第20話
20
通報義務違反? 沼崎ってジイさんのことか?
なんのことだかわからないね。証拠でもあるのか?
おれは部屋には行ってない。あの女も関係ないはずだ。
* * *
香坂からの電話で、むこうの無事と、こちらの無事をおたがい知ることができた。
こちらから連絡しなかったのは、まだスマホの操作になれていないのと、もし彼女が追われていた場合、着信音で危険にさらすかもしれなかったからだ。
藤堂から情報をもらったこともわかった。あの男のことだから約束を守る保証はなかったが、よほど脅しがきいたようだ。偽情報という可能性もあるが、はたしてこの状況でそんな余裕があの男にあるかどうか。
その最初の電話が、昨夜。
そしてついさっき、二度目の電話があった。
これから彼女は、沼崎の通夜に出るという。それはつまり、警察が病死として処理したということだ。
香坂は、どこまで想像しているだろう。
病死になったということは、ここの警察が完全に黒く染まっているということだ。渉を犯人に仕立てあげることのほうが、じつはまだ警察が機能していることになる。ちゃんと捜査をした場合でも、沼崎を一人でたずねた時点で、自分に容疑が向くことは充分にありえるのだ。
猿渡が、無法地帯、と言った意味はこれだったのだ。
そして倉田。
藤堂もプロを雇っている。
渉自身も加えれば、それこそ混沌の戦場だ。
沼崎を殺害したのが倉田だとしたら、次のやつの行動は、おのずとわかる。香坂には、ほかに行くところがあると伝えたが、渉の目的地も同じだった。
だが、表立っては動かない。
通夜の場所は、あの工房からすぐの場所だという。夕方まで時間をつぶして、通夜会場の周辺で待機していた。
香坂は受付をしているようだ。少し危険だった。倉田が姿を現したとしたら、消されるおそれがある。もちろん彼女自体はターゲットではないが、遂行の障害だと判断されることもある。
しばらくなにもなく、渉の心配は杞憂となっていた。ほかに弔問客も訪れることなく、香坂だけがポツンと取り残されているようだった。それを監視している渉もまた、孤独な時間に支配されていた。
そんなとき、ある人物が登場した。
渉も知っている男だった。
瞬間的に警戒し、飛び出していこうとした。
が、それをとどめた。
その男からは、攻撃的なイメージを感じなかったからだ。
むろん、プロなら殺気などもたない。空気を吸うように殺す。しかしあの男は、倉田とはちがう。同じ黒社会の人間だとしても、あの男は金で殺しを請け負わない。人を殺すのだとしても、それは仕事としてではない。眼を見ればわかる。
《
高木虎雄に従う謎の男。しかし本当は、高木や藤堂、倉田を裏で操っている黒幕に命令されて、渉と高木の仲をとりもったことを本人が告白している。
その男が、ここに……。
なぜなのか?
いまヤツは、香坂と話をしている。その雰囲気に危険な素振りはない。
では、なにをしに来たのか?
その答えは簡単に導き出せた。
通夜に来たのは、沼崎の関係者だから。
息子。
これは、どういうことだ?
ヤツは、どういう思惑で動いている?
結局、ヤツはなかに入ることもなく、去っていった。
ここでどうするか、選択を迫られた。
ヤツを追いかけるか、このまま倉田の襲撃を警戒するか?
答えはすぐに出た。
《長い舌》を追いかけることだ。
倉田が襲撃するとしたら、沼崎の関係者、もっといえば、過去の真相を知る者。
ヤツが沼崎の息子だとすると、狙われるのはヤツのほうだ。ここを離れても、香坂に危険はおよばないだろう。
ヤツは、徒歩で移動を続けていた。すでに夜。この地域では、バスも終わっているかもしれない。札幌中心地に行くには車がいる。しかし待っているような車もなく、ただ人けのない道を進んでいるだけだ。これではタクシーを拾おうにも、近くを通る自家用車すらない。
そこで気がついた。
ヤツは、わざと誘っているのだ。
倉田か、それとも……。
「そろそろ姿を出したらどうだ?」
ヤツが足を止めて、そう呼びかけた。
だれに?
倉田ではない。だとしたら、渉に呼びかけたのだ。
渉は覚悟を決めて、ヤツの前に姿をさらした。
「あれが、あなたのパートナーか」
なにを言われたのか、最初わからなかった。香坂のことだと、すぐに気づいた。この男は、彼女のことも当然ながら知っていることになる。
もともとこの男の仲間がやって来たのは、香坂とアパートにいるときだった。手下から報告はうけているはずだ。
「なにを話してた?」
渉は訊いた。
「べつに物騒な話はしていない。礼儀はつくしたつもりだ」
声は聞こえなかったが、たしかに剣呑な雰囲気はなかった。
「いったい、どういうことなんだ?」
「どう、とは?」
「おまえの目的はなんだ?」
「あなたは、どう思うんですか?」
「沼崎を……あんたの父親を殺したのは、倉田だ」
まだこの男が息子だと確定しているわけではないのだが、かまわずに渉は言った。
「あんたは、なにがしたいんだ? 父親の殺害に加担したのか?」
「……そんなことするわけないだろう」
「では、なぜここに来た?」
「父親の通夜に顔を出しただけさ」
「倉田は、敵なのか?」
「あたりまえだよ。だから、高木虎雄にきみを紹介したんだ」
「おまえの行動がわからない……」
「わからないのは、ものごとを二つに分けているからだ」
「二つ?」
「そうだ。二つだったものが、きみが加わって数が変わった」
あくまでも、直接的な表現はしないようだ。
「これから、なにがおこる?」
「それは、きみの行動しだいだろう」
《長い舌》は、そう言い残すと、また歩き出した。もうこれ以上の話は聞けないものと判断して、渉もその場を離れた。
通夜会場までもどりながら、ヤツの言動をかえりみた。
二つだったものが、数が変わった──。
これは、簡単な算数だ。
渉はかつて香坂に、黒幕は二人いるかもしれないと言ったことがある。その数が一つ増えたのだ。
渉を入れて、三人。
自分は黒幕という存在ではないが、とにかくこの北海道の地で、三すくみの思惑が絡んでいることになる。これから一層、注意が必要だ。
「……」
通夜の受付には、香坂の姿はなかった。まだなかでは飲食をしていて、にぎやかな雰囲気があった。静まりかえった通夜よりも、こういう活気のあるほうが、死者にとってもうれしいのではないだろうか。
パッと見たところ、なかにも香坂の姿はなかった。
イヤな予感が駆け抜けた。
本当に倉田がどこかで見張っていた場合、同時に渉のことも監視していた可能性がある。渉が《長い舌》の尾行についたことを確認して、香坂を襲ったのかもしれない。
(いや……)
渉は、倉田のことにも注意していた。というより、そのほうがメインだった。倉田の気配は周囲になかった。
考えられるのは、遠くに隠れていて、《長い舌》が来たと同時に動き出した。つまり、倉田と《長い舌》がグルだった。もしくは、倉田が監視していたのが《長い舌》だった。
「……」
いろいろ考えをめぐらせても、いまは答えが出ない。香坂をさがすことが先決だ。
「あの、香坂さんはどこに行きましたか?」
玄関を上がったすぐのところに、あの最初に応対した工員がいたので、たずねてみた。
「受付にいると思うんだけど……」
やはり、なかにはいないようだ。
「お客様なのに受付までやってもらって、ありがたいです」
そんな感謝の言葉を背中で聞きながら、渉は外をさがしはじめた。
冷静に考えれば、そこまでして香坂を狙う理由があるとも思えない。が、楽観視できる状況でもないから、渉は五感を集中させて捜索を続けた。
そのとき、女性の声が聞こえた。
……ような気がした。
うめき声のような、くぐもった声だった。
まるで、なにかで口を押さえつけられて発した悲鳴のような……。
渉は、声の方向へ急いだ。
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