第5話

 しばらく談笑したあと、栞さんとひかりさんは自室に帰っていった。まだ荷物の整理が済んでないらしい。


「賑やかな人たちだったね、深山さん」


「そうですね、和宮さん」


 深山さんのことは、とりあえず深山さんと呼ぶことにした。深山さんも私を和宮さんと呼ぶし、自分と同じ名前だからくすぐったいというのもある。

 深山さんは敬語を止めるつもりはないらしい。


「私たちも、その、荷物を整理しましょう。お夕飯まで、まだ時間もありますし」


「そ、そうだね」


 なにかが深山さんから伝染した気がする。入学式のスピーチはあんなにスラスラ話してたのに、今ではこうも会話が詰まる。きっとものすごく人見知りなんだろう。これは手間のかかる子だ。


 ☆☆☆


「う゛ぅ〜ん」


 整理が一通り済んだところで、背中をぐっと伸ばす。固まった筋肉がほぐれる気持ちよさに任せてまた変な声が漏れてしまった。

 はっとして深山さんの方を見ると一瞬目が合ったような気もしたが、すぐにそっぽを向かれてしまった。

 変な声が聞こえて振り返ったら私がいたとか、そんな感じかしら。ここは気付かなかったフリして話しかけてみようか。


「ねえ、深山さん。整理済んだ?」


「は、はい」


 時計は今16時半を指している。17時から20時までの間ならいつでも夕食を食べられる、まるでホテルみたいなシステムだ。さっき、栞さんとひかりさんと一緒に夕食を食べる約束をした。


「約束は17時半だよね。少し時間、余っちゃったね」


「あの、和宮さん!」


 そう言った深山さんの声が思ったより大きくて、私は少し驚いた。もしかして怒られるのかな、初日から。


「は、はい、なんでしょう」


 ようやく脱したと思った敬語が帰ってくる。


「少し、歩きませんか。」


 ☆☆☆


 前を歩く深山さんを、少し離れてついていく。深山さんは私より背が高い。歩く姿は百合の花なんて言葉が脳をよぎり、そういえば朝も同じようなことを考えたことを思い出した。


「いやあ、少し寒いですね」


 すっかり敬語が定着してしまった。こんな風に立って歩くと、実家の太さ云々ではなく、なんというか人間として負けている気がする。私の中の深山さん像がまったく定まらない。さっき頭の中で「この子」とか呼んでいた自分がとんでもなく無礼に思える。


「和宮さん」


 深山さんはそう言って突然立ち止まった。


「は、はい」


 私もそれに合わせて立ち止まる。深山さんは一度深呼吸して、それから私の方に向き直った。


「その、お伝え、したいことが……」


 なんだろう。お説教かな。「あなた馴れ馴れしいですわ!」とか、「うっとーしいですわ!」とか。その辺かな。


「ごめんなさい。きっと私、酷い態度でしたよね。でも、きちんと理由があるんです。

 ……あの、和宮さんは、入学試験の日のことを覚えてらっしゃいますか?」


「入学試験?」


 金鳳花の入試は確か二月の頭だった。降りしきる雪にガクガク震えながら心臓をバクバク鳴らして電車をガタゴト乗り継いできた。

 問題は難しかったし、周りの人たちは妙にお上品だしで、正直あまりいい思い出では……いやでも、合格したんだからいい思い出ってことでいいのかな。


「あの日、私、和宮さんにとっても親切にしていただいて……」


 ???

 私何かしたっけ?

 そもそも、深山さんと会った覚えがないぞ??

 そりゃあ、入試なんだから深山さんもそこにいたはずだ。でも、私は正直他の人のことを気にしていられる状況じゃなかったし、まして親切なんてとてもとても……。


「やっぱり、覚えてないんですね」


「え、あーっと……、すみません……」


 あの日のことをもう一度思い出してみる。教室に入って、受験番号の貼ってある机に座って、問題を解いて……。

 どれだけ考えてみても、そこに深山さんの姿はなかった気がする。


「い、いえ、そんな!……きっと、和宮さんにとっては大したことじゃなかったんですよね」


「は、はあ……」


「……素敵、です。きっと、あれくらいのことなら和宮さんにとっては日常茶飯事なんですね……」


「は、はあ、どうも……?」


 深山さんの態度は明らかにさっきと違う。なんというか、妙なスイッチが入ったような、そんな感じだ。


「ひかりさんと栞さん……ずるいです。こんなにすぐ、和宮さん……いいえ、すみかさんと仲良くなっちゃうなんて。でも、おふたりのおかげで私も決心がつきました」


「なんの、ですか?」


 私は恐る恐る尋ねてみた。


「すみかさん。私のこと、澄河、って呼んでくださいますか?」


「へぇっ!?」


 なんだなんだ。いきなりグイグイくる。さっきまでの深山さんとはまるで別人だ。深山さんはつかつかと私の方に歩み寄ると、私の両手を包み込むように握ってくる。


「あ、あの、深山さん?」


「いやですわ。澄河と、呼んでください」


「え?えー、えーっと、あのー、す、澄河、さん?」


「はい!」


 澄河さんこと深山さんは、その美しい顔に満面の笑みを輝かせる。私はその笑顔を前に、なんというか、この人には勝つことはできないと悟った。

 それは家柄でも、人間としてでもなく、いや何かは分からないけど、とにかく私にはそう感じられた。

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