第4話
「鳩サブレ!私大好きなんだあ」
瀧川さんは嬉しそうに鳩サブレにかぶりついていた。正直なところ、彼女からはお嬢様らしい所作は感じられない。決して下品な訳ではないが、真っ当な礼儀作法に則っている訳でもない。いや、私だって真っ当な礼儀作法なんて知っている訳じゃないけど、なんというか、私の中学までの友達に雰囲気が近い。
(もしかして瀧川さんも庶民?)
「パパのスポンサーさんがよく送ってきてくれるの!」
(違った)
「スポンサーさんって?」
野上さんが尋ねる。
「うちのパパね、野球選手なんだ。瀧川サブローって言うんだけど、知ってる?」
「知ってる……」
今は確かメジャーで活躍していて、年間だか累計だかで2000だか3000だかの安打を達成したらしい。私は野球のことはあまり知らないけど、サブローの名前と、メジャーリーガーが桁違いの年俸を貰っていることは知っている。
瀧川さんが洗練されたお嬢様じゃないのは、サブロー選手が生まれながらのお金持ちじゃないから、瀧川さん自身もお嬢様としての立ち居振る舞いを知らないってことなんだろう。
「本当?父がサブロー選手の大ファンなんだ」
野上さんは目を輝かせてそう言った。そういえばこの二人は随分と仲良しに見える。教室にいた野上さんは何となく冷たい印象だったけど、今の野上さんは年頃の女の子って感じだ。
「本当?じゃあ今度うちにおいでよ、パパが帰ってくるタイミングでさ。栞ちゃんが来てくれたらパパも喜ぶと思う」
気になるのは、野上さんと瀧川さんの異様な仲の良さだ。
「あの、二人はお知り合いだったんですか?」
「んーん。今日はじめましてだよ」
「ええ。でも、これから一緒に暮らすんだから、堅苦しいのはナシにしようって、ひかりさんが」
「な、なるほど」
深山さんはやたらと感心した様子だ。確かに、野上さんたちの言うことも一理ある。
「えっと、じゃあ……。澄河、さん」
「はい、す、すみかさん」
その後、気まずい沈黙が流れる。顔が紅潮していくのが分かる。
「あちゃー、どっちも同じ名前だったね、そういえば」
「良いんじゃない?二人は分かるでしょ、お互いに」
「それもそっか。せっかくだからさ、私たちのことも名前で呼んでよ」
まったくこの人たちは、人の気も知らないで。まあいいや、友だちは多いに越したことはない。この二人ならすんなり呼べる気がする。
「じゃあ、ひかりさんに、栞さん」
ほら、すんなり言えた。いくらお嬢様と言っても私と同じで所詮小娘。きっと変に意識するから悪いのだ。すみ……深山さんとて私とおんなじ小娘のはず。たまたま名前が同じ読みなだけ。そう、緊張する必要なんてないんだ。
「ひ、ひか、ひかりさんと、し、し、栞、さん」
深山さんの方はそうでもないようだ。人の名前を呼び慣れていないのかもしれない。さっきよりも顔が赤くなっている。可愛いところもあるじゃないの。
「そ、そういえば、私たちも他の部屋の皆さんにご挨拶するべきじゃないでしょうか。せめて、同じ階の方々くらいは……」
この子ったら話題をすり替えた。でも確かに深山さんの言う通りだ。
「私たちの隣ってことは、203になるのかな?」
私はさりげなくタメ口にしてみる。
「ええ、そうですね……」
ガードが硬い。
「まあ、後でいいんじゃないかな。ほら、この後お夕飯で顔合わせできるって」
完全にタメ口に移行できた。馴れ馴れしいと思われてないかな?いや、嫌われちゃいけないけど、かといって舐められでもダメだ。あくまで対等。
「そ、そうですね。そうですね、お夕飯……」
ぎこちないな。
「たしか、各階の3号室と4号室には二年生、5号室と6号室には三年生がいるんじゃなかったかしら?先輩たちの始業式は明日だから、今日はまだ実家にいて帰ってきていないと思うわ」
「詳しいね、栞さん」
栞さん呼びは定着した。よし。
「ええ。三つ上の姉もここに通っていたの」
「お姉さんはなにしてるの?」
ひかりさんがそう尋ねた。こっちも定着した気がする。
「大学生よ。今はスイスに留学して、父の跡継ぎになるため勉強しているわ」
「お父さん?」
「ええ、代々政治家の家系なの。内緒にしていてね?父や党のことをよく思う人ばかりではないから」
政治家ときいてピンときた。確か野上なんたらとかいう大臣がいた気がする。あれは多分お父さんじゃなくておじいちゃんだけど、息子もきっと衆議院か参議院のどっちかにいるのだろう。
つまりあれだ。
今この部屋にいるのは、経済界と政界とスポーツ界の大物たちのご令嬢というわけだ。
そして私は、二流企業の係長(父)と美容師(母)の娘だ。
……。
いや、これ以上はやっぱりよそう。切なくなるだけだ。
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