第39話
サンドイッチを平らげたあと、澄河さんがポットに入れた紅茶をくれた。一口飲むと、フルーティな清涼感が口の中に残ったサンドイッチの味と混ざって解けていった。時刻はそろそろ3時くらい。今日は土曜日なので、多少の無茶は許される。
「このあとどうしよっか」
ふと、そう呟いてしまったあとで気付いた。こんな質問は主導権が澄河さんにあることを決定づける。手綱を握ろうと思っていたのに、サンドイッチひとつでこのザマだ。
「どうしよっか。すみか、行きたいところある?」
と思いきや、ボールがこっちに戻ってきた。
「あー……」
頭を捻る。妙案は思い浮かばなかった。
☆☆☆
結局、私たちはその辺をぶらついてみることにした。さっきまでいた美術館は大きな公園の端にあって、公園には動物園だの博物館だのもあるけれど、どこも混んでいるが遠目からでも見えたのがので入るのはやめておいた。そもそも公園自体人がごった返している。それでも二人並んでゆっくり歩けるくらいには空間的な余裕があった。
何度も言うように、澄河さんは私より頭二つ分背が高い。会話をするときは自ずと、澄河さんを見上げる形になる。ひと月くらい前までは、私がちんちくりんなのがあからさまに自覚できてしまうので正直いい気分はしなかったが、いつの間にやらそんなことは気にならなくなって、今はせいぜい首が疲れるくらいで済んでいる。
少し歩くと何となく新しそうなお寺が見えて、その前の狭い通りに、祭りでもないのに食べ物の屋台が並んでいた。普段ならこういうのは気になって仕方ないが、あいにくついさっきサンドイッチを食べたばかりなので、財布の中身を減らすこともお腹周りのお肉を増やすこともない。澄河さんは少し気にしてそうだったけど、腕を引っ張ってさっさと通り過ぎた。
お寺を通り抜けると、大きな池があった。蓮だろうか、まだ咲いていないようだが、大量の植物が池のへりにへばりつくように並んでいる。貸しボートもあるようで、澄河さんは乗りたがったけど、私はこの頼りない小舟がひっくり返るのが容易に想像できたので、電車にも乗るのにびしょ濡れになって帰る訳にはいかないと説得して、一、二分程度の侃侃諤諤の議論の末、ひっくり返す方が難しそうなスワンボートに乗ることになった。
スワンボートの中は思っていたより綺麗で、水や泥が澄河さんのきれいな召し物を汚す心配はなさそうだった。
「大丈夫?」
私がおっかなびっくりボートに乗ろうとするのを見て、澄河さんは私に手を差し伸べた。
「あ、ありがとう」
私はその手を取って、思いのほかすんなりとスワンボートに乗り込んだ。
「それでは、楽しんでくださーい」
スタッフのおじさんのそんな適当な掛け声で、私たちはスワンボートのペダルをゆっくりと漕ぎ出して、とりあえず湖の真ん中あたりに進む。濁った水の下で、妙に大きな鯉が暴れている。こいつらは鯉こくにしたって多分泥臭くて食べられたものじゃないだろう。
私の体はボートの上で、池の柔らかい波のためにゆらゆらと揺れている。さすがにその頃の記憶はないが、ゆりかごというのはきっとこんな感じだったのかもしれない。
ふと、右腕に柔らかな温かさを感じた。スワンボートはそう広くはない。澄河さんの身体が、私のいるところへ少しだけ傾いていた。
「ねえ、すみか」
「は、はい」
「今日、楽しかった?」
「え、はい。楽しかったです。……どうして?」
「……私ね、今日のために色々考えてたんだよ。美術館に行って、一緒に私のサンドイッチを食べて、そのあとのことも。でも、今日ずっとすみかを見てたら、最初に立てた計画なんてすぐ忘れちゃった」
「う、うん」
「だからね、不安だったんだ。今日のことで、すみかに嫌われたらどうしようって」
「嫌わないよ、多少グダグダになっても」
「本当?」
「ほんとほんと。友だちなんだから」
「友だち……」
そう、友だちだ。ちょっと今私かっこよかったんじゃない?ジャンプの主人公とかもこれくらいのことは言うわよね。
「あのね、すみか」
「は、はい」
「私、ただの友だちじゃ終わらないからね」
そうきたか。なんて返事するのが正解なんだろう。ジャンプはそこまで読んでないから分からない。しらばっくれるのかな。
「じゃあ、親友とか?まあ、ちゃんと出会ってからまだ二ヶ月も経ってないし、気長にいこうよ、ね」
「……うん。今はそれでいいよ」
今は、ねえ。モテる女はつらいね、まったく。
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