているの……?」


 レジェを安心させるように、ほっぺたにそっと手をあてがった。

 

 グシャッ……


 次の瞬間、レジェの頭が赤色に爆ぜた。

 これは……血……?

 なんで……?


「ぎゃぁあああああっ!!」


 レジェが獣のように泣きさけんだ。

 私は慌てて手をひっこめる……

 恐る恐る……自分の手のひらを覗き込むと……

 私の手は、魔族のようにドス黒く、生き物のようにぐにゃぐにゃと蠢いていた。

 その指先を、真っ赤な血で染めて。


 これは……私……??

 私がやったの??

 私が、レジェを、傷つけて……


【……”魔王の娘”ジェシカよ。

 あなたは選べれし存在です……】


 ぃやっ……母さまっ?


【……”勇者”レジェと性交し、子を孕み、

 この世界に”悪神タナトス”を招き入れる存在……】


 いやっ、そんなのっ……

 やめてお母さまっ……


【あなたは、人類を滅亡へと導き、

 この地に”神の世界”を顕在させる存在なのです……】


 いやだ……私はっ……

 

【さぁ、我が娘ジェシカよ……

 共に見届けましょう……旧世界の終焉と、新世界の幕開けを……】


 いやぁぁぁぁあっ!!!


 ……………


 ………


 ……そうか。

 私は、魔王の娘だった。

 ……勇者と子作りをして、この世界を滅亡させるために産まれた存在……


 ……小さい頃から、違和感はあった。

 ずっと、誰かに見られているような、監視されているような感覚があった。

 気のせいかと思っていたけど、今なら分かるよ……

 あれは、お母さまだったんだね。


 お母さまはずっと、私の視界を通して、レジェを監視していたのだ。

 レジェの【嫌われ】スキルがバレたのも、レジェが強さを奪われたのも、

 すべて私が原因だった。

 私が魔王の娘だから……


 ……私は、レジェの敵だった。

 ……私は、生まれるべきでない存在だった。


 こんな事になるなら、レジェと出会わなければ良かった。

 エリカやマリリと出会わなければ良かった。


 何も知らない、バカで傲慢なお嬢様のままで……

 お母さまの言うことだけ聞いて生きていたほうが、幸せだった……


………


「……ジェシカ……!」


 遠くから、声が聞こえる。

 エリカの声だ。

 そっか、エリカはまだ諦めてないんだ。

 やっぱりエリカは凄いや、

 カッコよくて、眩しくて……

 ……でも私には、その眩しさが痛くてつらい……

 ……だって私は魔王の娘だから……

 ……みんなにとっての、敵だから……

 私は、勇者パーティにはなれなかった……


 …………………


 ……………


 ………




★★★




─エリカ視点─


「エリカ……」


 マリリが青ざめた顔で、私の手を握ってきた。


「……"あれ"が、本物の魔王です……

 ロゼリア以上に凄まじい威圧感……」


「えぇ……そうね……手の震えが止まらないわ……」

 

 まったく隙がない……

 気を抜いたら気絶しそうなほどの圧力を感じる。空気が重い。


「でもそれ以上に……」


「えぇ、ジェシカの方が……」


 化け物となったジェシカの腹部から、黒い気配が漂っていた。

 それは、この世のものとは思えないほどの漆黒。

 まるで世界に穴があいたように、色が抜け落ちている何か。


 私は、目の前の魔王リリシアよりも、ジェシカの方に恐怖していた。

 正確には、ジェシカのさらに向こう側・・・・

 お腹の中の向こう側、視認できない邪悪な何かに……


「……アレを止めるために、私たちはジェシカを殺さなくちゃいけないの?」


 私はマリリに尋ねた。

 本当にそれしか、方法は無いのだろうか?


「……いえ、方法はもう一つあります。

 私たち二人で、魔王リリシアを倒すんです。

 魔王さえ倒すことができれば、ジェシカが人に戻り、レジェも解放されて、

 あの禍々しい気配も消えるかもしれません……」


 その答えに私はほっとした。

 ジェシカを斬らなくても、世界を守る方法はあったのだ。


「……魔王を倒すわよ。私たち二人で!」


「はい、エリカっ!」


 私たちは二人、剣と杖を構えて……


「【氷結領域アイス・フィールド】」


「うあぁあああああっ!!」


 魔王リリシアへと突撃した。


【ふふふ、あなた達に殺される私ではないわ。

 無論、ジェシカの邪魔もさせない。

 ジェシカは私の可愛い娘ですからね】


 魔王リリシアは、ぐぐぐと身体を変形させて巨大化した。

 大きな槍や杖を何本も、身体から伸びる無数の腕で握って、

 そのすべてが私たちへと牙を剥く……


 魔法塊が勢いよく飛んでくる。

 私はそれを、一刀両断する。


「私の”剣聖の剣”は、魔法も斬る剣!

 すべて切り落とすっ!!」


 次、次……迫りくる槍と黒魔法。

 私は冷静に、そのすべてに対処をして……

 いや……これはっ……

 できないっ!

 攻撃の数が多すぎて、速度が早すぎて……

 全てをさばきれない……

 喰らうっ!!


 ズブゥゥ


「グッッ!」


 太ももに、深々と魔王の槍が突き刺さった。

 骨が粉々に砕け散った音がした。

 その直後に、失神するほどの痛み。


 まずい、動けない、次……


「エリカっ……!」


 マリリの声。

 目を開ける。

 目の前には紫色の光、

 魔王の放った破壊の魔法……

 あぁ、死……


 ボガァァァァ!!!


 爆音が響く。

 息ができない。

 お腹が痛い。

 目が開かない。

 

「あぁ……が………」


 冷たい地面。

 まるで時間が止まったみたいに。

 自分の心臓の音しか分からない……

 あぁだめ、

 死んじゃう、死んじゃう……


「【回復術ヒーリング】ッ!!」


 これは、マリリの声。

 身体が持ち上げられる。

 頭がガクンと揺れる。

 痛い、痛い、痛い……


 ……あたたかくて、気持ちいい。

 やさしく人肌で包まれるように、

 痛みがどんどんと引いていく。

 マリリの回復魔法……


「エリカ……大丈夫ですか!?」


 私は、マリリに抱きしめられているようだ。

 マリリの手、あったかくて、

 すごく安心する……


「マリ、リ……」


 私は、ゆっくりと目を開けた。


「エリカ……大丈夫ですか? 立てますか?」


 あぁ、口が開く。

 これなら言葉を話せそうだ。


「……ここは? どうなったの?」


 私はマリリに尋ねた。


「エリカは、魔王の魔法に身体を焼かれ、瀕死になりました。

 ここは、階段下の踊り場です。

 エリカを背負って逃げてきたんです。

 ……魔王は、ここまで追いかけてくる気配はありませんが……

 ……まだ、立てますか……?」


 目が開いて、マリリの心配顔が見えた。

 私の心臓はドクドクと鳴り響き。

 私の両手は、震えていた。


「……だ、め……無理……怖い……」


 私は、身体に力をいれることが出来なかった。

 

「勝てる気が……しない……」


 私は、絶望していた。

 剣をまじえて、一瞬で分からされた。

 次戦えば、間違いなく私は殺されると。

 確実な死の恐怖が、脳内に刻み込まれた。


「……私が助かったのは、本当に運が良かっただけなの……

 マリリも分かるでしょう?

 アレは本物の化け物よ……

 私たちの手に負える相手じゃない……」


 思い出すだけで、吐き気と動悸が迫りくる。

 涙がとめどなく溢れて、どうしようもない。

 ……だめだ。私じゃ、魔王を倒せない。

 お爺ちゃんと、約束したのに……

 私が必ず、魔王を倒すって……


 ……でも、こんな化け物っ、命がいくつあっても足りないわよっ……

 怖い、怖い……

 怖くて身体を動かしたくない。

 いっそのこと、このまま温かいマリリの腕のなかで、心ゆくまで休んでいたい。

 あぁ……やっぱりだ。

 私は勇者にはなれない。

 うんこ仮面やレジェのような、カッコいいヒーローにはなれないんだ。


 ……私は昔から、何も変わってない。

 臆病者で怖がりで、

 あの時、あの戦場の私のまま……

 ……エルフの友だちが、魔族にバタバタと殺されていくなかで……

 腰を抜かして、尻もちをつき、ただ泣き続けることしか出来なかった私……

 ……お爺ちゃんは、私に剣技を見せてくれて、私に剣聖の剣を託してくれたけれど……

 私も、お爺ちゃんみたいなヒーローになりたくて、ずっと頑張ってきたけれど……

 ごめんなさい、お爺ちゃん。やっぱり私には、無理だよ……

 私はヒーローになれない。

 強いか弱いかの問題じゃなくて。

 私がかたく誓った”覚悟”や”勇気”は、”本物の死の恐怖”を目の前にして、いとも簡単に崩れ堕ちてしまった…… 


 私は、救いを求めるように、力なくマリリに手をのばした。

 マリリは、私の腕を優しく掴んでくれて、私の身体をぎゅぅぅと抱きしめてくれた。


 あ……


「エリカ……もう怖くないですよ……よく頑張りましたね……」


 あ、あぁ、うぅ……


「………魔王を倒すのは諦めましょう……私たち二人では、どうすることもできませんから……」


 うぐっ、うぅぅ……


 マリリの言葉に安心して、身体の力が抜けるのとともに、

 心のなかに言いようのない悲しみや切なさが溢れ出してきた。


「……でもっ、私っ……魔王を倒すって、レジェと約束したのにぃぃ……

 どうすればいいのっ!?

 ……私、もう戦えないよっ!!」


 私は赤ちゃんみたいになりながら、マリリに抱きついた。

 弱音をそのまま吐いて、涙も堪えることなく溢れさせて、

 今まで私が、我慢してきたこと、無理してきたこと、自分をごまかしてきたこと、自分に嘘をついてきたこと……

 頑張って、強がって、何者かであろうとして、使命を真っ当しようとして、約束を果たそうとして……

 自分の身体に鞭を打ち続けて、ここまで積み上げてきた理想の自分……

 そんな虚像を、すべて壊して、かなぐり捨てて、

 私はマリリの胸のなかで、剣聖でも騎士でも何でもなくて、

 ただ怖がりで臆病者で泣き虫な、女の子のエリカになっていた。


 マリリは私の頭を撫でてくれる。

 大きなおっぱい、優しい包容感。

 懐かしい感覚だった。

 まるで私のお母さんの胸のなかみたい。


「ママ……」


 私は無意識にそんな言葉を漏らしていた。

 そうだ、私は、ずっと甘えたかった。

 お母さんに、抱きしめてもらいたかった。

「頑張らなくても大丈夫だよ」って、「ありのままのエリカでいいんだよ」って、認めてほしかった。


「……っ……ありがとう……マリリ……」


 私の身体の震えは止まっていた。

 私は、ギュッと足に力を入れて、しっかりと両足で立ち上がった。


「大丈夫? エリカ」


「うん」


「まだ、戦えますか?」


「うん」


 今度はちゃんと言えた。

 涙でぐちゃぐちゃの顔をゴシゴシと拭う。


「魔王を倒さなくちゃ、たとえ死んでも」


 私は笑顔でそう言った。

 さっきと言っていることが真逆だけど、

 なぜだかもう、死ぬのなんて怖くなかった。


「……私も冷静ではありませんでした。

 私たち二人ががりでも、魔王を倒すことは不可能でしょう……

 作戦を変えます。

 ジェシカを食い止めて、レジェを取り戻すことを最優先にします」


 マリリがそう言った。


「……でも、レジェの強さは完全ではないわ……

 国民の憎悪ヘイトが溜まりきっていないのか、あの頃のレジェの強さまで戻れていない。

 今のレジェが加わったとして、三人であの魔王に勝てるかどうかと聞かれると……」


「……大丈夫です。必ず勝てます。

 ……私たちには、最終手段がありますから……」


 マリリはそう言って、私の両肩を掴むと、

 私の身体をぎゅっと抱きしめてきた。

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