第45話
夏が来た。衣替えも済ませて、クーラーの効いた教室で大きく伸びをする。一通り授業が終わっても一日の終わりを感じさせないのが夏のいい所だ。窓の外から、うっすらと蝉の鳴き声が聞こえてくる。窓は閉じてあるのでうるさくはない。夏休みまであと3週間ほど。夏休みの計画は特別立てていないが、一度くらい実家に帰ろうかな、なんて風には考えている。
ただ、周りはゴールデンウィークにいったん帰省したものだから夏休みはスキップするなんて親不孝者も多いようだ。じゃあ何をするんだと訊いた所、家族と一緒に海外旅行だの軽井沢の別荘だの、わざわざお家に帰らずとも家族とまとまった長い時間を過ごすことができる連中がほとんどで、私の親不孝者とのそしりはまったくもっての言いがかりに収まってしまった。
「澄河はどうするの?」
「私は……どうしようかな。みんなより頻繁に実家に帰っているし。でも芹亜が寂しがるし、やっぱり帰ろうかな。すみかも?」
「うん、そのつもり」
栞ちゃんとひかりちゃんは部活がどうのと言ってさっさと出て行ってしまった。それぞれオーディションやインターハイが控えるわけで、少しでもいい結果を残すために青春の汗でも流す魂胆なのだろうが、せいぜい汗をかきすぎて熱中症にならないよう祈るだけだ。そんなわけで、私は久々に、学校でかつ寮の外で澄河さんとふたりきりだ。寮にいる間もなんだかんだ栞ちゃんとひかりちゃんが遊びに来ていたり、逆に私たちの方が遊びに行ったりしていて、二人になるのは寝る前と起きた後だけだった。
「でも、夏休み中ずっとってことはないかも。実家にいるのは多分3週間くらいで、あとはこっちにいると思う。澄河は?」
寮にいた方が食費も光熱費も浮くし。家計の心配だなんて、私はなんて孝行娘なのだろう。
「私もそうしようかな。ねえ、実家に帰る時期、合わせない?寮にいる間、ひとりじゃ寂しいから」
「え、あ、そう?いいけど……」
もっと言えば、一人になることはよりなかった。お風呂に行っても誰かしらはいるし、本当の意味で一人になることはトイレくらいでしかなかった。この夏休みはもしかすると実家で部屋にこもって宿題している間の方が、よほど孤独かもしれない。そのことを特別寂しいとは思わないけれど、3ヶ月前の私だったらきっと発狂していただろう。
「とはいっても残り3週間くらいあるよね、夏休み。何する?」
口をついて出てしまったが、もうすっかり何かするときは澄河さんもセットになってしまっている。これも3ヶ月前とはえらい違いだろう。
「うーん……」
「夏と言ったら、やっぱり海水浴とか、夏祭りとか、あとは……虫取り?」
「……虫は嫌」
「私も。カブトムシとかクワガタとか、男の子は好きかもだけど。ひかりちゃんとかも好きそう」
「そうかも。意外と栞ちゃんも平気かもよ」
「確かに。栞ちゃん、けっこう図太いところあるしね」
「みんなで海でも行こうよ。プールでもいいけど」
「そうだね。沖縄にプライベートビーチがあるの。サンゴ礁に面してて、きれいなんだよ」
「オキナワ……」
「どうしてカタコトなの?」
「いや、別に……。でも沖縄かぁ。行ってみたいけど、飛行機がちょっとねぇ……」
「もしかして、怖いんだ?」
「そういうんじゃないけどさぁ……。最後に乗ったのいつだっけかなぁ……」
「あまり旅行はしないの?」
「まあね。お父さんも忙しいし。2泊3日で温泉旅行とかはたまにあるけど、新幹線で十分だしね」
「なら、一緒に行こうよ」
「へ?」
「夏休み。沖縄」
「けど、旅費とかかかるし……」
「飛行機代も宿泊費も心配いらないよ。プライベートジェットがあるし、ホテルもうちの持ち物だから」
「持ち物……」
持ち物という単語を直接聞いたのはいつぶりだろうか。正確な記憶ではないだろうが、中学の修学旅行のしおりに書いてあった持ち物リスト以来な気がする。同じ用法という意味では、テレビで時たま出てくる金持ちが何がしかを自慢していたときくらいのはずだ。
「だから、ね?」
「まあ、その、親に聞いてみるよ」
「あ、そうだね。お義父さまとお義母さまのお許しを得ないと」
なんか漢字が違うような気がする。
「でも、それならもっと人がいた方が楽しいんじゃないかな。二人っきりもいいけど、せっかくの海なんだしさ」
「うーん……。それじゃあ、やっぱりひかりちゃんと栞ちゃんかな」
「あとで聞いてみようよ」
そのとき、教室の外から誰かがこちらを見ているのに気づいた。
「やあ、ハニイたち……」
いや、やっぱり気のせいだ。
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