第36話
光陰矢の如しとはよく言ったもので、とっくに土曜日になってしまった。結局計画は何もない。なぜって、澄河さんはきっと、私に話を持ちかけるよりずっと前から何するかを決めていた。
澄河さんはいつもよりおしゃれな服を着て、うっすらだが化粧もしている。澄河さんはもともと美人だけど、さらに華やかに見えて、隣を歩く私はお嬢様の小間使いになった気分だ。そんな私はと言えば、何着かある服の一つでしかない服を着てすっぴんを決め込んでいる。別におしゃれをわざわざしなかった訳じゃない。おしゃれな服はひとつも持っていないし、化粧もやったことがないからしていないだけだ。もしかしたらお嬢様じゃなくとも高校生ともなれば化粧のひとつくらいするのかもしれないけれど、私は今のところ興味ない。だって時間かかりそうだし、化粧品もけっこうなお値段がしそうだ。そういう意味では、私はなかなかにお金のかからない女の子だと言えるだろう。
「前はすみかにエスコートしてもらったから、今度は私がすみかさんをエスコートするの」
澄河さんはなんだか爽やかな表情をしてそう言った。「前」というのがいつのことを指してるのか私には分からないが、ダイレクトに尋ねれば面倒事を引き受けることになりかねない。思い返してみれば、澄河さんとふたりきりで出かけたことはなかったはずだ。先月桜を見に行ったときは栞ちゃんとひかりちゃんがいたし、芹亜ちゃんがいたこともあった。
すると私は澄河さんより先に真琴ちゃんとデートしたことになるのかしら。なんなら真琴ちゃんの実家にも行ってお父様とも顔を合わせている。
……このことは言わないでおこう。さっきの質問に輪をかけて命に関わる。なんで私がこんなどうしようもないとこまで話が進んだ二股男みたいな心配をせにゃならんのだ。0股なんだぞ。
「それでさ。どこに連れてってくれるの?」
当日なんだ。これくらいは訊いていいだろ。
「着いてからのお楽しみ。まずは電車に乗るよ」
「はい……」
私の浅知恵から出た質問はすんなりと却下され、少しばかりもたついた改札を抜けてから、階段を上って辿り着いたホームは上り方面、つまり都会方向だ。下りなら場所が限られるがこちら側だとそうはいかない。遊べる所は無数にあるし、そのうちの大半はデートスポットとして活用できるだろう。
私はどこかで聞きかじった情報をフル動員して、これから目的地と考えられるデートスポットを洗い出す。
定番としては映画館、水族館、ショッピング。無難なところだ。この辺なら普通にしていれば「楽しかったねー」で終わる。映画館なら観た映画の話をすればいいし、水族館なら魚が綺麗かうまそうか、そんな話をすればいい。ショッピングなら適当な服を見繕えば、あとは「手持ちがないから今日は諦める」でいい。
しかしこれが、例えば美術館だったらどうだろう。遠近法だの印象派だの、そんな専門的な話をされたら生返事をするしかなくなってしまうが、それは私の落ち度じゃない。問題は、知識の有無以前に私が真に芸術を解さないタイプの人間だということだ。目の前にある絵が、どれだけ美麗だろうと、歴史的な価値があろうと、深い意味が込められていようと、きっと私が抱く感想は二つに一つ、「上手い」か「下手」かだ。そんな状態で話など合おうはずがない。
あるいは各種伝統芸能、歌舞伎やら能やらだとしたとき、絵を目の前にしたとき浮かぶような、巧拙を表す形容詞すら私の脳から締め出されてしまうだろう。せいぜい「あの役者さんはあのドラマに出た人かな」「あの人は不倫した人かな」くらいなものだ。小学生か中学生のころ、そんなようなビデオを視聴覚室で見させられた気がするが、そのときは眠気と必死に戦っていたことしか覚えていない。
忘れがちだが、澄河さんは超が三つ四つ付いてもまだ足りないくらいのお嬢様だ。それなりの教育は受けてきたであろう澄河さんの趣味や興味関心は底が深く、一ヶ月そこらの付き合いでは知り得ないものもあるはずだ。もし今日、澄河さんが私の無知に幻滅して、失望と軽蔑の念を抱かれてしまった場合、私の三年間の未来は暗く寂しいものになってしまいかねない。
「どれくらいかかる?」
「もうちょっとかかるかも。お水とか買っておけばよかったかも。すみかは平気?」
「うん、平気」
水筒でも用意しておけば好感度の調整に一役買ったかもしれない。いや、目的を忘れるな。目標は現状維持。好感度を高すぎもせず低すぎもせず、安寧の寮生活をくだせるレベルに落とし込むことなのだ。
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