第22話
22
戦闘行為への参加?
おれは関知していない。なんのことだかわらないね。
香坂がそのとき、なにをしていたのかも知らねえよ。
* * *
地検支部に近づくと、血の匂いが漂ってきた。
路上では、男が二人倒れていた。脈を調べたが、すでに絶命していた。そのうちの一人は、昨日ぶちのめした男だった。
倉田にやられたのだろう。
はたして、藤堂はすでに殺されているのだろうか?
地検の建物に近寄った。
「なかの人物は無事だよ」
ふいに、声がかかった。
「あんたか……」
《かかし》だった。
「あいつらだけがやられたのか?」
「いや……」
では藤堂は無事だが、ほかの職員が殺害されたのだろうか……。
「なかにいる人間は全員、なんの危害も加えられていないよ。外での騒動も知らないだろう」
《かかし》の口調は、あくまでも穏やかだ。
ということは……。
「あんたが、倉田をやったのか?」
そういうことになる。
殺されている男たちがやったとは思えない。それならば、殺されることはないだろう。
「いや、わしではない。殺しは、わしの領分ではないのでな」
この期におよんでまで謙遜しているのか、それともそれが真実なのか……。
「まあ、わしの存在はわからなかったようだから、うまく援護をしてやったのは事実だがな」
だから、あの男たちでも倉田を撃退できたのだ。そのかわり、自らの命と引き替えにしたが。
「倉田はどこだ?」
完全に息の根は止めていないはずだ。倉田の姿がないからだ。
「なんとか逃げたようだ。どれだけもつかわからんが」
「とどめを刺そうとは思わなかったのか?」
「ふふふ、物騒なことを言いおるわ」
屈託なく、かかしは笑った。
渉は、倉田を追いかけることにした。
「倉田の血はあれか?」
男たちが倒れている場所から少しズレたところに血だまりがあり、そこから赤い水滴が垂れてどこかへ続いている。
かかしの答えを聞くまえに、渉は歩き出していた。
「わしがこの地にいる理由はなくなった。また縁があったら、どこかで会うだろう」
振り返って声のほうを向いたが、そのときにはもう、かかしの姿はなくなっていた。気配も感じない。
「恐ろしい男がいるもんだ……」
しみじみと独り言を口にして、渉は倉田の追尾をはじめた。
血液のあとをたどっていくと、ある地点に行き着いた。
「……」
さきほど、香坂の運転する車が停まっていた場所だ。
どういうことが考えられるのか……推理するまでもない。
彼女の携帯にかけてみた。
出ない。
それはたんに運転中だからか、倉田に危害をくわえられているからか……。
いや、倉田の怪我は重いはずだ。そんな状態で香坂のことをわざわざ殺すとは思えない。それよりも、彼女の運転で逃げようとするだろう。
いまできることは、彼女からの折り返しを待つしかない。
ようやくいまになって、パトカーのサイレンが遠くから響いてきた。拳銃発砲殺害事件のわりには、遅すぎる出動だ。
警察は、倉田による襲撃も、返り討ちにあったことも、関与しないと決められていたのだ。
無法地帯。
猿渡の言ったとおりだ。
渉は、このエリアから離れた。小樽駅へ向かいながら、十分ほどが経ったころ、香坂から折り返しがあった。やはり無事だったようだ。
『伊能さん……』
「倉田といっしょなのか?」
『ええ……』
「なにかされたのか?」
『いいえ……』
すくなくとも、脅されてはいないようだ。
「いま、どこだ?」
『郊外のホテルよ』
「いますぐ行く」
『わかった』
香坂は、大まかな場所と、ホテルの名前を伝えた。名前は、どう考えてもラブホテルのものだった。
『そっちは、どうだったの?』
「藤堂は無事らしい」
反応がないところをみると、そのことはわかっていたようだ。
『こっちには、そんなに急ぐ必要はないかも……』
「どうした?」
『なんとか応急処置をしたけど……』
「そうとう悪いのか?」
『わたしは医者じゃないから、その判断はできないわ』
「死にそうなのか?」
それこそ、医者でなければわからないことだろう。自分で口にして、心のなかで自分にツッコミを入れていた。
『いつ眼を覚ますのか……』
「わかった。ほかの用事ができたら、そっちのほうを優先する」
そう言って、通話を切った。
しばらくして、小樽駅についた。
香坂には、ああ言ったものの、いまはとくに用事があるわけではない。素直に彼女のもとへ急ぐべきだろう。
タクシーでの移動を考えて、駅前ロータリーで並ぶことにした。
駅のなかから出てきた人物がいた。
どこかで見たことがあるのだが、思い出せない。
気になった。渉は、その人物を尾行することにした。
年齢は四十代後半……いや、前半かもしれない。身なりはしっかりしていて、上等なスーツ姿だった。
男性は、いま渉自身が来た道を逆にたどっていた。
ついたのは、地検支部だった。
どういうわけか、警察はすでにいなくなっていた。規制線も張られていない。死体もなくなっている。
男性は、なかへ入っていった。
本能的に、藤堂武彦に会いにきたのだろうと考えた。
周囲には、あの《かかし》をはじめ、雇われた人間はいないようだった。もっとも、倉田を返り討ちにしたいまとなっては必要ないし、それに《かかし》以外は、倉田に全員やられてしまったのかもしれない。
問題の人物は、二十分ほどで出てきた。
地検の前にタクシーが停まった。どうやら事前に呼んでいたようだ。男性が乗り込むと、タクシーはどこかへ行ってしまった。
こうなっては、どうすることもできない。
しかし、べつの動きがあった。藤堂があわてたように外へ出てきたのだ。
出勤は車ではないのか、早足で駅の方面へ向かっていく。渉は、声をかけようか迷った。それとも今度は藤堂を尾行しようか……。
しばらく進んだところで、一台のワンボックスカーがやって来た。道幅のわりにスピードが出ていた。藤堂の横についた瞬間、急ブレーキがかかった。
スライドドアが開くと、なかから二人の男が降りてきて、藤堂を車に引き入れようとした。
「な、なんだ! や、やめろ!」
渉は、本能的に走り寄っていた。
藤堂をつかんでいる男の手を強打ではらった。
男たちには見覚えがあった。
《
すると、高陽会元組長が仕組んでいるのか、それとも《長い舌》のたくらみか……。
が、高木虎雄と藤堂の立場は同じはずだ。双方とも黒幕から消されかかっている。倉田が失敗したから動くというのは、筋が通らない。
「伊能! 邪魔をするな!」
「その男をどうするつもりだ?」
男たちは答えない。
しかし殺すつもりなら、わざわざ拉致などしないだろう。
高木虎雄でないのなら、《長い舌》が単独で動いている。
やつが沼崎の息子だと知っているいまでは、それほど奇妙なことでもない。
「た、助けてくれ!」
あれほど自分にはかかわるな、と言っていた藤堂がプライドを捨てて懇願している。
渉は、一人に肘打ちを入れて昏倒させた。
「伊能!」
もう一人も倒すのは簡単だったが、すぐには攻撃をしなかった。
車のなかから、もう一人が応援に出てきた。
「やめろ!」
「た、助けるんだ!」
男たちと藤堂が、たがいに渉へ言葉を投げかける。
「殺さないと誓え。そうすれば、見逃してやる」
「お、おまえ……なに言ってるんだ! 助けろ!」
藤堂からの抗議は、静かに聞き流した。
「……殺すわけじゃない」
その答えを耳にして、渉は彼らから一歩遠ざかった。
男たちが藤堂を車内に押し込んだ。
藤堂の恨めしい眼光が、網膜に残った。
藤堂をさらった車が消えてから、渉は駅の方向へもどった。
あたりが騒がしくなっていった。
焦げ臭い煙が周囲を満たしている。人だかりのなかに渉は入り込んだ。
道路の真ん中で、車が炎上していた。
ついさきほど眼にしていたワンボックスだった。
「……」
まだ消防車は来ておらず、近所の住人か店舗の従業員らしき数人が、消火器で鎮火をめざしている。しかし、炎は衰えることを知らない。
「やべーな!」
「なんかされたみたい……」
野次馬たちの話を総合すると、ワンボックスカーが信号待ちをしていたところに、べつの車が横付けしてきて、ワンボックスに火がついたようだ。ガソリンのようなものを撒いていた、と話している人たちもいた。発火と同時に爆発をおこしたのだろう。
なかから出てきた人間はいないようだから、搭乗者の安否は絶望的だ。
「……」
倉田はしくじっても、結果として藤堂は消された。倉田が仕損じたから、べつの人間が動いたのだろうか?
いずれにしろ、倉田に詳しい事情を訊くべきときがきているようだ。
はたして、まだ息はあるだろうか……。
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