第23話

       23


 このまま、もう眼を覚まさないのではないかと心配したが、なんとか意識を取り戻したようだ。

「……死んだと思ったか?」

 いまにも消え入りそうな声で、倉田はしゃべった。

「このままだと死ぬわ」

「わかってる……」

 だからといって、彼が病院に行こうとしないことはわかっていた。倉田が眠っているあいだいに救急車を呼ぶことも考えた。それをためらったのは、伊能からの二度目の電話だった。

 藤堂が殺されたことを教えられた。

 何者かに拉致されたところを、べつの集団によって襲撃されて、車が炎上したという。安否確認はしていないようだが、伊能が死んだと断言したのなら、そうなのだろう。

 伊能は、倉田から話を聞きたいと希望した。病院につれていったら、もう二度と話せる機会はないかもしれない。

「藤堂武彦が殺されたわ」

 覚悟を決めて、陶子は会話をはじめた。

 この男を見殺しにする覚悟だ。

「……」

 倉田の反応が、よくわからなかった。藤堂を殺すという目的は、結果として達せられたことになる。喜びはしなくても、それなりに安堵してもよさそうなものだが、そういう雰囲気ではなかった。

 それとも怪我によって、それどころではないのだろうか。

「やったのは、あなたの仲間なの?」

「……仲間などいない」

 すくなくとも、倉田が手配したわけではないようだ。あたりまえか。失敗してから、ずっといっしょにいるのだから。

「よかったじゃない。どこかのだれかが、やってくれたんだもの」

 嫌悪をこめて、陶子は言った。

「……そうか」

 苦しそうな表情のなか、しかし歓喜や安心の情はみられなかった。

「……話しておこう」

「なんの話?」

「すべてだ……もう時間は残されてないようだからな……」

 ときおり息を切らせながら、倉田は語りはじめた。

 若いころの話しからはじまった。

 倉田が裏の世界に足を踏み入れたのは、高校を中退してからだそうだ。暴力団の舎弟として活動をはじめた。そして十九歳のとき、最初の殺人を犯した。

 敵対する組の幹部だった。俗にいう、鉄砲玉というやつだ。だが警察に出頭することはなかった。証拠一つ残すことなく、完璧に仕留めたからだ。警察の捜査もおよぶことはなく、倉田はおろか、組にも疑いはかからなかった。

 それを契機に、倉田はプロの殺し屋になっていった。何年かキャリアをつんだときに、ある人物から声をかけられた。政財界にドンとして君臨する大物だった。総理大臣よりも圧倒的な権力を有するほどの存在──。

 いつしか、その大物専属の殺し屋になっていった。

「暴君……」

「なんだ、それは……」

 伊能と因縁のある暴君のことだと陶子は考えた。いや、その暴君の父親か、祖父──それが、大物の正体だろう。

「……十七年前だ」

 倉田は続きを話しはじめた。

 捕まる少しまえにうけた依頼で、ある犯罪をおこした。四人の殺害だ。

「だが、タイミングが悪かった……」

 権力者の世代交代とかさなった。

 暴君の祖父が亡くなり、父親が当主となった。陶子の読みは、ほぼ当たっていた。

 それまでの黒幕は、絶対的な権力者であった。が、その新しい人物は、疑い深く、石橋を叩いても渡らない性格だという。

「それで、おれのことを危険と考えたらしい……だから、おれを刑務所に」

「恨んでるの?」

 しかし、そういうことなら、それこそ最初の見立てどおりになってしまう。恨んでいないから、いまでも黒幕の依頼で動いているのだろう。

「……そんなことはない」

 倉田の返事も、やはりそれを否定していた。

「さすがに、四人の殺害はやりすぎた……それをカムフラージュするためでもあった」

 捕まれば、まちがいなく死刑だ。それとくらべれば、十五年の服役でもよくしとするものなのか……陶子では、あまりにも現実味がなさすぎて共感できない。

「それじゃあ、どうしてわたしを殺さなかったの?」

 いまでも黒幕の命令に忠実ならば、問答無用で殺そうとしたはずだ。

「……拘置所でのことだ。見かけた程度だが、犯人にされた男に会った」

「四人を殺害した事件の?」

「……ああ」

「だれなの?」

「ただの男さ。名もなき男……」

 実際には、ちゃんと名前もあるはずだ。彼の言う意味は、どこにでもいる普通の男性だと表現したかったのだろう。

「おれは、すぐに判決が出て刑務所に入った」

 つまり拘置所にいるその男性とは、もう会う機会がなくなったということだ。

「名もなき男は、どうなったの?」

「死刑判決をうけた……」

 責任能力が認められれば、四人殺して無期懲役ということにはならない。極刑しかない……。

「まだ執行はされていないようだが……」

「ひどい話ね」

 あえて陶子は、感情をこめずに言った。

「……べつに罪悪感が芽生えたわけじゃない」

 しかし服役して日々を重ねていくうちに、気にはなっていったという。刑務所のなかでは、自然にいろいろなことを考えてしまうのだと。

 自らの罪と向き合い、人生をかえりみる時間がありあまっていた。そして、その男のことを哀れに思うようになっていった。死刑囚は拘置所に収監されつづけるから、もう会うこともない。あやまるつもりはないとはいえ、どんな言葉もかけることはできない。

 その思いは年数が経つにつれ、薄れることはなく、どんどんと深くなっていった。刑務所での生活が十年をこえても、それは同じだった。

 そんなとき、ある人物が面会に訪れた。倉田は、その名をあえてなのか口にはしなかった。

 その人物は、死刑を待つ名もなき男の家族について語り出した。娘が一人いるそうだ。現在では成人となっているが、その話を聞いたときにはまだ高校生だったという。

 その人物は、倉田に協力をもちかけた。

「協力?」

「ああ……冤罪で死刑になろうとしている男を救ってれないか、と……」

「なんと答えたの?」

「もちろん、断ったさ……冤罪を証明することはできるが、そうなったら、おれが処刑台におくられる」

「面会に来た人物は、それを聞いて、なんと言ったの?」

「ただおとなしく帰っていったさ……」

 しかしその声音からは、それだけではないような気がした。どこか含みをもたせている。

「……それだけで充分だったんだろう。おれの心のなかに、厄介なものを残していったんだ……」

「厄介なもの?」

「その娘に会ってみたいという欲求さ……」

「会ったの?」

「遠くからな……」

「どうだった?」

 倉田は、そのことには答えなかった。

「面会した男とは、出所したあとにも会った……そして、おれに依頼した」

「なんの依頼?」

「おれは殺し屋だ……」

「だれの殺害を依頼されたの?」

「すべてだ……」

「すべて?」

「全員が同じ名前だった……」

 なにを言っているのだ?

 全員が同じ名前? 同じ名前の人間が何人もいる?

 ちがう……そういうことではない。

「黒幕から依頼された内容と同じだったのね?」

「察しがはやいな……」

「どういうことなの?」

「それほど不思議なことじゃないさ……結局は、法と正義をねじ曲げたやつらだからな」

 黒幕のほうは保身のためか、配下としてつかっていた人間を殺そうとし、べつの勢力は復讐、もしくは天誅のつもりで消そうとしている。

 混沌とした状況だ。

「あなたは、どちらの思惑で動いてるの?」

「……」

 昨夜の言葉が思い起こされる。こっちにも複雑な事情があるんだ──そのようなことを口にしていた。

 そのとき、ノックの音がした。

「伊能さんだわ」

「まて……」

 ドアまで行こうとしたら、止められた。

「なに?」

「あの男なら、部屋をノックするまえに、携帯で連絡を入れるはずだ……」

「え?」

 たしかにそうかもしれない……。

「嗅ぎつかれたな」

 そう言いながら、倉田は起き上がっていた。

「ちょっと……死ぬわよ!」

「もう手遅れだ」

 よろけながら立ち上がった。

「どうやら、おれも切り捨てるつもりだったようだ……」

 黒幕は、過去の代から汚い仕事をさせていた人間たちを一掃するつもりなのだ。

「これをとっとけ」

 なにかを渡された。

「これ……」

「殺した人間の証言が入ってる……」

 ICレコーダーだった。

「出所してから殺したやつ、全部だ……」

 倉田は、ドアめげて歩き出した。寄り添おうとしたが、厳しく拒絶された。どこにそんな力が残っていたのだろう。

「ベッドの下に隠れてろ! あの男が来るまでの時間はかせげるかもしれない……」

 彼は、死ぬつもりなのだ。

「その証言をどう使おうと自由だ……あなたにまかせる」

 これまでにたくさんの命を奪ってきた男とはいえ、永遠の別れかもしれないと思うと、特別な感情が芽生えてきた。

「……ほかに残しておく言葉はない?」

「ターゲットは、もう一人いた……」

 たぶん、伊能に護衛の依頼をした人物だ。

「最後までとっといたのは……面会の男の要望だった」

「どういうこと?」

「三五年前のことを追及するなら──」

 扉に、なにかがぶち当たったような激しい音が響いた。強引にドアを破ろうとしているのだ。

「隠れろ!」

 その叫びにせきたてられて、陶子はベッドの下にもぐった。

 その直後、もう一度大きな音がして、何者かが室内に入り込む気配が伝わってきた。


     * * *


 わたしは、隠れることで精一杯だった。なにもできなかった……なにも……。

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