第40話
それからしばらく、池の上でとりとめもない話をしたあと、私たちはスワンボートを降りた。もう少しだけぶらついてみたが、日も傾き始めたので帰ることにした。時間は山ほどある。澄河さんがどう思っているかは分からないけど、少なくとも私は今日やり残したことはたぶんないし、仮にあったとしても、来週でも来月でも、暇なときにでもやり直しすればいいだけだ。
「ねえ、すみか。今日、楽しかった?」
「うん。楽しかったよ」
「そう。それならいいの」
「澄河は?楽しくなかった?」
「ううん。楽しかった」
澄河さんの何やら意味深長な態度は見なかったことにして、私たちはそのまま寮に帰ってきた。日はもう暮れてしまった。今日の献立はなんだろうね、なんて話をしていたら、校庭の方から私たちを呼ぶ声が聞こえた。
「やっぱりダブルすみかちゃんだぁ。おーい」
声をかけてきたのはひかりちゃんだった。体操着の上にゼッケンを付けている。スポーツドリンクのペットボトルを片手に、タオルを首にかけていた。
「人をそんなポケモンみたいに……」
「ひかりちゃん。お疲れ様。部活、もう終わったの?」
「ううん、休憩だけぇ。一年にしてレギュラーに大抜擢だからねぇ、気合いも入るってもんだぁ」
「フォワードだっけ、ひかりちゃん」
「うん。先輩と合わせて黄金のツートップってとこだねぇ」
澄河さんは冗談っぽく笑うひかりちゃんと一緒にくすくすと笑っていた。ポジションのことを訊いといてなんだけど、私はサッカーをあまり知らない。私は生返事しかできなかったが、一年生の分際で黄金とつくからにはなかなかの才能なんだろう。
「試合来週だよね。応援しに行くからね。ね、すみか」
「うん、もちろん。大活躍を期待してるから。ハットトリックだよ、ハットトリック」
ハットトリックは知ってる。確か一試合に、1人で3点くらい入れるやつだ。黄金とつくからにはこれくらいはやってもらわなきゃね。
「まかせといてよぉ!」
そう言って胸を叩くひかりちゃんはなんとも頼もしげだった。
「ひかりー!そろそろ再開するよ!」
「はい!すぐ行きます!じゃぁ、またねぇ」
ひかりちゃんはチームメイトに呼ばれて、私たちに手を振ってから走っていった。
「いい子だよね、ひかりちゃんは」
「うん」
ひかりちゃんの声は、サッカー部の人たちと話すときにはあまり伸びず、入学式の日みたいにハキハキとしていた。きっとチームメイトには見せない顔があるんだろう。同室の栞ちゃんの前では念仏くらい伸びているのかもしれない。
「私たちもずいぶん仲良くなったよね」
「そ、そう?」
「そうじゃない?まあ、もうそろそろ二ヶ月になるし、当たり前か」
交友関係だって、多分女子高生の中央値にも平均値にも程遠いけれど、私の想像以上の広がりを見せている。ひかりちゃんや栞ちゃんはもちろんのこと、ほかのクラスメイトともひとことふたこと話すこともあるし、真琴ちゃんとも仲良くなった。
「……ねえ、すみか」
「うん?」
「……ううん。なんでもない。食堂、行こ」
「えっ、う、うん」
なんでもないことあるか、と言おうと思ったけれど、澄河さんが物憂げに微笑んでいるからやめておいた。相手の名前を呼んでからやっぱりなんでもないことがあるのは、しょうもないカップルがしょうもないイチャつき方をしているときだけだ。ここで何があったか正面から聞き出そうものなら、私たちもしょうもないカップルに成り下がる。
今日の夕食はハンバーガーとフレンチフライ、それにサラダとオレンジサイダー。たまにはジャンクなものも食べたくなるのでこういうのは嬉しい。もっとも、友達と学校帰りに寄っていくようなファーストフードのそれとはまったく違う。たまに街で見かける桁がひとつ違うタイプのお店の看板に描いてあるような、妙に高さがあるハンバーガーだ。
私はそれを優しく潰して、口に入るサイズにしてかぶりつく。いいだろ、ハンバーガーはかぶりついて口いっぱいに頬張るのがマナーだ。口元がソースやら肉汁やらがベタベタになるが、そんなことは気にしていられない。
「すみか、子どもみたい」
「ほら、澄河も。ハンバーガーは息が詰まりそうなほど口に詰め込んで食べるのがイチバン美味しいんだから」
「わ、私はいいよ」
「いいから。騙されたと思って」
「そ、そこまで言うなら……」
澄河さんはたどたどしく、私を真似てハンバーガーに食べる。一口はまだ小さいが、今回はよしとしよう。
「今度は私が連れてってあげるよ。美味しくて安いお店、教えてあげる」
全部チェーン店だけどね。
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