第19話
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札幌にもどると、すぐにホテルをさがした。
高級ホテルから、低価格のビジネスホテル──旅館というアイデアも浮かんだ。
伊能がもどってこなかった以上、藤堂に雇われた人間が動いている可能性が高い。いや、それとも倉田だろうか……。
自分一人では、どうやっても生き残れない。
いっそ警察に……そう考えもしたが、一連のことを総合すると、警察組織も信用できない。ここが東京であったなら溝口を頼ることもできるが、ここでの味方は伊能だけだ。
北島には、あいからわず連絡がつかない。これからの行動は、自身で決定していくしかない。
どこの宿に泊まっても、危険な気がした。眼に映る人、すべてが敵に見える。
「……」
一大決心して選んだのが、ここだった。
中心街から離れたところにあるラブホテル。『北国の夏』というセンスがあるのか、ないのかわからない名前だ。
女性が一人で入るようなところではないが、狙っている人間からすれば、そこが盲点になるだろう。
部屋に入った時刻は、午後四時過ぎだった。ラブホテルといっても、内装は普通だ。灯りが暗く、鏡が多めに配置されている以外には別段、特徴はない。
くつろぐ暇もなく、携帯が鳴った。
「もしもし?」
『私だ』
一瞬、だれだかわからなかった。
藤堂武彦だ。意外だった。伊能がもどらなかった時点で、この男からの連絡はないものと思っていた。
「ご用件は?」
警戒しながら、そう訊いた。
『そっちが頼んだんじゃないか』
藤堂の声は憮然としていた。あきらかな怒りがこもっている。たんに、例の頼みをお願いしたことに憤慨しているだけではないようだ。
『いいか、名前を言うぞ』
三五年前の事件で重傷を負った、殺害された政治家・尾木政夫の秘書──。
『北島真司』
「北島?」
『そうだ。その事件で怪我を負った秘書だ』
北島……、偶然だろうか?
『いいな、約束は果たしたぞ。もうこれっきりで、私にはかまうな。あの男にも言っておけ!』
語気も荒く、藤堂は電話を切った。
どうやら、伊能がなにかをしたようだ。それで慌てて連絡をしてきたのだろう。
「あ、そうだ……」
単純なことを忘れていた。
伊能に電話をかけていなかった。
『なんだ?』
ぶっきらぼうな声が聞こえた。
「無事なの?」
『ああ、おれは無事だ』
その言い方に引っかかりをおぼえたが、話を進めた。
「いま藤堂から連絡があった……ねえ、なにかした?」
『ちょっと脅しただけだ』
この男のちょっとは、ちょっとではないだろう。
「あなたは襲われたの? わたし一人で行ってよかったのよね?」
『ああ、正解だ。あのまま同じ場所にいたら、ヤバかった』
伊能がこんなことで嘘を言うことはない。陶子は、血の気の失せる思いになった。
「あなたのほうは?」
『危ないということはない。二人をぶちのめしただけだ』
きっと水を飲む動作のように、なにげなく倒してしまったのだろう。
『ただ……おかしなジイさんに会った』
「なにそれ?」
『まあ、それはいい。藤堂は、ちゃんと調べたのか?』
「ええ。名前を教えてくれた。北島真司というのよ」
『そうか』
「でね……」
その名前のことで、気に留めておかなければならないことがある。
『なんだ?』
「会ってから伝える」
『おれのほうも、伝えておかなければならないことがある……』
「え? それって、会ってからってこと?」
『どっちでもいい』
「じゃあ、いま言ってよ」
『沼崎が殺された』
想定したよりも、重くて血なまぐさい内容だった。
「どういうこと!?」
『たぶん、倉田だ』
「え!? どうしてそうなるの?」
『沼崎は生き証人なんだ』
口封じに殺されたということは……。
「じゃあ、沼崎の言ってたことは、本当だったということ?」
『自動的にそうなる』
尾木政夫の殺害は、何者かによって仕組まれていた……。
『それと、沼崎殺しの犯人が、おれということになるかもしれん』
「え?」
『警察が病死と発表するか、殺しとして発表するかにかかってる』
「まさか、やってないでしょうね?」
あくまでも一応、確認しただけだ。本気で疑っているわけではない……。
気分を害したのか、伊能はそれについて答えなかった。
『いいか、今後の報道に注意をはらっておけ。病死という発表がされなければ、おれはこのまま消える』
「その場合、もう会えないってこと?」
『そうなる』
当然のように、伊能は言った。
『それと、もし沼崎の件をこれからも調べるつもりなら、葬儀に出席してみろ』
「葬儀に?」
『家族が来るかもしれない』
無期懲役囚の親族なら、たとえ死んでも関係を断ちたいと思う感情が強いのではないか。
そのことを伝えると、伊能は淡々と続けた。
『冤罪だということを家族も知っていたら、来るかもしれないだろ。それに、事件関係者が顔を出すおそれもある』
たしかにそのとおりだ。
『事件関係者がいたときは、用心を忘れるな』
「わかった」
そこで通話を切った。
伊能と合流するまでの、自分のやるべきことが決まった。
翌朝──。
目覚めは最悪だった。一人でラブホテルのベッドで一晩過ごしたんだと、虚しさが胸中をよぎる。
携帯でニュースをチェックしてみたが、沼崎のことは報道されていなかった。できれば新聞、しかも全国紙ではなく、ここの地方紙を読んでみたい。
ラブホテルを出ると、札幌中心街のコンビニで新聞を買った。それにも出ていなかった。
まだ断言はできないが、他殺ではなく、病死として処理された可能性が高い。ということは、伊能が殺人犯にされることはいまのところないようだ。
次いで、沼崎の仕事場まで車で移動した。昨日まで借りていたレンタカーを返却し、べつの店で借りていた。念のための処置だ。
工房は、通常どおり営業しているようだ。
なかに入って話を聞いた。
「ぬまさん、亡くなっちまったよ……」
前回も応対してくれた男性が、開口一番そう言った。
「今夜、通夜なんだよ。うちでやることになってよ……今日は午前中で仕事は終わりだ」
悲しそうに、男性は語った。
「ぬまさんは、凄い人だったんだ……あの人の木彫りは、魂がこもってた」
職人としての沼崎は、本当に尊敬されていたようだ。
「お通夜は、ここでやるんですか?」
「近くの社長の家でやります」
「あの、わたしも参加したいんですけど、よろしいですか?」
男性は、少し驚いたようだ。
「そうですか……ぬまさんも人がいっぱいいてくれたほうが、うれしいんじゃねえかな」
「沼崎さんのご家族は?」
「息子がいるんだけど、一応、連絡はしておいたけど……」
連絡先は知っていたようだ。はたして来るのかどうか……。
陶子は社長の家に向かいながら、伊能に連絡をとった。すぐに通夜がおこなわれるということは、病死としてかたづけられたはずだ。つまり、伊能が姿を消す理由はなくなった。殺された沼崎は無念だろうが、とりあえずそのことに安堵していた。
『わかった』
「あなたも来るの?」
『いや、ほかに行くところがある』
通話を終えたころ、教えてもらった社長の家についた。すでに通夜の準備をしているようで、陶子もそれを手伝うことにした。
社長の家は想像以上に大きく、その周辺ではとくに立派なものだった。通夜の準備で、近所の主婦や葬儀会社の人間が多く出入りしていて、陶子が紛れ込んでも、まったく違和感がなかった。
通夜は、夕方の六時にはじまった。陶子が受付をやることになった。そのころには、ちゃんと自分の肩書をみんなには伝えていたから、怪しまれることもなかった。喪服ではなかったが、もともと地味めのスーツを着ていたので、見ようによっては葬儀会社の人間にも思える。
出席者は、工房の従業員とその家族以外にはいないようだった。準備を手伝っていた近所の人たちも、通夜がはじまったら帰っていった。焼香に訪れる参列者もいなかった。
もうだれも来ないだろう、と受付から離れようとしたときに、その人物が現れた。
年齢は、四十歳前後だろうか。若くも見えるし、とりようによっては、もっと年上であるかもしれない。
見た目の印象では、一般の人間とは思えなかった。喪服に身を包んではいるが、どこかに剣呑な雰囲気がある。しかし、あからさまな暴力性は感じない。きっとインテリヤクザとは、このような男なのだろうと思った。
その男性は、受付の前で立ちつくしたままになっていた。
「あの……」
陶子のほうから声をかけた。
「いえ、ここに来ていいものか、悩んだんですよ」
インテリヤクザと評したのがまちがいであるかのように、男性の口調は穏やかなものだった。
「沼崎正二の息子です」
「え?」
一瞬、呆気にとられてしまった。想像だにしていなかった。
「どうぞ、なかに入ってください」
うながしてみたが、ためらいがあるようだ。実の息子なのに、他人に葬儀をまかせていることに、うしろめたさを感じているのだろうか。
「やめておきます。これを渡しておいてください」
懐から、ぶ厚い封筒を出した。なかに多額の現金が入っていることは、すぐにわかった。
「二百万あります。これでたりるかどうかわかりませんが」
男性は去っていこうとした。
「待ってください!」
足を止めた。
「あの……お話、いいですか?」
「私の話なんて、おもしろくもないですよ」
この男性のことではなく、父親についての話がしたいのだが、彼は言った。
「お父様についてです」
「バカな父親ですよ。やってもいない罪をかぶって、無期懲役の判決をうけた」
伊能の予想どおり、家族はそのことを知っていた。
「どうして、そんなことになったんですか?」
「権力者がそうと決めたら、底辺の人間はそれに従うしかないんですよ」
「そんな……」
「もちろん、それなりの利益は得ましたよ。母は病弱でしたが、治療費は心配しなくてもよかった。私も、大学へ行けた」
そう口にしても、男性が心の奥では納得していないことはあきらかだった。
「では、すべて承知で……」
「そういうことです。でも、このことに深入りはしないほうがいいですよ、香坂さん」
名前を呼ばれても、陶子に驚きはなかった。この人は、わたしのことを知っている──話していて、そういう予感があった。
たぶん、伊能のことも……。
「では、これで」
男性は行ってしまった。
その姿が見えなくなるまで、陶子は瞳をそらせなかった。
* * *
無実の罪をかぶった男の息子……その背中には、虚しさがあふれていた。
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