第15話
喫茶店でしばらく時間を潰して、寮に戻る道を歩く。ひかりちゃんと栞ちゃんは私の前を歩いて、二人で楽しげに会話をしている。
澄河さんは私の手を握りながら、何も言わずに歩いていた。澄河さんの手は温かかったけどどこか力が入っていないような感じがした。私も澄河さんに手を握られるまま、手がすり抜けないことだけを気にしていた。
日は暮れ始めていて、空が少しずつ赤みを帯びる。明日は日曜日だ。悲観することはないけれど、一日が終わろうとしているこの感覚にはいつも慣れないでいる。
「ねぇ、澄河」
「な、なあに?」
澄河さんには、いつかのような勢いがない。
「元気なさそうだけど、どうしたの?」
「べ、別に、なんでもないですよ?」
「……もしかして、楽しくなかった?」
「そ、そんなことないよ!ただ……」
「ただ?」
「……ううん、なんでもない。ごめんね」
「そっか……」
「……」
「……それじゃあさ、他のこと、訊いていい?」
「う、うん」
「澄河、受験の日、私と会ってたんだよね。でも、私そのこと覚えてなくて。よかったら、聞かせてくれないかな」
「……いいよ。でも、今はまだダメ。寮に帰って、二人きりになったら、話す」
「分かった。……お昼の中華料理、おいしかった?」
「うん。また行きたい。あの喫茶店も」
「そうだね。あのお店のケーキとか食べそこなっちゃったし。今度はお腹すかせてから行こう」
「うん」
澄河さんの手は私の手を握っている。この調子なら、すっぽ抜ける心配はなさそうだ。
☆☆☆
私は正座をして、澄河さんが話し始めるのを待っている。多分だけど、ここに来てから毎日正座している気がする。今はちゃんと話を聞くためだ。日本人として正座がDNAが刻みつけられてるかもしれない。日本人以外も正座くらいするんじゃないのかしらなんて、ちゃんと調べたところで一晩もしないうちに忘れそうな疑問が降って湧く中、私は澄河さんを見ていた。
その澄河さんは、部屋に戻ってから数時間、いまだ決心がつかないようで、モジモジとしながら同じように正座をしている。澄河さんをただ待っているだなんて我ながらなかなかの我慢強さだと思うが、一人で勝手にコロコロと表情を変える澄河さんは見ていて楽しかった。とはいえ足の痺れはどうに取り返しのつかないレベルまで突き進んでしまっている。
「あ、あの、澄河?」
「ご、ごめん。ちゃんと話すから。もう少し待って」
この会話も何回繰り返したか分からない。今は足の痺れだけではなく、夕飯を食べてないことによる空腹も私を苦しめている。
「あの、足、崩してもいい?」
「え?別にいいけど……」
正座なんか最初からするんじゃなかった。おっかなびっくり足を伸ばして、しばらく渋滞していた血流を巡らせる。
「……すみか、あの日、雪降ってたの、覚えてる?」
私が痺れを切らしたとみたのか、澄河さんはポツポツと話し始める。
「うん。覚えてるよ」
あの日は酷い雪だった。電車は遅れるわ、体は震えるわ、とてもいい思い出とは言えない。
「あの日、私初めてこの学校に来たの。寒くて不安で仕方なかった。それで私、校門の前でうずくまっちゃって」
そういえばそんな子がいた気がする。そうだ、その子に声をかけて、保健室まで連れていった。
「もしかして、あの子?でも、全然雰囲気が違うような……」
「私、受験勉強のために、髪とか色々おざなりにしてたから。もしかしたらだいぶ変わっちゃったかも」
そういえばあの子はかなり長髪だった。顔もほとんど隠れていたが、言われてみれば面影がある気がする。
「それで、保健室で横になった私に、『がんばろうね』って言ってくれた。競争相手は少ない方がいいのに、そんな優しいことを言ってくれるなんて、私嬉しかったんだ。それで勇気をもらって、試験も頑張れて、今ここにいる」
そういえばそんなことを言った。別にそこまで深い考えがあったわけじゃないし、なんなら試験開始直後には私以外全員お腹下せばいいのにと祈っていた。私はそこまで優しい人間じゃないのだけど、別に言う必要はないので黙っておくことにした。
「だからね、すみか」
「は、はい」
「すみかは私にとって恩人で……。そして、今は同じ部屋にいる、素敵な人」
澄河さんは私の手を取る。私はされるがままだ。
「ねえ、すみか、私と……」
「な、なんでしょう」
「……私と、友だちでいてくれる?」
「あ、はい。もちろん」
何を言われるかと思った。考えてみればそりゃあそうだ、なんせまだ3日目だ。
「すみか、お腹空いちゃった。食べに行こ」
「……うん。そうだね」
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