第26話

       26


 高木虎雄の殺害?

 なんでいまさら。その容疑は晴れてるはずだろ?

 おれにはアリバイがある。北海道にいたんだから。


     * * *


 喫茶店には、渉が先導して入った。

 警戒していたが、店内は平穏そのものだった。客は十人ほどいて、入ってきた渉と香坂に視線を向けるものの、とくに意味のこもった眼光はなかった。

 店員も、ただの店員にしか見えない。

 約束の時間はまだのはずだが、奥の席に溝口が座っていた。かわった様子はない。窓からは離れているので、あの席なら安全だろう。もっとも、やつらがその気になれば、この店に銃器を持って突入してくることもできるし、この店ごと爆破することだってできる。

「溝口さん……」

 香坂がなにかを言いかけたが、やめたようだ。

「なにかあったんですか?」

 溝口が言った。二人のあいだの空気で、そう感じ取ったのだろう。

「いえ……なにも」

 香坂は、狙われたことを隠すつもりのようだ。やつを信じているのか……それとも、隠すことでこの男の疑いをさぐろうというのか……。

 渉としては、どちらでもよかった。溝口が敵にまわるかどうかは、些細な問題だ。

 席に座って、適当なものを注文した。

「高木虎雄についてなんですけど……どういうふうに殺されたんですか?」

 香坂も紅茶を注文してから、そのようなことを口にした。溝口は面食らったようだ。

「……申し訳ないが、そういうことはわからないんです。捜査状況などは、こっちに入ってこない」

「どうしてですか? いろいろと話を訊かれたんでしょ?」

「捜査に加わっているわけではありません。容疑者に近い」

「それでも、あるていどのことは……」

 みかねて、渉は割って入った。

「捜査をしている部署が、普通のところじゃないんだろ」

「そうだ……捜査一課と名乗ってたが、知った顔はいなかった。たぶん、公安か……それとも──」

 そのさきを溝口は言わなかった。公安部であったら、まだいいほうだ。ヘタをすると、警察とは名ばかりの暗殺集団かもしれない。倉田を襲撃したあの大男や、今日の狙撃をこころみた人間たちが動いているおそれもある。

「そうですか……では、べつのことをお聞きしていいですか?」

「私にわかることでしたら」

「森元拓、という死刑囚のことを知っていますか?」

「森元拓……いいえ。どんな事件ですか?」

「十七年前におきた一家四人殺害事件です」

「場所は?」

「東京です。一家の住まいは三鷹でした」

「本当に十七年前ですか?」

「はい」

「……」

 溝口は、本当に思い当たっていないようだった。

「その事件で捕まった犯人は森元拓というのですが、じつは真犯人は、倉田哲人なんです」

「あの倉田ですか!?」

 溝口の驚きは、自然にみえた。

「どういうことなんですか?」

 香坂が、これまでに知りえたことをかいつまんで説明した。

「倉田が殺し屋だというのは、本当のことだった……」

 そのつぶやきは香坂にではなく、渉に向けられていた。

「そういうことだ。元警官と元裁判官、弁護士も殺した」

 その考えは以前に香坂が伝えているはずなので、動揺は少なかった。

「その三人と検察官の藤堂は、倉田が犯人として裁かれた事件で法をねじ曲げた」

「服役した事件で倉田は無実で、べつの殺人を犯していたということか?」

「そうだ。四人の殺害を隠すために、べつの事件の犯人として刑務所に逃げてたんだ。まあ、二件のうちの一件は本当に殺してるみたいだがな」

 溝口の表情には困惑が広がっていたが、それだけではなかった。

「そうか……そういうことか」

 倉田のことで思い当たることがあったようだ。

「なんとなくおかいしと思ってたんだ……倉田のアパートを張り込みしていたのに、急に本庁の方針でそれが変わった。倉田の後ろには、得体の知れないなにかがひかえてたってことか」

 そして溝口は一瞬、考え込んだ。

「検察官の藤堂というのは、おまえの事件の担当でもあったんじゃないか? それも、そういうことなのか?」

「おれが殺したことはまちがいない。だが、せめて過剰防衛ぐらいは認められてもよかった」

 その言葉の裏には、おまえが逮捕したことはまちがいではない──そういう意味もこめたのだ。

 恨んでいない、ということではないが。

「溝口さんは、一連のことにはかかわってないんですよね?」

 慎重に、香坂が問いかけていた。

「もちろんです」

 いまの質問で、溝口にも彼女が疑っていることがわかっただろう。

「藤堂武彦が殺されたことは知ってるか?」

「え? 殺された?」

 渉の言葉に、溝口は衝撃をうけたようだ。

「倉田に?」

「ちがう」

「じゃあ……」

 溝口の眼は、渉を睨んでいた。

「おれでもない」

「でも、どうして倉田じゃないとわかるんだ? やつは殺し屋なんだろう」

「藤堂が殺された時間、倉田は彼女といっしょだった」

「え!? 無事だったんですか?」

「無事だから、ここにいるんだろう」

 その言葉で、少し冷静になったようだ。

「で、倉田はいまどこに?」

「地獄だ」

「……殺したのか?」

「それもおれじゃない」

 たびたび弁解しているようで、気が引けた。

「それでは、藤堂と倉田自身も、べつの何者かに殺されたというのか?」

 にわかには信じられないというように、溝口の眼光は責めているようだった。

「本当です、溝口さん」

 香坂の声で、その瞳がゆるんだ。

「あなたのところには、なにも情報は入っていないんですか?」

「いまのいままで知りませんでした……というより、そんなことは刑事じゃなくても、本来なら一般人だって知っていなければおかしい」

 まったく報道されていない、ということだ。

「ほかにも、北海道ではいろいろありました……」

 その「いろいろ」の中身まで話すつもりはないようだった。

「わたしたちは、十七年前の事件を調べようと思っています」

「倉田が実際にやったほうの?」

「はい」

「……わかりました。私のほうでも、調べてみます。三鷹ですね? 犯人とされているのが、ええと……」

「森元拓です」                      

 それからいくつかの情報を交換して、溝口とは別れた。

 もし溝口が襲撃した人間とは無関係だった場合、いまの接触で、やつ自身にも危険がおよぶかもしれない。だが刑事であるのだから、そこは自分の力で切り抜けてもらうしかない。

 香坂には、その懸念は伝えなかった。過剰に心配するだろうから。

「わたしには、あの人が演技してるようには思えなかった」

 どこか勝ち誇っているのが癪にさわった。

「うれしそうだな」

「表情、変わってないでしょ」

「で、どう動く?」

 話を真剣なものに移した。

「今日のところは休みましょう。さすがに疲れたわ」

 東京にもどったばかりなのだから、女性なら当然の考えだ。だが香坂の口からそんな言葉が出たのは、意外だと思った。

 最初は、頭が良いだけの弱い女だという認識でしかなかった。しかし、そうではない。特殊部隊の猛者だった渉から見ても、彼女はタフだ。命の危険も何度かあった。瀕死の倉田を保護した度胸も、並大抵のものではない。

「わかった。だが、部屋にはもどれないぞ」

「わかってるわよ。あなたと行動をともにすればいいんでしょ」

 言葉の端々に嫌悪感が滲んでいたが、それには眼をつぶることにする。

 どこかのホテルに泊まることになった。

「また、あそこ?」

「それは、あんたにまかせる」

 彼女の先導で向かったのは、やはりラブホテルだった。どうやら一般のホテルよりも危険度が低いと考えているようだ。

「正直に言って、ホテルはどこでも同じだぞ。おれといっしょにいるところが安全なんだ」

 極論をいえば、彼女の部屋でもいいのだ。しかし自室に招くのはいやだろうし、それに万が一、爆弾でも仕掛けられていたときにはさすがに防げない。

「ここでいいわね?」

『ジュテーム』という名のホテルだった。都内にあるのが不思議なほどに、ネーミングセンスがない。

「まず、携帯の電源を切れ。絶対に外部と連絡をとるな。位置を特定される」

「溝口さんから連絡があるかもしれないわ」

「だめだ。やつの容疑が晴れたわけじゃない。だれも信用するな」

 しぶしぶ、香坂が携帯を操作した。

 標準的な部屋をとって、すぐに眠った。同じベッドに入ったが、すでにおたがいが、そんなことを気にしなくなっていた。

 疲れていたので、すぐに寝ついた。

 朝まで一度も起きなかった。

「ねえ、夢で見たんだけど……どうやって戦えばいいの?」

 起床して、開口一番、香坂は言った。

「なんのことだ?」

「だって、警察も司法も牛耳ってるのよ。マスコミだって、そう。そんな相手じゃ、どうすることもできないわ」

「ずいぶん、現実的な夢を見るんだな」

 てっきり、魔物にでも追いかけられる夢を見て、その魔物を退治する方法を問われたのかと思った。

「なにが現実的よ。あなたと知り合ってから、非現実の連続だわ」

「それはこっちのセリフだ。あんたと出会ってから、さんざんなことの連続だ」

 一応、言い返しておいて、話をもどした。

「どんな大物でも、戦い方はある」

「どうすればいいの?」

「まずは、正攻法で進むしかない。しかるべきときに、奥の手を出す」

 香坂に一瞬、顔をみつめられた。

「恐ろしいことを考えてるわけじゃないわよね?」

「恐ろしいかどうかは、受け取るその人によるな」

「……わたしは、聞かないほうがよさそうね」

 渉は、それについては明確な返事をしなかった。

 ホテルを出ると、香坂に携帯の電源を入れさせた。

「やっぱり着信があったわ」

 溝口から連絡があったようだ。

「もしもし、溝口さん?」

 さっそく、かけている。それほどまでにやつの声が聞きたいのかと、少しあきれた。

「──わかりました。ありがとうございます」

「なんだって?」

「いろいろ調べてくれてたわ」

「なにがわかった?」

「森元拓は現在、東京拘置所にいるって」

「だろうな」

 事件が東京でおこったのなら、死刑囚は小菅の東京拘置所にいるはずだ。渉自身も、刑が確定するまではそこに収監されていた。

 落胆した顔をしてしまっていたようだ。香坂は、軽く咳払いした。

「わたしだって、未決死刑囚が拘置所にいることぐらい知ってるわよ」

 法務省の職員なのだから、それはそうだろう。

「重要なのは、ここからよ」

 そう前置きを入れてから、彼女は続けた。

「森元拓の娘の居所がわかったわ」

「どこだ?」

 予想に反し、本当に重要な情報だった。

「横浜で暮らしてるって……『鶴見産業』という会社で事務の仕事をしているそうよ」

「行ってみるのか?」

「それしかないでしょう」

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