第32話

「おいしい……」


 気取ってるだけあってか、チョコレートケーキは絶品だった。幸せを茶色に塗って口の中にぶち込んだような感覚が口から身体中に広がっていく。


「そうだろうそうだろう。ウチのケーキは世界一だからね」


 もしかしたらこの家はケーキで財を成したのかもしれない。ただ、それにしてはこのカフェは随分と質素な作りに見える。味があると言えばそうなのだろうが、とても高級店には見えない。私に言えたことではないが、とても金鳳花のバカみたいな学費を払えるような家には見えない。


「驚いたかい?綾も含めて、ほかの子たちは一円玉も見たことなさそうなお金持ちばっかりだからね、私の立ち居振る舞いを見て勘違いしてしまうのも無理はないさ。でも私は言うなればキミと同じ、一般家庭の出なんだ」


 本人含め「一般」からはだいぶはみ出している家庭だが、経済状況は確かにそこまでリッチには見えない。


「まあそんなわけだから、中流からの成り上がり同士仲良くしようじゃないか。いいだろ、ケーキは奢りだし」


 奢ってくれたのはマスターもといこの人のお父さんだけど、まあ悪い気はしない。貧乏人は美味いものに弱いということを分かっているようだ。


「わかりましたよ。仲良くしましょう」


「そうこなくっちゃあ。それでね、早速キミに訊きたいことがあったんだよ」


 久野先輩はあからさまにワクワクしている。ろくなことじゃないと思いつつ、質問を聞いてみることにした。


「ほら、アレだ。もう片っぽのスミカちゃんとはどこまでいったのかな」


「は?」


「キミたち、同棲一ヶ月目にしてとっくにアツアツじゃないか。もう、見てて恥ずかしいもんね」


 顔の温度がかーっと熱くなるのを感じる。そんな風に見られてたのか。確かに客観的に見ればベタベタしているといえなくもないかもしれないけども。だがそんなんじゃない。断じてそんなんじゃないのだ。


「そ、そんなんじゃないです、私たちは」


「またまたぁ」


「何、恋バナ?」


 バイトの姉貴まで首を突っ込んでくる。顔を見れば分かる。姉貴だって妹と同じくらいめんどうなのだ。


「実はね、こちらの和宮ちゃんったらねぇ……」


「や、やめてください!」


「やめるもんかい。この子ったらね、同室の子一目惚れさせちゃってね……」


「あらら。可愛い顔してなかなかの肉食獣なんだ」


「それがね、肉食なのはむしろお相手の方で……」


「ちょ、何を適当なことばっか言ってんの!」


「いいね、遠慮がなくなってきた。それでね、お相手のご令嬢なんだけどね」


「やめてって言ってんでしょうが!」


 ☆☆☆


「いやあ、悪かったよ。からかいすぎたよ」


 夜も更けて、寮に帰った私は部屋でコーラを煽っていた。久野先輩はドアの外でドアノブをガチャガチャ鳴らしながら平謝りしている。


「あのねえ、先輩。仲良くしようつったのはあんたなんだよ?それをねえ、家族総出で辱めようだなんて……」


「違うの違うの。ごめんよ調子乗りすぎちゃったからさぁ。今度またケーキ奢ったげるし、許してよ、ねったら。ウチのマスターったらチョコレートケーキだけじゃないんだよ。いちごのショートケーキとか、モンブランもあるよ。甘いもの好きだよね、ね。女の子だもん。今日日男の子だってケーキ大好きだし、イケメン女子の和宮ちゃんときたらもう大好きでしょう。深山ちゃんとケーキどっちが好きかな、なーんて」


「ああん?」


「じょ、ジョーダンじゃないか。マイケル・ジョーダンだよキミ。ほら、機嫌直しておくれよ、ねえ」


 あからさまに使い慣れていないおべっかとやり慣れていないご機嫌取りに、ついに私の方がバカバカしくなった。


「……もう、分かったよ。許してあげますから」


 私は部屋のドアを開けてやることにした。ドアを開けると、腹立たしいほど爽やかな笑顔で私の手を握った。


「いやぁ、ありがとうね、さすが海より心が広いよ和宮ちゃんったら。すっかりくだけたし。敬語が半分くらいどこかに消えちゃった」


「正直、あんまり尊敬してないし……」


「はっはっは。正直でいいねぇ、私の跡を継ぐだけある」


「ただし。今度私の事怒らせたら天野先輩にあることないこと吹き込みますからね」


「もちろんだとも。そう何度も怒られてたまるかってね」


「……反省してます?」


「そりゃそうさ。ほら、お詫びと言ってはなんだけど、こういうのを持ってきた」


 久野先輩は手にコンビニのレジ袋を下げていた。


「エコバッグ忘れちゃってね。レジ袋は有料だってのにわざわざ買ってきたんだ。コーラにはこの上なく合うと思うよ」


 久野先輩はポテトチップスを取り出して、これまたムカつくほど清々しい笑顔を見せてくる。


「一緒に食べようじゃないか。お互い置いてかれたもの同士、ね」


「別に置いてかれた訳じゃ……」


「いいから。あがらせてもらうよ」


 先輩は遠慮なしにずかずか上がってくる。この人は多分天野先輩でなきゃコントロールできないんだろう。私は半ば諦めた気持ちになった。


「はぁ、分かりましたよ。コーラあげるから、適当に座っといて」


「ご馳走になるよ、和宮ちゃん」

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