融解

第1話

 その横顔は、いつだって美しかった。

 澄んだ水を湛えた意志の強さを感じる美しい瞳、すっと通った鼻筋、形の良い薄い唇。精巧に誂えられた人形のように整ったパーツで構成された彼の横顔を眺めていると、ふと私の眼差しに気づいた瞳がこちらを捉えてゆうるりと口角はあがり、目が楽し気に細められる。整った冷たい横顔が少し崩れて温度をもって私に向けられる、その瞬間が世界で一番好きだった。

 同じクラスでたまたま隣になった。それだけの儚い縁だった。だからいつの間にか芽吹いた恋心を告げることなんて考えていなかった。彼が私に向ける眼差しを思い出すだけで一生を生きていける気がしたから。

 だからまさか、こんなことになるとは考えもしていなかったのだ。


 卒業からしばらく経って成人を迎えたころに開催された同窓会。とあるホテルの宴会場を借りて開催された会は皆がお酒を飲めるようになってから初めての同窓会だったこともあり、大変盛り上がっていた。

 その会場の端っこで私はひっそりと佇んでいた。同級生の大半が参加するから特に断る理由もなく参加したけれど、正直こういったにぎやかな場は苦手だしお酒は強い方だったからたいして酔うこともできず酔いが回った同級生のテンションについていけなくなったから。

 あと三十分ほどでお開きだろうし、それまでの我慢だ。そう思って慣れないヒールを履いた足が少し痛むのを感じながらスマホをいじっていた。

「――すずか」

 その声が鼓膜を揺らした途端、勢いよく顔を上げてしまった。なんで、なんであなたがわざわざ私なんかに。

 あまりに私が驚いた顔をしていたのがおかしかったのか彼――橘くんは私が大好きな笑みを浮かべて言った。

「なんでそんなに驚いてるんだよ。同窓会なんだからここにいても何もおかしくないだろ」

「それはそうだけど……。なんで私のところに来たの?」

 私の言葉を聞いた橘くんは少し傷ついたような顔をした。その理由さえ私は分からなくて戸惑った。

「なんでって……。久しぶりに話したいと思ったから?」

 その言葉に面食らう。同時に、橘くんの脳内に一ミリでも私の居場所があったことが嬉しくて思わず頬が緩む。

「……かわいい」

「え?」

 驚いて橘くんの顔を見ると橘くんも驚いたような顔をしていた。どうやら、零すつもりのなかった言葉だったらしい。

「う、あ、えっと……」

 しばらく動揺の色を浮かべていた橘くんは意を決したかのように私の方を見て言った。

「……可愛いっていうのはそのままの意味。相変わらず可愛いなって思ったの」

 今度は私が混乱する番だった。橘くんが「可愛い」といったことにも、それが「相変わらず」だったことにも。

「からかってる……?」

「大真面目だよ。隣の席になって俺のことをじっと見つめてる時の顔、可愛くて愛おしくて仕方なかった」

 やっぱり気づかれていたんだ。そのことに驚く。どう言葉を返していいかわからずに黙り込んだ私を見て、橘くんは言葉を続けた。

「俺のこと愛おしいと言わんばかりに伝えてくるすずかの目が好きでさ。瞳が少し潤んで目じりが垂れて、穏やかに笑う表情が好きだった。……でも席が変わった途端にすずかはそっけなくなってさ。寂しかったよ、おれ」

 そう言って寂しげな表情を浮かべた橘くんの横顔は相変わらず美しくて、こんな時だというのにぽうっと見蕩れてしまう。顔の熱が上がってうわごとのように私は言葉を紡ぎ始めた。

「私も橘くんが笑った時の顔が好きだったよ。冷たくて綺麗な顔が私を見てあったかくて優しい顔に変わるところが好きだった」

「じゃあ、なんで……」

「なんでって言われると難しいけれど、たぶん私なんかが橘くんに触れちゃいけない気がしたんだと思う。橘くんはとびきり美しくて、綺麗で、素敵だったから。だから、席替えで隣になったあの時だけで満たされてた。そっけなくしたつもりはなかったけれど、傷ついたならごめんなさい」

 心の奥底にあった思いを吐露するとじわじわと恥ずかしさが増してくる。橘くんはどんな顔をしてるのかなと顔を上げようとしたとき、ぎゅっと手が握られた。

「確かに俺はさ、人より恵まれた容姿をしているかもしれない。でもさ、すずかと同い年の人間だよ。神様でも人形でもない。ほら、俺の手あったかいだろ」

 初めて感じる橘くんの体温にじわじわと体の熱が増していく。――ああ、橘くんも赤い顔してる。その赤い顔を見て思わず言葉が零れる。

「ねえ、橘くん」

「なあに?」

「私さ、ずっと橘くんのことが好きだよ」

 言うつもりのなかった、鍵をかけていた想いが堰を切ってあふれ出した。好き、好き、大好き、愛してる。心の中に閉じ込めていた想いは自分が思っているよりも大きかったようで、そのことにまた動揺する。そんな私を見て橘くんはお砂糖たっぷりのお菓子のように甘い甘い声音で告げた。

「俺も、大好きだよ」

 その言葉と共に浮かべた笑みを、私は生涯忘れることはないだろうと思った。とびきり綺麗でとびきり甘い、世界一美しい笑みだった。

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融解 @boctok2226

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