第44話

「どうしたのさ、そんな怖い顔して」


 真琴ちゃんはこの上なくキョトンとした間抜け面をぶら下げていた。事態の深刻さを何一つ理解していない。


「何も。ずいぶん楽しそうね」


 翻って、天野先輩は怒髪が天を衝いている。あまりの熱気にあたりの大気がゆらめいて、心なしか髪の色も薄くなってるような気がする。スーパーなんとか人と渾名するところだ。

 再び翻って真琴ちゃん。


「ああ、パーティーだからね。綾も楽しんでるかい?」


 真琴ちゃんはアホ面をぶら下げて能天気にへらへらしている。バカの世界チャンピオンのタイトルはこの人にこそ相応しいだろう。


「ほ、ほら!和宮ちゃん!」


 栞ちゃんの無責任なエールを耳と背中に感じて、私は逡巡したあと二人の方に歩みを進めた。このまま放っておいたら地球丸ごと大決戦になりかねない。仕方ない、地球の平和は私の手に託された。


「あ、天野先輩……」


「何かしら?」


 ギロリ。人間の目玉って本当にそんな音が出せるんだ。私の攻撃力が下がる。しかし今ここで逃げてしまえば、この世界、もとい楽しい楽しい打ち上げパーティーは氷河期みたいになってしまう。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。誰かがヒーローにならなくてはいけないのだ。


「そ、その。えーっと。ここじゃなんですし、真琴ちゃ……真琴さんとのお話はおふたり水入らずの方が……」


「何ですって?」


 怖い。ええい、負けてなるものか。


「その、なんというか、マジメな話をされるんですよね?その、ここじゃ真琴さんも集中できなさそうですし」


「……それもそうね。真琴、行くわよ」


「君が求めるならばどこへでも、ハニイ」


 そして二人は私が思うより遥かに呆気なく会場の外に出て行った。これぞ秘技厄介払い。これにて一件落着、万事解決。世界の平和は保たれた。


「ナイス、和宮ちゃん。君が演劇部を救った」


「辛く苦しい戦いだったよ。……真琴ちゃん、大丈夫かな」


「何事にも犠牲はつきものだよ、和宮ちゃん。まこちゃん先輩にしても、犠牲者ってよりは元凶だし。さ、君が守った世界に乾杯だよ、和宮ちゃん」


 栞ちゃんがそう言ってグラスを掲げたので、私もグラスをそこに合わせた。


 ☆☆☆


 しばらくして、私がお料理を一品一口ずついただいて、タダ飯ならば二周目もいっちゃおうかしらと思案していた頃、ようやく澄河さんとひかりちゃんが現れた。


「遅かったね、二人とも」


「お、お待たせしました!」


「ごめんねぇ、ドレス着るの手伝ってもらってたんだぁ」


「ふふっ、ずいぶんおめかししてきたんだね」


 栞ちゃんがそう言うように、澄河さんもひかりちゃんも、なんというか、海外の映画で上流階級のレディが着ているような洗練されたドレスを身につけていた。もとからエレガンスの塊みたいだった澄河さんはもちろん、元気印のひかりちゃんまでお姫様みたいに見える。

 馬子にも衣装という言葉がふと頭をよぎったが、冷静に家柄に容姿や心意気などを省みたとき馬子は私の方だ。衣装を着てない私がとやかく言えるレベルではないので、黙っておくことにした。


「そういえばさっき会場の外で久野先輩が泣きじゃくってたけど、放っておいてよかったのかな」


「いいのいいの」


「身から出た錆だよ、あれは」


「いつものことだし」


「そうなの?」


「そうそう。まこちゃん先輩、あれで結構ナイーブだからね。役に入り込んで号泣しちゃうこともあるし」


 意外な一面だ。


「栞ちゃんは次こそジュリエットだね」


「任せときなさいよ。まあ、ロミオとジュリエットは当分やらないけど」


「次は何するのぉ?」


「なんでも、オリジナルの劇をやるらしいよ。シェイクスピアよりもうちょっと取っ付きやすいやつ。文芸部と組んで、脚本も作ってるんだって」


「オーディションは?」


「もう少しプロットが固まってから。秋の文化祭でやる予定らしいから、多分夏休み明けかな。夏休み特訓して、今度こそ主演を勝ち取ってみせるね」


 特訓って何するんだろう。発声練習とかかな。栞ちゃん結構声大きいけど。学級委員だし。


「もう侍女Cだなんて呼ばせないんだからね。覚悟しておきなさい!」


 私が覚悟するのか。


「そういえば、ひかりちゃんの試合もその頃だよね」


「うん。お互い頑張ろ、ひかり」


「もちろん」


 青春してるねえ。色恋ばかりが青春ではないのだ。最近の若い連中や映画配給会社はその辺を分かってない。余命で逆オークション男女にイチャコラさせている場合じゃないんだ。私は内心鼻をほじりながらそんなことを思った。

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