第24話
24
彼女の命を救った回数?
さあ、何回だったかな……どうでもいいことだ。
好きで助けたわけじゃない。ふりかかった火の粉をはらったまでだ。
* * *
小樽の中心地からタクシーを拾って、香坂の滞在するホテルに向かった。
名前があきらかにラブホテルのものだったので、運転手に伝えるのが恥ずかしかった。二十分ほどで到着した。
ホテルのロビーに入ったとき、不審な物音が耳に飛び込んできた。
壁……いや、ドアを蹴破ろうとしている騒音だ。おそらく二階。
エレベーターではなく、非常階段で向かった。
廊下に出ると、各部屋の扉を見て回った。たとえプロレスラーでも、ホテルのドアをそう簡単に破れるはずはない。が、三つ目に調べたドアが壊れていた。
なかへ飛び込んだ。
大男に片腕で宙づりにされている倉田の顔が見えた。白目をむいている。首の骨を折られたのかもしれない。
渉は、大男の背中に蹴りをみまった。
倉田の身体を放り投げて、大男が振り返った。どうやらプロレスラー以上の人間をヒットマンとしてよこしたようだ。
爬虫類のような眼をした男だった。
口には、やはり無機質な笑みがへばりついている。
「やめとけ」
一応、警告はしてやった。
大男は無言で右腕をのばし、つかんできた。
その腕の動きに合わせるように、カウンターで左の掌底を顔面に叩き込んだ。
大男は、少しよろけただけで倒れることはなかった。
「もう一度言うぞ。やめておけ」
大男が、同じ攻撃を繰り返した。
ただし、スピードは格段に速くなっていた。こちらの実力を認めて本気を出したのだろう。
だが、根本がまちがっている。
渉も、本気など出していない。
左の掌底、右の掌底。
大男が、ぐらついた。
膝をつきかけたところで、その膝の関節に蹴りを放った。
不自然な角度で大男は倒れた。
「ぐおおお!」
それまでサイレントキラーを気取っていた大男の口から、壮絶な悲鳴が絞り出た。
もう一生、まともに歩けないだろう。
壊れた膝に悶絶している大男に、渉はとどめをさした。
喉に向けて正拳づきを打ち下ろした。
死んだように、大男は気絶していた。
渉は、すぐにベッドの下を覗いた。
「無事か?」
「ど、どうして……わかったの?」
香坂が這い出てきた。
「隠れる場所は、そこぐらいだろう」
彼女の死体が室内になく、逃げたにしては廊下で会わなかった。
しかし香坂の関心は、倒れている倉田にそそがれていた。
「倉田さん!」
「……あ、あれを……」
まだ息があったようだ。が、長くはない。
「た、たのん……だ……」
「……わかった」
「たの、ん……」
その直後、完全に息を引き取った。
香坂は涙を流していた。
いつものような無表情で泣いている。
「情が移ったか?」
彼女は答えなかった。かわりに視線を倉田の亡骸から、襲撃者の巨体に向けた。
「……殺したの?」
「いや」
「いいんじゃない、殺して」
その言葉に、さすがの渉も驚いた。
「しばらく眼を覚まさない。警察がどうにかしてくれるだろ」
そんなことよりも、はやくここを離れなければならない。
「逃げるぞ。あれだけ大きな音をたてたんだから、人が来る」
ラブホテルという性質上、いまのところ部屋を覗こうとする客や従業員はいないが、いつ廊下に出て様子を見ようとする者があらわれるかわからない。
香坂の荷物も渉が持って、部屋を出た。
倉田のことが気になるようだったが、香坂の足取りはしっかりしていた。あのような襲撃があったのに、正気をたもっているのはたいしたものだ。
階段で一階に降りて、料金を支払った。
そのまま逃げてしまったほうがいいと思うかもしれないが、それでは犯罪者になってしまい、よけい面倒なことになる。部屋には倉田の遺体があるが、あくまでも犯人はあの大男だ。警察には参考人として追われるかもしれないが、あの大男がいるかぎり、指名手配されることはない。そのために、しばらく眠ってもらったのだ。
香坂がここまで運転してきたレンタカーに乗り込むと、とりあえず発進させた。
「どこに行けばいいの?」
「とにかく車で動いていたほうがいい。ホテルの部屋で襲撃されたということは、どこにやつらの眼があるかわからない」
ただし拉致されていたとはいえ、藤堂は車での移動中に襲われている。明確に安全な場所はない。
信号で停車しているときは、周囲の車に注意をはらっておいた。
「倉田と、なにを話した?」
「……いろいろとね」
まだ頭が整理されていないのか、香坂はそう答えただけだった。
「なにを託されたんだ?」
もっと具体的に訊いてみた。
「まだよくわからない……なにかの録音よ」
「録音?」
「そう。倉田が自ら殺した人間たちの……」
信号で停止したときに、ICレコーダーを渡された。捕まるまえには、こんなに小型化されたものはなかったから、すぐには使い方がわからなかった。
彼女の助言をうけながら、再生することに成功した。
『な、なにが……ききたいんだ……』
『十七年前の事件についてだ』
倉田の声だった。
『そ、それは……おまえのほうが詳しいだろう!? だからこそおまえは、十五年で出てこれたんじゃないか……』
『おれが捕まったほうじゃない。やったほうさ』
倉田が何者かを尋問しているようだ。
『……や、やったほう?』
『立件されたやつじゃない。さらにもう一つの事件についてだ』
『それについても、おまえのほうが詳しいだろう!? 四人も殺したのは、おまえ自身なんだからな……』
『あなたの役割は?』
『なにをいまさら……犯人にしたてあげた男を有罪にすることだ……でっちあげられた証拠をそのまま採用してな』
どうやら尋問相手は、元裁判官の熊谷健三のようだ。
『では、森本拓は無罪だな?』
『あ、あたりまえだろう! 実際にやったのは、おまえじゃないか!』
熊谷健三の激昂で、音声は途絶えた。
おそらく、このあとに殺害されたのだ。
「ほかにもある?」
べつの音声も再生した。
『しょ、しょうがないだろ! 御前からの指示だったんだから!』
御前──黒幕は、そう呼ばれていたようだ。
『証拠を捏造した……そのとおだりだ、おまえを逮捕したのも命令だったんだから、しかたないだろう!?』
これは、警察官の水野裕司だろう。
『おれのことじゃない。森元拓のことだ』
『だれだ、それ……?』
『四人を殺害した罪で死刑判決をうけた男だ』
『おぼえてない……だが、捏造したのはおれなんだろう……』
『では、森元拓は無罪だな?』
『そんなのしるか! お、おれは殺されるのか!? たのむ、殺さないで──』
途切れた。
『なんでこんなことを……おまえの罪を軽くするために弁護しただけだろう!』
弁護士の山鍋定男だ。
『命令? なに言ってるんだ! あの方の命令で人を殺したのは、おまえのほうじゃないか!』
さらに次を再生。
『あなたには悪いが、死んでもらう。そのまえに、三五年前のことを話してもらおうか』
おそらく沼崎への尋問なのだろうが、しばらくは倉田が一人でしゃべっていた。
『わかるか? あなたが政治家を殺したとされる事件の真相だ。あなたが殺したのか?』
「ちょっと止めて」
香坂が言った。ガードレールに寄せて停車していた。
「どうした?」
「なんで彼が、沼崎にまで……」
たしかに、倉田は政治家・尾木政夫殺害については無関係のはずだ。沼崎を殺しはしたが、それは黒幕──御前から命令をうけたからで、沼崎にまで過去の真相を問いただす必要はない。
「倉田自身のためではないってことか」
渉は、つぶやくように言った。
いや──。
すぐに内心で否定した。そもそも、こんな証言をとること自体、倉田自身のためではない。
「あんたなら、わかるんじゃないか?」
香坂にあらためて問いかけた。
「面会した人物……」
彼女は、そんなことを口にした。
「面会?」
「そうね……彼から聞いた話をできるだけ伝えるわ」
再び彼女はアクセルを踏み込んだ。
ゆっくりとした運転をしながら、倉田との会話を語り出した。
どうやって殺し屋になっていったのか。黒幕との出会い。逮捕されたとき、じつはべつの大量殺人を犯していたこと。服役中に面会に来た人物がいた。その人物から、倉田の大量殺人をなすりつけられた男に娘がいることを伝えられた。
──以上のようなことを聞いて、倉田の目的がおぼろげながらわかってきた。
「なすりつけられた死刑囚が、森本拓という名前なんだろうな」
「そうね。さっそく調べてみましょう」
「倉田は、黒幕からの指令どおりに殺人をおこないながら、その殺した人間たちから証言を集めていた」
十七年前の、倉田が四人を殺害していた冤罪事件の裁判をやりなおすため。
「でも……」
香坂は、ためらいがちに声をあげた。
「この録音は、認められないと思う」
殺人者に脅され、そして実際に殺害された被害者の言葉だ。裁判での証拠能力はない。これを積み重ねても、再審請求は通らないだろう──香坂は、そう補足した。
「そんなことじゃないんだろ。自分の人生のケジメをつけたかったんだ」
人殺しの生き方を変えたかった。だが、いまさら変われない。その葛藤が、倉田にその行動をとらせたのだ。
沼崎にも同じことをしたのは、ただの気まぐれか……それとも。
「面会した人物の意をくみとった……」
「そうなるだろうな」
渉は、香坂のつぶやきを肯定した。
「続きを流すぞ」
『言っている意味がわかるか? 何度でも訊くぞ。政治家を殺したのは、あなたか?』
『……いいや、わしは殺しとらん。借金があったんだ……』
『それで、頼まれたんだな?』
『家族のためだ……』
『だれに頼まれた?』
『偉いお人だ……若いころ世話になった』
『名前は?』
『なんだったかな……ここはどこだ? あんたは、だれだ?』
沼崎の声のトーンが変わった。それまでは後悔しているような色がふくまれていたのに、無垢な口調になっていた。
演技をしているとは思えない。認知症が重くなったのかもしれない。
『そうか……悪かったな』
そこで録音は終わった。
直後に沼崎が殺害されたと思ったのか、香坂はブレーキを踏んで一秒ほど眼をつぶった。
周囲に車はなく、クラクションを鳴らされることはなかった。
「なんの抵抗もできない老人を手をかけるなんて……」
さきほどは死にゆく倉田に情をみせた彼女だったが、いまのを聞いて怒りをおぼえたようだ。
「ほかの人間よりも苦しまなかったはずだ」
慰めになるかわからなかったが、渉は言った。
車は、速度をもどした。
「その面会人とやらは、三五年前の事件の関係者であり、十七年前の事件にも無関係ではない人物……あんたには、心当たりがあるだろう?」
「……ええ」
香坂は、息を吐き出すように返事をした。
「どうする?」
もうここでは、なにもすることがない。
藤堂は死に、沼崎も死んだ。そして、倉田も。
「帰りましょう」
決意するように彼女は答えた。
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