第42話
「神様、どうか私たちを見守っていて」
ジュリエットはロミオの骸にキスをするとそう言った。そして、傍らの短剣を恐る恐る手に取ると、大きく息を吐いて、自らの喉に短剣を突き刺し、ジュリエットはロミオの上に覆い被さるようにくずおれる。それと共にゆっくりと幕は下がり、会場は万雷の拍手で包まれた。
いや、いい劇だった。元となったストーリーが素晴らしい、というのもあるだろうが、高校生向けに見るにも演じるにも分かりやすく編集された脚本、それでいて中世のシビアな空気感は損なわない演出、そしてたまに出てきては隅っこで突っ立っていた侍女Cも素晴らしかったと思う。
ちょっと隣を見てみよう。まずは右側、ひかりちゃん。見ていて気の毒なほど泣きじゃくっている。ハンカチを渡してあげると、「あいあおう」と子音を失ったお礼をしてくれた。
そして左側、澄河さん。綺麗な姿勢で、目を赤くしている。一筋の涙がつうっと頬を流れるそれはむしろ映画のようだった。ハンカチを渡そうとしたが、反対側でぐしょ濡れになっていたので渡せなかった。
そんな泣き虫二人に挟まれた私だが、涙は一滴たりとも出なかった。いや、実際感動したし、グッとくるシーンもあったが、泣きはしなかった。ひょっとして私って冷徹な人間なのかしら。いや、そんなことはないはずだ。根拠こそないが、私ほど感情豊かな人間はそういないはずだ。
ふたりが落ち着くのを待つこと数分、他の観客があらかた退散したところで、舞台の方から誰かが歩いて来た。
「やあやあ、私のジュリエットたち。楽しんでもらえたようだね」
蘇ったロミオが話しかけてきた。私たち三人ともジュリエットとは、こいつは無理心中でも企てる気だろうか。
「ひ、久野先輩……」
久野?ああ、真琴ちゃん。
そういえば真琴ちゃんも演劇部だった。仲良くなったきっかけも、栞ちゃんが真琴ちゃんをけしかけてきたからだった気がする。しかし、未だ仲良くなれていない様子のひかりちゃんは怯えているみたいだ。ここは私が矢面に立つとしよう。
「何してんの真琴ちゃん。こっち降りてきていいの?反省会とか打ち上げとかないの?」
「反省することはないさ、今日の舞台は完璧だった。それに打ち上げまでは時間があるし。舞台から君たちが見えだんだ、これはお礼のひとつでもせにゃならんと思ってさ。応援に来てくれて嬉しいよ」
「どっちかって言うと、栞ちゃんの応援なんだけど……」
「細かいことはいいじゃないか。呼んでこようか?」
私たちの返事を待たず、真琴ちゃんはすたこらと舞台側に走って、侍女Cを連れて戻ってきた。
「まこちゃん先輩!もう、走んないでくださいよぉ」
栞ちゃんは長いスカートを履いているのでいかにも走りにくそうだ。
「あ、みんな。来なくていいって言ったのに。てか泣きすぎだよ、ひかり」
「だってぇ……」
「ほら、大丈夫?」
ひかりちゃんの傍に寄るのを見て今更ながら気づいたが、栞ちゃんは眼鏡をかけていなかった。ロミオとジュリエットの時代にメガネがあったかどうかは知らないが、きっと役作りの一環なんだろう。
「次は栞ちゃんがジュリエットやってよ。そしたらひかりちゃん干からびるかもよ」
「もう。からかわないでよね」
「うぅ……」
ひかりちゃんは赤ん坊みたいに泣きじゃくっている。栞ちゃんに頭を撫でられながら、ようやく立ち上がった。
「……栞ちゃん、すごい感動したよぉ。来てよかったぁ」
「私、隅で立ってただけだけどね。ほら、立てる?講堂閉めちゃうから、すみかズも早く出てってよ」
栞ちゃんはやっぱりまだ恥ずかしいのか、妙に冷たい。そう思ったので、ちと抗議してやることにした。
「まー、冷たいのね」
「いいじゃないか栞くん。この子たちも客席から劇を盛り上げてくれたんだからね」
「そ、そうですか?」
「そういえば。綾先輩は来てないんですか?」
澄河さんの疑問ももっともだ。バカップルの片割れがいない。最前列でかぶりついて見そうなのに。
「綾なら舞台袖にいるよ。私が浮気しないか見張るんだってさ。ジュリエットと私がフォーリンラブしちゃうんじゃないかって」
「はぁ」
「可愛いところあるんですね、綾先輩」
可愛いかぁ?
「ま、それもこれも私が美しすぎるのがよくないんだろうね。図らずも綾のジェラシーを掻き立ててしまった」
「ふふ、冗談ばっかり」
澄河さんはくすくすと笑っている。
「ねぇ、和宮ちゃん」
ひかりちゃんを落ち着かせた栞ちゃんがひそひそと話しかけてくる。
「なに?」
「さっきはああ言ったけどさ、例の綾先輩、舞台袖で機嫌悪そうにしてるから、悪いけど打ち上げ来てくれない?」
「な、なんで?」
「最後のキスシーンあったでしょ?あれ本当はフリでいいんだけど、ジュリエットがヒートアップしてホントにチューしちゃったのよ。で、まこちゃん先輩は全然気にしてない様子だから、余計火に油でさ。このままじゃ打ち上げが崩壊しちゃう」
「な、なんで私が……」
「だってさ、仲良いでしょ、このバカップルと」
「えぇ……」
「お菓子とかいっぱいあるし。ね、お願い」
お菓子……。
「分かったよ……。たんまりもらうからね」
「さすが。持つべきものは友達だね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます