第34話

 ゴールデンウィーク最終日、午前10時頃。


「すみか!」


 帰ってきた澄河さんが人目もはばからず抱きついてきた。周りからの生暖かい視線に耐えられない。


「す、澄河。は、恥ずかしいよ……」


「ご、ごめんなさい!私ったら興奮しちゃって」


 澄河さんはぱっと離れて顔を赤くする。この子は勢いばかりだが恥じらいはあるのだ。


「う、うん。芹亜ちゃん、元気だった?」


「ええ、それはもう。今朝も行かないでって大泣きでした」


「そっかそっか。お姉ちゃんとしては嬉しいんじゃない?」


 雑談しながら部屋に戻る。澄河さんと同じように今日帰ってくる人が多い。私たちのようにイチャついている連中も少なくないようだ。


「ちょっとだけね。すみかはどうしてたの?」


「ああ。真琴ちゃん……久野先輩と遊んでたよ、ずっと」


 澄河さんは数秒おもしろくなさそうな顔をしたあと、少し考えてから何事も無かったかのように振る舞い始めた。


「そ、そうなんだ。……そうだ、お土産があるの。あとで一緒に食べましょう」


「お土産って?」


 私はそんな澄河さんの表情には気付かないふりをする。何がおもしろくないのかはなんとなく分かるし、それを指摘するとえらい目に遭うような気がする。


「部屋に戻ってのお楽しみ」


 ☆☆☆


「はいどうぞ、召し上がれ」


 お出しされたのは、なんとなく名前だけは聞いたことがある和菓子屋のどら焼きと、京都のどこぞから取り寄せたという茶葉で淹れた緑茶だった。


「い、いただきます……」


 お茶を一口いただく。もちろんおいしいのだが、緑茶の違いがわかるほど私の舌は繊細じゃない。どら焼きも一口かじってみる。こっちは素直に美味い。生地も美味けりゃあんこも美味い。今まで食べたどら焼きの中でいちばん美味いのは間違いない。私がドラえもんだったらお返しにひみつ道具の三つ四つくれてやるところだ。


「おいしい、これ」


「でしょう?父の友人が職人さんなの」


「へー」


 きっとその親父の友達は老舗の何代目とかなんだろう。どら焼きの中身はつぶあんだ。つぶあん派としては嬉しい限りだ。


「それでね、すみか。実はちょっと相談があるんだけど……」


「何?」


「その……」


 いつにも増して、澄河さんはモジモジしている。


「次の土曜日。もし良かったら、私とお出かけしない?その、二人で」


「え、ああ、はい。い、いいけど……」


「ほ、本当!?」


「う、うん」


 澄河さんの顔が赤い。私はとんでもないことに巻き込まれたのかもしれないと、そんな直感を喉に下した。


 ☆☆☆


 明日から平日だと言うのに、妙にドキドキして眠れない。柔らかい布団の中で、私の脳みそはしばらく空回りしている。澄河さんが発した「二人でお出かけ」という言葉は、ついこの間の真琴ちゃんとの行楽とはあからさまにニュアンスが違っていた。

 私の今の心情を端的に表すとすれば、「困る」というのが正しいだろう。嫌じゃない。これは本当だ。嫌じゃないが、なんというか、困る。いわゆるおデートだ。仲のいい女の子二人が遊びに行くことを冗談半分で表現する「デート」ではなく、婉曲表現一切ナシ、ダイレクトな意味合いでのおデートだ。あの赤らんだ澄河さんの顔がそう言っている。しかし、よく考えなくても高校生活は序盤も序盤だ。長期的に考えると、ロケットスタートは余計なトラブルを背負い込むリスクになる。しかし、邪険に扱ってしまえば、あるいはそのつもりがなくともそう感じられてしまえば、即トラブルに発展してしまう。

 このことを考えれば、結果論ではあるけれど、私に断るという選択肢は初めから存在しなかった。あの返事は正しかったと言える。そして、これからの三年の寮生活を安心安全に過ごせるかどうかは、この土曜日にかかっている。

 私の絶対目標は好感度の絶対量の維持。理想的には、好感度の向き方の操作。つまり、ラブからライクへの変更を目標にする。数学的に言えば、スカラーを一定にしたままベクトルを変化させるのだ。

 これを実現するにはどうすべきか。作戦を立てるにしても、主導権が澄河さんにあっては目標の達成は困難になる。相手はデートだ。少しでも計画に影響を与えるランダム性は極力排除しなければならない。つまり、計画……すなわち、デートプランを私が立てる。もちろん相手は人間だ。多少の気紛れや体調まではコントロールできない。そのあたりの不確実性に対応できるような柔軟性を備えた計画でなくてはならないのだ。その上で、澄河さんには十分に楽しんでもらいつつ、私に対する感情には違和感を覚えさせる。

 名付けて。

 私、やっぱりただの友だちなのかな大作戦だ。

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