第7話
食事を終え、私たちは部屋に戻ってきた。時刻は夜7時。全寮制であるために朝の心配はそこまでしなくていい。始業は8時半なので、8時20分に起きれば十分間に合う。実際は朝食やら支度やら身の振り方やらで7時には起きるつもりだが、それにしたって眠るにはまだ早い。たとえ幼稚園児だとしても眠るには早いだろう。
私は部屋の真ん中にひとりで座っている。澄河さんは浴場へ向かった。浴場は寮の地下にある。澄河さんには一緒に行こうと誘われたが、「澄河さんと一緒は恥ずかしい」の一点張りでどうにか回避した。裸の付き合いをするには心理的なハードルがあまりに高い。澄河さんも食い下がってきたが、何回か問答を繰り返すうち勝手に何か納得したらしく、くすりと微笑んで浴場に向かった。
じゃあ私はひとりで何をしているのかというと、澄河さんのことを考えていた。といっても青春の甘酸っぱい感じのそれでは断じてない。これは孫子の兵法のごとく、いかに立ち回りいかに勝利を掴むか、その一点に重きを置いたあくまで戦略的な思考なのだ。
まずは状況を整理してみよう。
私こと和宮すみかは中流家庭出身の一般人。周りの皆さんと比較して実家がか細いので、万が一にも嫌われる訳にはいかない。といっても、ご機嫌を取りすぎて舐められてもいけない。これは私の雑草根性によるものだ。
ここは全寮制で、同室は深山澄河。本人に直接聞いた訳ではないが、おそらく深山財閥のご令嬢とみて間違いない。でなければ深山さんが今日一日で見せた所作の端々に映るエレガンスに説明がつかない。
その澄河さんだが、私と入試の日に会っていて、そのとき私がしでかした何がしかに大層感謝しているらしい。そのため私と仲良くなりたいとのことだが、その距離の詰め方は友人としてのそれとはとてもとても思えない。
さて問題はこれからどうするか。今更部屋替えを申請するわけにはいかない。不可能ではないにせよ大きな禍根を残しかねない。とはいえ、澄河さんの熱視線を浴び続けて正気でいられる自信がない。そして最重要事項は澄河さんの機嫌を損ねないこと。万一にでも澄河さんを怒らせるようなことがあった場合、その怒りは我が和宮家の経済を崩壊させかねない。
「どうしたもんかなぁ……」
唸っていると、澄河さんが浴場から戻ってきた。
「すみかさん、戻りました」
肌が火照っていて、頭にはタオルを巻いている。しっかりと温まってきたようで何よりだ。
「おかえりなさい。どうでした、お風呂?」
「少し小ぶりでしたけど、ゆっくりできました。クラスの他の方もいて……なんだか新鮮でした」
そう言って笑う澄河さんの頬は赤らんでいて、少し妙な心持ちになった。いや、澄河さんは疑いようもなく美人だ。血色が良くなってより別嬪さんに見えたためにちょっとばっかり驚いただけだ。
「じゃ、じゃあその、私もひとっぷろ浴びてきますね」
私は自分の中に芽生えた感情に蓋をしてついでに重石を乗せて、私は浴場に向かった。
☆☆☆
「どこが小ぶりだよ……」
浴場は広かった。それこそホテルの大浴場くらいだ。サウナまでついてる。見た顔が何人かいる。私は軽く会釈して洗い場の丸椅子に座った。鏡の前に並ぶシャンプーは、ひとつとっても名前だけは聞いたことのあるハイブランドだ。卒業したあと安物は受け付けない体になっていたらどうしようか。せっかくなのでいつもより多めにシャンプーを使って髪を洗った。
一通り体を洗ってから、浴槽に浸かる。熱すぎずぬるすぎないお湯に今日一日の疲れが溶けていく。そういえばリュックに詰め込んできた荷物は重かったし、入学式やらなんやらで結構気も張っていた。私は今日一日で疲れていたんだなぁ、と実感する。
「あ゛ぁ〜〜」
情けない息がまた漏れた。慌てて周りを見回すと、お嬢様方がくすくすと上品に笑っている。私は恥ずかしくなって赤くなってくのを感じた。
「気持ちよさそうね、和宮さん」
「栞さん」
眼鏡をかけてなかったから分からなかった。こうしてみると思ったより幼い顔立ちだ。考えてみれば、ついこないだまで中坊だったわけだし、私と同じで。
「ひかりさんは一緒じゃないんですか?」
「ええ。ひかりさんったら、私に見られるのが恥ずかしいんですって。意外と奥ゆかしいところがあるのよ」
そう言って栞さんも上品に笑った。
「そういえば和宮さんこそ、深山さんはご一緒じゃ?」
「その、私もなんだか恥ずかしくって」
澄河さんに言ったのと同じ言い訳を栞さんにもしている自分が少し可笑しい。本当は全裸で部屋まで戻ったって構わないんだ、寒くさえなきゃ。
「和宮さんは思った通りの奥ゆかしさね」
「あはは、どーも」
我ながら乾いた返事だ。
「ねえ和宮さん。私たち、もっと仲良くなれると思うの。お隣さんとして、よろしくね」
栞さんの言葉は素直だ。素直というか、変な裏がない。それにしたってむず痒いが、私も素直に受け取ることにした。
「うん。よろしくね、栞さん」
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