第16話

       16


 車の運転?

 おれはやってない。運転したのは、彼女のほうだ。

 ほんとだって。だから無免許運転はしていない。


     * * *


 次に向かったのは、札幌郊外の町だった。

 同じ自動車道を通って、とんぼ返りしていることになる。

「調査対象者は、沼崎正二。無期懲役囚よ」

 運転席の香坂が説明していた。本当は運転に集中してもらいたいのだが、最初よりはだいぶまともになっているから、そのままにさせている。

「なにやったんだ?」

「殺人よ」

「それはわかってる」

 殺人以外で無期懲役の判決うける可能性のあるものはいくつかあるが、実際に無期判決をうけるケースは、ほとんどないだろう。

「そうね。傷害致傷や通貨偽造で無期判決はでないわね。建造物放火や身代金目的の誘拐でも、だれも死ななければ、そこまでいかない。もし、確実に無期以上の犯罪があるとすれば、内乱罪ぐらいかしら」

「首謀者は、死刑か無期しかないんだよな」

「よく知ってるわね」

 日本で内乱罪を最もおこす可能性があるのは、自衛隊員だ。二・二六事件、五・一五事件と歴史が証明している。

 そういう教育は、特殊部隊員ならイヤというほどされている。

「まあ戦後、適用された例はないけど」

 あたりまえだが、その沼崎正二とかいう男にもあてはまらない。

「沼崎は一人を刺殺して、一人に重傷を負わせたの」

 それだけを聞くと、どこにでもある犯罪だと思えてしまう。刑務所で何人もの悪党を見てきた渉にとっては、なおさらだ。

「それだけか?」

 わざわざここまで足を運んで調査するような案件とも思えなかった。いや、その考えが不謹慎なのはわかっている。が、倉田のことがあったので、まだ裏があるのではないかと勘繰ってしまうのだ。

「そうね……沼崎が殺した人物が、ちょっと特殊ね」

 香坂は、言おうか言うまいか迷っているような口調になっていた。

「政治家なのよ」

 北海道選出の国会議員を刺殺したようだ。

「理由は?」

「さあ……そこまでは資料になかった」

「どれぐらいまえなんだ?」

「事件の発生が三五年前」

 それぐらいむかしだと、渉も幼い子供だった。まったく記憶にない事件だ。

「でも誤解のないように言うけど、政治家を殺害したから無期懲役になったというわけじゃないわ」

 法務省に属している人間からすると、そう思われたくないのか、香坂はつけたした。

「その政治家だけでなく、秘書にも重傷を負わせてる……無期が妥当だと思う」

 渉も、罰の重さについては異論があるわけではない。香坂の危惧する思惑がはたらいたのだとすると、むしろ死刑であっても不思議ではない。

「いまは、なにを?」

「木彫りの民芸品を作ってるみたいね」

「熊とか?」

「そうだと思うけど……刑務所では、名人芸と呼ばれるほどの腕前だったんだって」

「人間は、どうなるかわからないな」

 その工房は、札幌郊外の閑静な場所にあった。そこでは製作をするだけで、販売などはおこなっていないようだ。雰囲気は、下町の工場とかわらない。

 無事にだどりついた安堵をかみしめながら、渉は香坂とともに工房へ入った。

 木の香りが強く漂っていた。

「あのー」

 工房のなかには、十人ほどの作業員がいた。彫刻刀で手彫りしている者のほかにも、機械をつかって作業をしている工員もいる。

 そのうちの一人が、香坂に気づいた。

「どちらさまでしょう?」

 五十代ほどの男性だった。機械の音はそれほどうるさくはないから、おたがいの声はよく聞き取れる。

「こちらに、沼崎正二さんはいるでしょうか?」

「はい……」

 男性は、警戒するような眼になった。香坂が名乗るのを待っている。

「わたしは、こういう者です」

 名刺を渡した。

「法務省……の方ですか」

 それを知ってからも、男性の警戒は解かれなかった。渉も経験があるだけに、気持ちはわかる。

「ぬまさんは、まじめに更生してるよ。なんかのまちがいじゃねえのか?」

 男性は、捜査かなにかで来たと勘違いしているらしい。これについても、気持ちはわかる。

 だいたい一般の法務省職員が、こうして元受刑者に会いにくるという発想がない。仮釈放中の生活態度などは、保護観察官の領分になる。

「そういうのではないんです。少しお話をしたいと思って」

「は、はあ……」

 しぶしぶ、といった様子でその職員は、奥で彫り物をしていた一人の老人のもとに行った。

 のっそりとした動作で、老人が歩いてきた。

 香坂が眼にした資料では、沼崎の逮捕時の写真しか載っていなかったようで、現在の姿は知らないということだった。

 年齢は、今年で七一歳になるらしい。最近の七十歳は、むかしにくらべれば、それほど老けていない印象の人が多くなっているそうだ。渉自身は出所したばかりなので、その実感は薄い。塀のなかにいた老人たちは、いまやって来た男のように老けきってヨボヨボだった。

「わたしは、法務省保護局更生調査室の香坂といいます」

「はー」

 肩書を名乗っても、理解できないようだった。が、すぐにそれは、香坂の声が聞こえていないのだとわかった。

「沼崎さんですよね?」

「へ?」

「ですから、沼崎正二さんですよね!?」

 強めに発して、ようやく聞こえたようだ。

「へえ……そうです」

 受け答えが、どこかうつろな印象があった。

「ちょっといいですか?」

 最初に応対した作業員が、声を挟んだ。

「ぬまさん、最近、認知がきてて……仕事の腕は衰えてないんだけど……」

 香坂はそれを知ったうえで、沼崎に外へ出ることをうながした。おとなしく沼崎はついてきた。

 静かなところで、続きを話しはじめた。

「沼崎さんは、殺人で無期懲役の判決をうけましたよね?」

 周囲にはだれもいないから、ストレートな質問になっていた。仮に聞かれたとしても、ここの職員は沼崎の過去を知っているようなので、問題にはならないだろうが。

「へえ……」

「率直にお聞きします。犯した罪の重さに対して、受けた刑罰の重さは妥当なものでしかたか?」

「それは……」

 耳元で強く発言したので、聞こえてはいるようだ。

「言っている意味はわかりますか?」

「へえ」

 高齢者には難しい内容だろう。渉自身、そう訊かれて困ったのが実情だ。

 まともな答えは返ってこないだろうと、おそらく香坂もあきらめていたはずだ。

「わしは……やってない」

「え?」

 思いがけないないことを言われた。

「やってないって……殺人事件のこと? 国会議員を殺害したこと?」

 沼崎は、コクンとうなずいた。

 香坂が渉のことを見た。その視線の意図は、こういうことだろう。

 認知症で過去のことがわからなくなっているのだろうか?

 渉は、首を横に振った。

 その逆だ。判断能力が弱くなったから、本当のことを口にしている……。

「沼崎さん、どういうことなんですか? あなたがやったんじゃないんですか!?」

「へえ……」

 その後、どんなに質問しても、沼崎はよく理解できていないような反応しかしめさなかった。

 さきほどの職員が心配になって様子を見に来たのを契機に、面談を終了した。香坂はまだ質問したそうだったが、渉が「もうやめろ」と進言した。

 車に乗り込むと、しばらく発進はしなかった。

「どういうことだと思う?」

「そういうことだろ」

「冤罪だったっていうの!?」

 香坂は、頭が混乱しているようだった。

「よくある話じゃないか。邪魔な政治家を消したいやつがいた。プロを雇って、あのじいさんを身代わりにした」

 当時は、まだじいさんではなかっただろうが。

「あなたの裁判のように仕組まれたというの?」

「それはわからない。なにかを見返りに、あのじいさんが引き受けたのかもしれない。当時の裁判のことは?」

「そこまでは知らないわ……」

「どうするんだ?」

「え?」

「調べるのか? 三五年前の事件だよ」

「……」

 香坂からの返答はなかった。

 だがこの女なら、そうするだろうと思った。

 倉田の件と、沼崎の件──これで、二人の過去を調査することになった。

 そして渉は、あることを想像していた。おそらく、香坂もその可能性を考えているはずだ。が、それをまだ言葉にすべきでないことを、おたがいがわきまえている。

 それから車を走らせて、市内の図書館に急いだ。三五年前の事件を調べるためだ。さらにネットカフェでも過去を検索した。カップル用の個室をとったのだが、少し香坂が警戒しているのに腹が立った。

「ヘンなことをしたら、許しませんからね」

 だれがするか、と思いながらも言い返さなかった。

「殺害された政治家の名前は、尾木政夫。北海道選出の国会議員で当選六回。建設省の政務次官の経験がある」

「それって、どれぐらいのもんなんだ?」

 渉が収監されたときインターネットはすでに普及していたが、ここまで便利なものだという認識はなかった。いまではパソコンだけでなく、携帯でも自由自在にできるということに、軽いカルチャーショックをうけている。

 現に最初、香坂は自身の携帯で検索していたが、大きな画面のほうがやりやすいからとネットカフェに来たのだ。当時からすでにネットカフェはあったし、渉も利用したことがあるから、その点は驚くことではない。ただし、光回線はまだ一般的ではなかったと思う。ADSLが主流だったはずだ。

「いまは建設省がないから……」

「それは知ってる。省庁再編は、おれが捕まるずっとまえだ」

 たしか、2001年だったはずだ。

「そうだったわね。まあ、政務次官は若手の登竜門みたいなものだったんじゃないかしら」

「それって、官僚がなるやつじゃないのか?」

「それは事務次官よ。政務次官は、ほとんどが国会議員から選ばれていたはずよ。あなたの言った省庁再編で、いまはなくなってる役職なの。かわりに、副大臣と政務官というポストができた」

 たぶんその知識は、刑務所に入っていなくても知らなかっただろう。

「わたしも当時のことに詳しくはないから、はっきりは言えないけど、いまだと国土交通省の大臣政務官のようなものよ」

「偉いのか?」

「偉いといえば偉いけど、大臣にくらべればそれなりのポストよ。だから若手議員の登竜門だってば」

 やけに、そのフレーズを多用している。本当にそのようなものなのだろう。

「もし、何者かがその尾木という政治家を殺そうとしたら……」

「なんだかその話、なにかに似てるわね」

 まさしく、倉田だ。ただし、倉田は殺されるほうではなく、実行犯ではあるが。

「まさか、倉田哲人がからんでるなんてことないわよね……?」

 渉は、首を横に振った。

 さすがにそれはない。三五年前だと、まだ幼い子供のはずだ。

 しかし一連のことは、どこかで確実につながっている。まだ予感という範疇ではあるが、確信に似たものを感じていた。

「尾木という政治家を調べる必要があるな」

「そうね……」

「たしかもう一人、襲われた人間がいるんだよな?」

 思わず、彼女とみつめあってしまった。

 その人物から話を聞ければ、なにかわかるかもしれない。

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