思い出

桜靖

本編

今日もダメだった

編集者のエントランスドアを押して外に出る僕はため息をついた。

僕は長期連載を目指す若手漫画家。と言ってももう27歳だけど…

所謂夢を追う若者から諦めのつかない世間知らずにうつりかわろうとしていた。

作品になれなかった紙たちの入った封筒をかかえながら秋の街路を通る。主婦の犬の散歩や部活帰りの中高生を横目に自宅のアパートについた。

自分の苗字[横山]のとなりの[佐藤]の名前に目がいく。

1週間ほど前に越してきた女子大生だ。

最近ではめずらしくわざわざ引っ越しのあいさつまで来てくれた。地方の生まれらしく独特の訛りが入っていた。身長は160㎝くらいだろうか,いかにも上京したての田舎っぽさの残る娘だった。

同じことの繰り返しで彩のない僕の生活ではめずらしかったのでよく覚えている。

ほほえましく思いながら自室のカギを開け中へ入った。

いつも通りの散らかった殺風景な部屋が広がっていた。






今日も僕は次の連載を目指して短編を描き散らす。

朝はまだいいのだがだんだん集中力が切れてくると周囲の音が気になり始める。特に僕は2階の角部屋だもんで隣のガールの音はよく聞こえてくる。なに?隣に越してきた女の子だから隣のガールと呼ぶようにしたのさ。

次に編集社へ出向く頃にはずいぶんと隣のガールの生活の勝手がわかるようになっていた。だいたい朝の9時に出かけ夕方の6時に帰ってくる,バイトはしていないみたいだ。

僕が編集社に出向くのは決まって金曜日だ

「これでいきましょう!!」なんてなった時には僕も華金の仲間入りして立ち飲みで一杯でもして帰るのだ。ちなみに今日は仲間に入れてもらえなかった。

もう諦めどきなのかなと思いながら独りで眠った。






隣のガールが越してきて2度目の土曜日になった。

若手中年漫画家の朝は遅い,隣の盛り上がる声で目が覚めた。どうやら男が家に来ているみたいだ。

僕は土曜日は何もしないと決めているんだ,今日は趣味の映画でも見ようかな。とりあえず腹が減ったから近くのファミレスでも行こう。

昼時前に滑り込んだファミレスではドアの前に列ができはじめていた。ファミリーに申し訳なくなり,そさくさと食べ終わると僕は横にあるビデオ1に入った。今日はランボーシリーズでも見ようかな。

家に帰り『ランボー』『ランボー/怒りの脱出』を見終わり夕食を食べ『ランボー3/怒りのアフガン』が中盤に差し掛かったところで隣からロマンポルノが聞こえてきた。僕はテレビの音量を下げた。男の声が邪魔なんだよな。

まだ見終えてないDVDを箱に戻してふて寝した。






あれから2週間が経った。

どうやらやっぱり隣のガールには彼氏がいるらしい。毎週土曜日は遊びに来ているようだ。

まぁ未だに大きな連載を掴めてない若手中年漫画家は今日も短編を描き続ける。

「少し冷えてきたな」

季節は立冬を過ぎ冬の空気を感じる室内,僕はストーブをつけた。

灯油の少し濁ったような香りがした。

-ピンポーン-

あら隣のガールかしら。どうしたんだろうか,なんか怖いな

パパッと身だしなみを整えて扉を開けるとダンボールを抱えた可愛いガール

「実家からたくさん送られてきて,少しおすそわけです!」

「え,いいんですかこんなに。ありがたいなぁ」

「こんなにあっても食べきれませんから,腐らせてしまうとこの子達も可哀想ですし…」

「ありがたくいただくよ」

ダンボールを受け取るとずっしりと重い,これをひょいと持っていたのか。

「また今度お返しを持って行くよ!」

もう少し僕も若かったら「上がっていきなよ」なんてひとこと言えるんだろうな

「はい!漫画頑張ってください!!応援してます」

こう見ると最高にかわいいじゃないの

「うん,ありがとう。寒いから体調には気をつけてね」

ガールは隣に帰って行った。






「えっ!!連載ですか!?」

僕は初めてでは無いものの今までで一番大きな目標ときていた雑誌での連載を掴んだ。これは報告しないと!

親には漫画家を目指した時点で勘当され,絶縁状態の僕が思い浮かべるとすれば隣のガールしか居なかった。

今は土曜日の午後2時,彼氏は来ていないはず。少し考えたが僕は我慢できずに外へ出た。

-ピンポーン--ガチャ-

名乗ろうとする前に扉は開いた。

「どうしたんですか!?横山さん」

「実はついさっき連絡があってヤング○○での連載が決まったんです!!」

「え!あの大手の!?おめでとうございます!! 少し上がっていきますか?」

「いや,土曜日の昼間に,そっちの予定もあるだろうから申し訳ないよ」

「私はずっと隣で応援してた横山さんのファンですよお祝いさせてください!それに予定はさっき無くなったので…」

「そうか,じゃあお言葉に甘えて。ありがとう」

彼女はお祝いにとりんごのタルトを焼いてくれた。やっぱりりんごガールだ。

どうやら今日は彼氏が急用で来れなくなってしまったらしい。。






大きな連載を迎えアシさんにもついて貰うことになったので,僕は事務所兼自宅用にもう少し大きな物件を借りることにした。今日はその引越し準備に取り掛かる。

あまり費用をかけたくないので,荷物は最低限のものをレンタルした大きめの車に積んで運ぶことにした。幸い今の住居からそんなに遠くはないので,数回に分かれば2日もあれば終わりそうだった。

明日は予定があるからと隣のガールが手伝いに来てくれた。ガールには箱詰めを頼み,車への運搬は僕がやった。新居に家具を運ぶ車の中で僕たちはいろんな話をした。彼女を乗せる最後の往復で言っていた。

「もう私,隣のガールじゃなくなっちゃうんですね」

「急な引越しになっちゃったからね」

家に戻るとガールがりんごを小さな手提げに入れて数個渡してくれた。

「この子達も連れて行ってあげてください」

「うん,ありがとう。君にも君の実家にも感謝だね」

「はい…」

僕は励ますように少しおどけて言った「お別れですね」

「えー寂しいな」本気で寂しそうな顔のガール

「じゃあ電話番号交換しよっか」

「そういえば,まだでしたもんね」

半年以上隣に居たのに最後の日に交換するなんて少し不思議かもしれないけど,僕らは電話番号を交換し合った。

車の窓枠越しに話す

「それじゃあ、さようなら」ガールは微笑む

「うん,辛いことがあったら電話しなさいね」なんてね




僕は昨日最後の往復のために車を走らせた。助手席に置いていた手提げからりんごを取り齧る。彼女と似た甘い香りのする味だった。

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思い出 桜靖 @ousei777

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