第27話

 私は昔から体育が好きじゃなかった。体力も運動神経もないに等しい私にとって、この時間は拷問でしかない。にもかかわらず、義務教育を終えた今になっても教育課程から体育は外されず、私は嫌々体育着に着替えて体育館に体育座りをしている。体育着といってもその正体は例の上等ジャージではあるが、普段は心地よい寝間着も今は悪魔の拘束具に姿を変える。


「今日は体力測定だ。2人組作れ。ただし、同室のやつはダメだぞ」


 サッカー部の顧問だという凛々しい先生が号令をかける。こうなると選択肢は事実上、ひかりちゃんか栞ちゃんだけだ。なんせ他の子は顔も名前もぼんやりだ。


「それじゃあ、ひかりちゃ……」


 言ったところで、栞ちゃんが私の肩に手を置いた。


「和宮ちゃん。私とやりましょう」


「え、あ、うん」


 なんだか目がギラついている。私は笑顔を取り繕って、「それじゃあ私らでやろっか」と和やかなひかりちゃんと澄河さんを見送った。


 ☆☆☆


 体力測定の種目は全部で9種目。そして今のところ、持久走とシャトルランという私にとって特別嫌なものだけ残して決着が着いた。全7戦で3勝4敗。接戦を制している栞ちゃんはギリギリ勝ち誇った顔をしていて気付いているかどうか分からないが、私たちは実に程度の低い所で争っている。さっきから隣で測定しているひかりちゃんと澄河さんのペアが、私たちのダブルスコアやトリプルスコアを平然と叩き出しているのを見て、この戦いに一体なんの意味があるのだと問いたくなるが、いかんせん私が始めた戦いではないので、問うべき意味など初めから存在しないことに気付くまでそう時間はかからなかった。


「明日はシャトルランを行う。各自しっかり休むように。では今日は解散」


 先生のその言葉で、今日のところはひとまず解放されたのだった。バキバキと音を鳴らす関節を労りながら更衣室に入っていった。


 ☆☆☆


「すみか、長座体前屈何センチだった?」


 着替えている間、澄河さんがそう訪ねてきた。


「……私はねぇ」


 身長を考慮しても平均値より明らかに低い数値を教えてあげたところ、澄河さんは一瞬目を丸くしたあと、「体が柔らかくってもそんないいことないもんね」と、フォローになっていないフォローをしてくれた。


「澄河さんは?」


「私はね……」


 身長を考慮してもあからさまに平均値よりも高い数値を教えてくれた。


「小さい頃バレエをやっていたから。昔取った杵柄、って言うのかな」


 私の両親もバレエを習わせてくれればよかったのに。いや、実際習わせてもらったところで3日で音を上げていただろう。


「じゃあすみか、腹筋は?」


「……」


 またもや平均値を大きく下回った数値を教えてあげて、またもや平均値を大きく上回る数値が帰ってくる。


「すみかのことは、何かあったら私が守ってあげるからね」


 かっこいい。根拠が体力測定の結果でなければ惚れちゃってたかもしれません。ただし今は残念ながら、私がひ弱だという事実をデータとして再確認したにすぎない。


「でも、ひかりちゃんもすごかったんだよ。ねえ、ひかりちゃん」


「まぁね。私ったらほら、一応中学から運動部だし」


「へぇ。なんかあったらひかりちゃんに守ってもらおっかな」


「しょーがないなぁ。みぃんなまとめて私が守ったげるよぉ。ねぇ、栞ちゃん。栞ちゃんはどうだったのぉ?」


「……和宮ちゃんには勝ってるよ。今のところね」


 栞ちゃんの眼鏡の奥にある、大きくて可愛らしい瞳に闘志がメラメラと燃え上がっている。ここで負けたら女がすたる、そんな目だ。見つめられているうちに、私もすっかりその気になってきてしまった。


「まあ、星取表は3勝4敗だけどね。勝ってる分はかなりギリギリだけど」


 私の黒星は握力は0.1kg、長座体前屈はピッタリ身長分、腹筋1回、反復横跳び1回。白星を数えると50m走は0.2秒、ハンドボール投げ10cm、立ち幅跳び10cm。トータルで言うと実は私が勝っているような気がしないでもない。


「……明日、決着をつけるよ、和宮ちゃん」


「……望むところだよ、栞ちゃん」


 明日私がシャトルランを制することができれば、決着は持久走にもつれこむ。シャトルランも持久走もスタミナを問われる種目だ。明日勝てれば、持久走にも勝ちの目が生まれる。私たちの視線がぶつかり合い、バチバチと火花を散らす。ギャラリー、すなわち澄河さんとひかりちゃんはぱちぱちと素朴な拍手を鳴らしてくれた。


「ほら、いつまで着替えてんだ。次のクラス来ちゃうぞ」


 先生のその声に我に返って、私たちは慌てて制服を着て教室に走った。

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