第30話

 ゴールデンウィーク。直訳すると黄金週間。この期間は社会人の諸兄諸姉にとってはもちろんのこと、私のような学生にとっても黄金にほかならない。日々積み重なる疲労とストレスを一気に解放するまたとない機会だ。

 澄河さんとの生活だって、入学当初イメージしていたほど嫌なものではなかったが、常に付近に人がいるというのは細かなストレスの種には間違いがなくて、特に一人っ子の私にとっては実はやりたかったけどできなかったことも山ほどあるのだ。


「それでは私は実家に帰らせていただきますね」


 簡単に荷物をまとめた澄河さんが夫に愛想を尽かした奥様のようなことを言った。セリフに対して表情は明るい。それは別についにDV夫から逃げる算段も覚悟もできた人妻の明るさではなく、久々に両親や妹の芹亜ちゃんに会えるから、というものであって私がどうこうということでは決して無いのだ。


「お迎えの時間だから、もう行かなくちゃ」


「うん、またね」


 そう言って振ろうとした私の右手を澄河さんは手に取って、両手で包むように握った。


「またね、すみか」


「う、うん」


 そろそろ澄河さんと会って1ヶ月経つが、この距離の詰め方にはまだ慣れない。私はいつまでも澄河さんを心の中でさん付けをして呼んでいる。たまに澄河さんの前でも「さん」を付けそうになってしまう。

 澄河さんに手を振って見送る。昨日の夜、ひかりちゃんと栞ちゃんも実家に帰ってしまった。1年生で実家に帰らず寮に残るのは、多分私一人だけだ。なにも両親とケンカしたとかそういう訳ではなくて、二人が連休で温泉旅行に行くので、帰る意味が特にないというだけのことだ。


 ☆☆☆


 私はやけに広々とした部屋の真ん中に横たわってみる。いつもは聞こえる周りの騒々しい話し声や、2日に1回はやってくる栞ちゃんやひかりちゃん、そしてもちろん澄河さんの声は聞こえず、寮母さんが箒で床を掃く掠れるような音だけだ。


(スマホで動画でも見よっかな……)


 澄河さんがいる間もYouTubeとかは特に遠慮せずに見ていた。同じ部屋にいるからって、常に会話がある訳じゃない。それはお互い無視しているというわけではなくて、違う人間がひとつ屋根の下暮らす以上それくらいのこともないようでは息が詰まって仕方ないのだ。


(あの映画、そろそろ公開なんだ……)


 アメコミヒーローの映画の予告編が広告として流れてきた。マーベルも長いこと続いている。アイアンマンが公開されたとき私は産まれてなかった。お父さんがロバート・ダウニーJrの最後のセリフがかっこよかったんだと熱弁していた。気になって観てみたところ、お父さんほどには感銘は受けなかったが、その日の夕食はチーズバーガーにしてもらったのは覚えている。

 澄河さんはもっとこう、ヒューマンドラマ的な映画が好きらしい。最強のふたりとか、最高の人生の見つけ方とか、そういうのだ。私もそういうのは嫌いじゃないけど、映画館で観たらぐっすりだろう。


(澄河さん帰ってきたら、誘ってみようかな。この辺、映画館とかあったっけ)


 広告をいい加減スキップして、お目当ての動画を見る。人気のあるゲーム実況者が何人か集まってパーティーゲームをしている動画だ。しばらく見てみたあと、なんだかつまらなくなってアプリを閉じた。


「暇だなぁ……」


 ついに、思考が口から飛び出た。授業なんかよりはよっぽどいいけど、暇なものは暇だ。とはいえ一人でどこかに出かけるのも心細いし、ゴールデンウィークに実家に帰っていない人がいるとしたら、それは間違いなく先輩にあたる人なので、その人を探して声をかけて遊びに行きましょうだなんて言うことは気後れなんてものじゃない。

 そもそも仲良い先輩もあまりいないしなあ……。やっぱり部活とか入っとくべきだったかな。そんなことばかり考えているうちに、誰かがドアをノックした。寮母さんかな。


「はい……」


 ドアをガチャリと開けると、見知った顔がそこにある。


「やあ、和宮くん」


「げ」


 あいつだ。久野パイセン。同じ階の先輩バカップルの片割れだ。


「おや、どうかしたかい?大きめの蝿でもいたのかい?」


 そこまで侮蔑しちゃいないけど、確かにそんな反応をしてしまったかもしれない。


「い、いえ、そんなことは。あの、何かご用でしょうか?」


「いやね、私のスウィートハニーが……ああ、綾のことね。天野綾。がね、実家に帰っちまったんだよ」


「愛想つかされたんじゃないですか?」


「ハハッ。面白いことを言うね、キミ」


 嫌味は通じなさそうだ。


「それで、何の用なんですか?」


「栞から聞いたんだ。『和宮ちゃんがゴールデンウィークひとりで寮にいるんです!カワイソウだから遊んであげてくださいっ!』だって」


 今のモノマネか?似てなかったな、全然。ていうかあの子は何を余計なことをしゃべってくれたんだ。


「そういうわけだから、先輩としては後輩との交流を深めようと思ってね」


「あの、間に合ってます……」


 ドアを閉じようとすると、久野はドアの間に足を差し込んでそれを防ぐ。


「照れちゃって、カワイイなぁ……」


「ひっ!」


「さあ、私と遊ぼうよ!」


「わ、わかった。分かりました!」

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