第31話
とりあえず先輩は部屋に上げた。ペットボトルから入れたお茶をお出ししたらそれはそれは喜んでくれた。
「いや、ペットボトルをそのまま放ればいいものを、一度コップに入れてくれるだなんて。キミは気遣いの天才だね」
「はあ……」
おべっかにしてはあまりにテキトーだ。本気でそう思ってるか、本気で私をからかってるかのどっちかだろう。
「それで、久野先輩。今日は何を……」
「『久野先輩』はちょっとよそよそしいね。真琴、でいいよ。キミは……スミカが二人いるから、アレだけど」
どいつもこいつもなぜこうも下の名前で呼ばせたがるのだろう。それにアレとはなんだ。饒舌な癖にボキャブラリーが貧困なんじゃないか。当然そんな言葉は腹の中にしまっておくけど。
「それじゃあ、真琴さん。何するんですか、これから?」
「うん。何しようか。なんも考えてなかった」
そっちから押しかけてきてノープランときたもんだ。
「トランプならありますけど……」
「私たちみたいなうら若きオトメが雁首揃えてトランプなんてサミシイじゃないか。もっとこう、うら若いことをしようよ」
「はあ……」
「そうだなあ……。そうだ、少し歩くけど、いいかな?」
☆☆☆
「ここは知らないだろ、和宮くん」
少し歩く、というのは平たく言えば大嘘だ。普通の人間は一時間を「少し」とは言わない。考えられる結論は二つ。この先輩が私を連れ出すためにホラを吹いたか、さもなければ感覚が大幅にズレているか、そのどっちかだ。
「おや、少し疲れてるみたいだね。だらしないぞ、これしきのことで」
どうも後者みたいだ。これが「これしき」だなんて、そんなことがあるもんか。
「そ、それで、ここは?」
「カフェだよ、カフェ。知らない?カフェ」
「ああ、カフェ……」
「ヘイ、マスター。コーヒーを二人分と、そうだな、何か欲しいものは?遠慮することはないよ、私のおごりだ」
「み、水……」
「コーヒーとお水を一緒に飲みたいなんて変わってるねぇ、キミは。じゃあお水と、私はチョコレートケーキを」
マスターと呼ばれたやたらとダンディなオヤジは頷くと、カリカリと音を立てて豆を挽き始めた。
「はーい、お水どうぞー」
バイトらしい若い女の人が先に水だけ持ってきた。私はそれを喉に流し込んで一息ついた。
「もー、マコトちゃんったら。綾ちゃんほったらかして別の若い女の子連れてきたのぉ?」
バイトさんは先輩と仲がいいらしい。
「はっはっは。そんなんじゃないよ、和宮くんは。綾はゴールデンウィークで実家に帰っててね、そんなサミシイ私に付き合ってくれているやさしい後輩くんさ」
「ふーん、なら、この子はフリーってことぉ?おねーさんが遊んであげちゃおっかな?」
「やめておいた方がいいと思うよ。かわいい顔して、この子もなかなかのジゴロだからね」
「やーん、ますます興味湧いてきちゃった」
勝手なこと言ってるよ。というかなんだ、この異様な空間は。バイトさんは美人なのはそうかもしれないが、久野先輩と同じ妙な雰囲気を纏っている。しばらくそんな適当な会話に適当に返事していると、マスターがバイトさんを呼びつけた。
「……持っていけ」
「はーい」
マスターはカウンターからコーヒーとチョコレートケーキを二つずつお盆に乗せてバイトさんに手渡す。
「あれ、ケーキ……」
私は頼んでないはずだ。マスターの方をちらりと見る。
「大方、マコトに『少し歩くだけだ』と言われたもんだからのこのこ徒歩で連れてこられたんだろう。マコトはそういう奴だからな。近くにバス停がある。また次来る気になったら、そっちを使うといい。このケーキは私の奢りだ」
「あ、ありがとうございます」
「さすが、マスター。ダンディズムの塊だね」
「……少しは見習え。かっこいい先輩を気取りたいならな」
「ふふっ。肝に銘じておくよ」
会話が終わった。優しいからいいけど、マスターも変なヤツかもしれない。バイトさんと先輩ほどじゃないけど。
「あ、あの。先輩」
「なんなんですか、ここは……」
「言ったろ、カフェだって」
「いや、そうじゃなくて、なんというか、妙な雰囲気なので……」
「ああ、ここさ。実家なんだ、私の」
「は?」
「マスターは私の父でね。ついでにこちらのバイトさんは私の姉だ」
「どうも〜」
「娘が世話になっている。……アンタ、言ってなかったのか?」
「どうもそうらしいね、私としたことが。ゴールデンウィークの間に実家に帰るのが流行りらしいけどわ私としてはこの距離ならいつでも帰れるからね。わざわざ寮を空けるまでもないのさ」
「お父さんのこと、マスターって呼んでるんですか?」
「ああ。そう呼ぶと喜ぶんだ」
「……余計なことは言わなくていい、真琴。しかし、父親としては心配していた。こんな性格だから、友だちがいないんじゃないかってな。だが慕ってくれる良い後輩を持ったらしい」
慕ってはないんだけどな。
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