第14話
14
拳銃をゴミ箱に棄てた罪?
あれは、ただのゴミだ。ゴミはゴミ箱に。
それが常識だろ?
* * *
明日から、北海道へ行くことになった。
チケットの手配などは、すべて彼女にまかせることになる。今日は早めに解散となった。準備のためにそうしたのだろうが、とくに荷造りなどは必要ない。持っていきたくても、物をもっていない。
渉は、自室でゆったりとした時間をすごしていた。テレビは、この部屋に最初からそなえつけられているが、電源を入れたことはない。好きなテレビ番組を観る自由に塀のなかでは憧れたものだが、いざその自由を得ても、テレビを楽しむ気持ちにはなれなかった。
怖いのだ。またあの生活にもどったときに、絶望感をより味わってしまう。それならいっそ、不自由なままでいたほうがまだ救われる。再び塀のなかにもどりたくはないが、自分の生き方がそれを許してくれないような気がする……。
「だれだ?」
不穏な気配を感じた。
倉田かと一瞬、考えたが、ちがう。倉田なら一人で動くだろう。気配からは、最低でも五人はいる。
では、《
やつらなら、この場所を知っている。
「だれだ? なんの用だ」
繰り返した。返事はない。
この段階で、《長い舌》でないことが決定した。彼らの真の目的は不明だが、すくなくとも現時点で、おれを消そうとは考えないだろう──それが渉の見立てだ。
そうなると、もっとも濃厚なのが、さきほどの警察官の一派ということになる。
また警察官なのか、それとも下請けに裏社会の人間を使っているのか……とにかく、倉田に近づけたくないのだろう。
扉の前に三人。
ここは二階だが、窓に二人。
侵入して挟み撃ちにするつもりだ。
いまはタイミングを計っている。
「待て。ここには引っ越してきたばかりだ。窓を割られたくはないし、扉も蹴破られたくない。いまから外に行く、そこで決着をつけよう」
ここまで呼びかければ、奇襲する気は失せているだろう。そもそも、こちらが勘づいているのだから、やつらの作戦は失敗だ。部屋のなかだろうと、外だろうと、渉の戦闘力は変わらない。そのことを理解している連中ならば、これで侵入はしないはずだ。
渉は、玄関の扉を開けた。
思いもかけない人物がいた。
「久しぶりだな」
「……猿渡」
その顔は、忘れようもない。
そうだった。もう一つの勢力を忘れていた。
出所した間際に襲わせたのも、香坂をホテル前で襲ったのも、この男の仕業だろう。
「どうして、ここがわかった?」
「おれにわからないことがあると思うのか?」
あいかわらず、自身を大物に思わせたい人格がにじみ出ている。
「あがってもいいか?」
「勝手にあがれ」
猿渡のほかにも二人いたが、猿渡だけが部屋に入った。
猿渡の外見は、あのころよりもさらに過剰な尊大さがあらわれていた。高級なスーツに包まれた身体まで、過剰な栄養をもてあましているようだ。
「太ったな」
「上官に対してその言葉づかい……あいからわず身の程を知らんやつだ」
「なにが上官だ」
渉は、吐き捨てた。
「そんな態度をとっていいのか? いまのおれは、なんでもできるんだぞ」
それが脅しでないことはわかる。この男がほかの狂った権力者とちがうのは、こういう脅しが、脅しとして終わらないことだ。本当に実行する。
善悪のつかない人間に力をもたせると、最悪の独裁者になるという見本のような男だ。
「なんの用だ?」
「用がなけりゃ来ちゃいけないのか?」
「あたりまえだ」
渉は、冷たく言い放った。
「ふふ、まあ聞け。おまえはこれから一生、地獄を見ることになるんだ。いや、ちがうか。もうとっくに、おまえの地獄は、はじまっているんだったな」
「そうだな。おまえのようなクズに出会ったのが、ケチのつきはじめだ」
その侮辱にも、猿渡の余裕は崩れなかった。少しは成長しているようだ。
「刑務所は、どうだった? いいところだったか?」
「おまえも入ってみるといい。そうすれば、ちょっとはまともな人間になるかもしれんぞ」
「はたして、そんな態度がいつまで続くかな?」
なにかしらの切り札があるような言動だった。
「玄関にいる二人と、窓の外にいる二人を合わせても、おれには勝てないぞ。そうだな、二分だ。それだけの時間で、全員を失神させることができる」
さすがに、猿渡の顔色が変わった。
「それとも、五分かけてやろうか?」
「なんだと?」
「おれが五分かければ、全員を殺せる。だがな、おまえだけは楽には殺さない。身体のすべての関節をはずし、自ら殺してくれと懇願するまで苦しませてやる」
「きさま!」
「いまのおれは、なんでもできるんだぞ」
わざと、猿渡のセリフを拝借した。
「ふふ」
しかし、猿渡は余裕を取り戻していた。
「だれにだって、ウィークポイントはあるものだ」
「……」
あからさまに、なに言ってんだこいつ、というような眼をしてやった。
「女だ」
「なんのことだ?」
「調べはついてるんだ。法務省の女だよ」
「それがどうした?」
「その女が、おまえのウォークポイントだ」
「そんなわけあるか」
渉は、再び冷たく言い放った。
「彼女は、ただの雇用主だ」
本当の雇用主は香坂の上司になるのだろうが、かまわずにそう伝えた。
「いや、ちがう。塀の外では、おまえとつながっている人間はいないはずだった。浦島太郎だよ」
渉の両親はすでになく、親友と呼べる人間もいない。それなりのつきあいのある者も、あの事件で離れていった。
「だが、あの女があらわれた。あの女が、おまえと現実世界を結ぶ、唯一のものだ」
この男から、そんな哲学的な言葉が出てきたことに、渉は少し驚いた。
「で、なにが言いたいんだ?」
「おれは、いつでもあの女を好きなようにできる。生かすも殺すも……」
「ははは」
渉は、吹き出した。
「なにがおかしい?」
「好きにすればいい」
「強気なことを口にできるのも、ここまでだぞ」
どうやら、なにかを仕掛けているようだ。
猿渡は、携帯電話を取り出した。
「連絡を入れれば、すぐに女を殺すことができる。いや、それよりも……拉致にしようか」
猿渡の表情は、醜く歪んでいた。クズ中のクズ、という称号をあたえたくなった。
「勝手にすればいい」
「本当にいいのか?」
「ああ。好きにしろ」
猿渡は、渉が本心から言っていると信じていない。
が、それは本心だった。
「いいんだな? 女がどうなろうと」
「どうなろうとかまわないね」
「よし」
猿渡は、どこかに連絡をとった。ひと言ふた言なにかを告げると、すぐに通話を終えた。
「かわいそうな女だ。おまえと関わったばかりに、拉致され、見知らぬ男から陵辱をうけるのだからな。さんざんオモチャにされたあげく、結末は無残な死だ」
それを耳にしても、渉の感情に変化はなかった。
すぐに折り返しの電話がかかってきた。
「どうした? 予定どおりにやったか?」
世の中すべてを見下しているような顔から、途端に余裕がなくなった。
「なに!? どういうことだ?」
携帯を耳から離して、恨めしそうな視線を渉に向けた。
「きさま、なにをした!?」
「さあね」
渉は、小馬鹿にした。服役してからこれまで、こんなに気持ちの良いことはなかった。
「あの女をどこにやった!?」
「おまえに調べられないことはないんだろ?」
「クソ!」
いまにもつかみかかってきそうな勢いだったが、まだ理性は残っていたらしい。
「おぼえておけよ!」
これ以上ないほどの負け惜しみだった。
「帰るのか?」
「フン! おまえ、北海道に行くつもりなんだろう?」
情報収集能力は、たしかに高いようだ。
「だったら、覚悟するんだな。いまあそこは無法地帯だ」
「無法地帯?」
「そうだ。なにがおこっても許されるということだ」
そのニュアンスは、法が意味をなさない、と語っているようだった。
ドンッ! と、けたたましく扉が閉められた。猿渡が帰っていったのだ。窓の外の気配も消えていた。
渉は、香坂に連絡をとった。
いま彼女は、自分の部屋にはいない。
『もしもし? どうかしたの?』
「いろいろとな」
猿渡が来たことを伝えた。
『猿渡? あなたが話していた上官ということ?』
「そうだ」
『暴君ね……』
その表現は、本当にピッタリだった。
『……その男は、なにをしにあなたのところへ来たの? なにかされた?』
「おれになにかしようとすれば、逆にあの男がどうにかなってる」
聞き取れないほど小さく、でしょうね、と彼女は囁いた。
「おれにじゃない。あんたに、やろうとしてた」
『……そう』
声におびえがふくまれた。
『よかったわ。あなたの言うとおりにしておいて』
彼女はいま、自宅にはいない。渉が出所して最初に宿泊したホテルにいる。
もちろんそれは、猿渡を警戒してのものではない。倉田からの襲撃を想定してのものだ。
倉田には、自分たちが正体を知ったことが、あの警察官を動かしていた黒幕から伝わっているだろう。こちらを邪魔だと感じたら、藤堂や高木を消すまえに、矛先が向くかもしれない。
『じゃあ、もう部屋にはもどれないわね』
ホテルへ向かうまえに、旅の支度のため彼女の部屋へ寄った。そのときには、わたしの家の場所を知られたくないんだけど、と渋られたのだが、いまでは感謝されているのだから複雑だ。
「どうせ、明日から北海道だろ」
『それもそうね。あ、でも……もどってきたら、どうするのよ』
「そのときになってから考える」
『……頼りにしていいんでしょうね?』
「大丈夫だ」
しかし倉田の場合は、汚職していない警察に逮捕させるなり、それ相応の実力行使をするなり、どうとでもできる。が、猿渡の場合は少々、厄介だ。
『なんだか、自信がなさそうね』
「もう一度、確認しておくが……本当に、北海道へ行くんだな」
『どうしたの? なにかあるの?』
猿渡の心配もそうだが、そちらのほうも気にかかっていた。
「むこうでは、いろいろとあるらしい」
『なに、それ?』
曖昧な表現だったから、彼女の反応は正しい。
「とにかく、ここより危険かもしれないってことだ」
怖がるかと思ったが、彼女の声は、意外と平静をたもっていた。
『つまり、あなたといるってことが、危険をともなうってことじゃない』
表情だけでなく、声もポーカーフェイスをきどれるのか。
「おれにかかわって、後悔してるか?」
『まだよ。わたしに後悔されたくなかったら、ちゃんと役目は果たしてもらうわ』
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