第10話
10
捜査妨害?
あんなことで妨害になるほど、警察ってのは間抜けなのか?
おれも香坂も、調査対象に会っただけだ。法律には違反してない。
* * *
倉田哲人の第一印象は、伝え聞いていた情報とはちがっていた。
倉田が人間性を隠す天才なのか、情報のほうが嘘なのか……。
「どうしたの?」
香坂の声が、思考を中断させた。
倉田のアパートにいたときから、彼女の視線がつねにまとわりついてる。正直、うっとうしかった。
「なんでもない」
場所は、倉田の住むアパートを出て、最寄り駅へ続く通りの途中だった。
「ねえ、高陽会の説明をしてよ」
「なんだ、そりゃ?」
「あなたが口にしたんでしょ!?」
香坂の眼が怒っていた。
「それにあなた、倉田哲人のことを知ってたわね?」
彼女の詰問は続く。
「知ってたわけないだろ」
彼女の洞察力と勘の鋭さでは、ごまかせないだろうと思ったが、渉はそう答えた。
「……」
「そんなことより、次はどうするんだ?」
強引に話題を変えた。
「そうね……なにか案はない?」
このあとのことは考えていなかったようだ。倉田に会えば、もっと明確ななにかがわかると楽観していたのかもしれない。
そこで、あることに思い至った。
「倉田の調査は、例のやつか? それとも事件の真相のほうか?」
例のやつとは、罪の重さがどうたらこうたらというやつだ。今朝彼女から受けた説明では、そこのところは曖昧にされていた。
かつて殺人で服役した倉田哲人という男が、復讐で連続殺人をおこなっているかもしれない。その調査をする。
普通に聞いたぶんでは、後者──連続殺人の捜査のほうと捉えるのが妥当だ。だが自分たちの仕事は、前者のはずだ。
「倉田哲人を調査する……それだけよ」
香坂は、焦点をぼやかすように言った。明言できない秘密でもあるのか、彼女自身にもわからないのか……。
「あの男が復讐をしているのだとして、もう復讐は終わったのか?」
渉は訊いた。すくなくとも、まだ一人残っていることは知っている。が、そのほかに狙っている人間がいるのかを知りたかった。
「たぶん、あと一人」
「それは、どんな人間だ?」
「検察官よ」
では、渉に護衛を頼んだあの男ではない。
「そういえば、めちゃくちゃな裁判で有罪にされたんだよな?」
「そうね。あなたと似てるわね」
彼女の言葉は、意図的なものを感じた。
「似てる?」
「ええ。あなたの言っていたことが本当だとして、裁判は出来レースだった。そんなことがあるなんて、わたしは信じてないけど」
「……」
「倉田と同じ主張よ」
「おれとは似ていない。倉田は、そういう人間だったってことだ」
「どういう意味?」
「根っからの犯罪者」
彼女の視線が鋭さを増した。
「やっぱり、知ってた」
「……あの男は善人じゃない」
「殺人を犯したんだから、そうなんでしょうね」
彼女も、一件のほうは確実にやっていることを知っているようだ。
「暴力団のことは?」
「なにそれ?」
「そっちとつながりがある」
「どこからの情報?」
「ちょっとな……」
渉はごまかした。
香坂が立ち止まり、瞼を閉じた。なにか考えをめぐらせているのだろうか。
渉もそれに合わせて歩くのをやめた。
「言いたくないんだ」
「……」
瞳が隠れていると感情が読み取れない。
「鏡よ」
「?」
「いま、あなたが見ているのは、わたしの顔じゃない」
鏡……おれ自身の顔ということか。
どうやら、眼で気持ちがわかるようになっていることを、彼女もわかっていたようだ。
ゆっくりと瞼がもちあがった。
「隠してることがあったら、わたしたちはいつまでもわかりあえない。腹を割って」
「そのつもりなんだが……」
渉のほうから歩みを再開した。
「どこに行くつもり?」
「狙われる可能性のある人間がいるんだろ? そいつのところだ」
「……なるほど、おもしろい考えをするわね。でも居場所を知らないでしょ」
「だいたいわかる」
後ろをチラッと振り返って、彼女の表情をうかがった。
瞳を見ても感情は読めなかった。意識的に無感情に徹している。ますます鉄面皮のようになってしまったから、美人の残念度が増していた。
やって来たのは、理路整然と立ち並ぶビル群の前だった。
「どうよ、ここであってんだろ?」
「よく知ってたわね」
渉が問いかけると、香坂は感心したような声を出した。ただし無表情だから、本当に感心しているのかは、いつもどおり予想でしかない。
千代田区霞が関一丁目──。
ビルの名前が、中央合同庁舎6号館というのも知っている。
「あんたの職場だろ?」
「そうね……一応ね。あなたと出会ってから、ここに来るのは初めてだわ」
法務省が入っているビルだ。
そのほかに、最高検察庁をはじめ、東京高等検察庁、東京地方検察庁もここにある。
「検察官だったら、ここにいるだろ?」
「そうね、当たりよ。でも、いまでも検察官でいるとはかぎらなかったでしょ? どうして現役だとわかったの?」
「それは簡単だ。殺された警察官と裁判官には、『元』をつけていた。それなのに、検察官にはつけていなかった」
「あら、そうだったかしら?」
本当に気づいていなかったのか、それともとぼけているのか、声音だけでは判断できない。
「あとね、あなたは知らないかもしれないけど、検察官は国家公務員なわけ。転勤も多い。現役だったとしても、職場がこことはかぎらない」
その疑問にも、渉は明瞭に答えた。
「倉田が復讐しようとしているとして、もしその対象が遠くの土地にいるのだとしたら、倉田もそこに向かっているだろう」
まだべつのターゲットがいることは隠したまま、渉は言った。彼女の疑念の矛先をかえる目的もあった。
「なるほど……」
「で、その人物に会うのか?」
「せっかく来たんだから、面会の申し込みぐらいしてみましょうか」
「会ったことは?」
「ないと思うわ。でも名前しか知らないから、もしかしたら見かけたことぐらいあるかもしれない」
法務省と検察庁が同じ所在地とはいえ、どこまで密接に関係しているのかよくわからない。彼女の言葉がどれほどの可能性があることなのか、渉では推し量れなかった。
その検察官の名前を、香坂が教えてくれた。
藤堂武彦。
「……」
それを耳にして、渉は声を失った。
同じ名前だった。
「ね、だから似てるって言ったでしょ」
いや、それは似ているのではなく、もはや同じだ。渉は思ったが、口には出さなかった。
香坂が携帯で連絡をとっているあいだ、渉はいろいろなことを思案していた。
当時のこと。倉田の事件との共通点。そして、なぜ自分がいま、倉田に関係をもとうとしているのか……。
「五分だけならいいって」
「よく会えることになったな」
仮に法務省と関係が深かったとしても、そのいち職員と事前の約束もなしに会うというのが、検察官のイメージとはちがっているような気がした。
「わたしの上司にとりついでもらったの」
それで納得した。さらに藤堂武彦の現在の肩書を聞いて、それをしなければ会うことなどできないだろうと思い知った。
「いまは、東京高検次席検事よ」
「……」
「高検のなかでは、ナンバー2ということになるかしら」
藤堂武彦という名の検察官が、渉の知っている藤堂武彦と同一人物なのだとしたら、とんだ大物になっていたということになる。
いや、あれから十五年以上が経過しているのだから、それだけ出世していても不思議ではないのかもしれない。
東京高検のなかに入ると、香坂の先導で通路を進んだ。次席検事と聞いて驚きはしたものの、それがどのような役職なのか具体的にはよくわからない。個室に通されたから、専用の部屋をもっていることだけはたしかだ。
なかに入ると、男が席に座っていた。
まちがいない。渉の知る藤堂武彦と同一人物だった。
「法務省の香坂です」
「本来なら、突然こられても迷惑なのですが」
あからさまに、表情に出していた。
年齢は五十歳前後になるだろう。あの当時が三十代前半だったから、年齢的にもまちがいない。
「申し訳ありません」
「北島君とは、大学が同じでね」
「そうでしたか」
どうやら、北島というのが香坂の上司らしい。
「かわいい後輩の頼みでは、きくしかないだろう」
「ご配慮ありがとうございます」
香坂の言葉は、見事に藤堂を気持ちよくのせているようだ。これで表情豊かだったら、愛人にでもならないか、と誘われているかもしれない。
「で、用件は?」
渉のことは眼中にないのか、藤堂は話を急かした。
「はい。事件のことは、ご存知ですよね?」
「事件?」
わざとらしく、とぼけていた。
「なんのことだ?」
「藤堂さんの関わった事件の関係者が、すでに二名殺害されています」
「さあ、なんのことやら」
「フフ」
渉は、思わず笑ってしまった。
「なんだね? なにがおかしい?」
気分を害したように、藤堂は鋭く睨んだ。
渉は意に介さない。
「あんたが狙われてるって、警察の人間も来てるだろう?」
「私には、なんのことなのかわからんね」
図星をつかれたはずなのに、あくまでもしらを切りとおすつもりのようだ。
「用件というのは、それかね? まさか法務省の職員が、警察の真似事か?」
「わたしは、元受刑者をある観点から調査しています」
「ああ、それは北島君から聞いたよ」
それに続けて、奇特なことだ、と小さくつぶやいた。
「いまは、倉田哲人という元受刑者を調査しています。その過程で、あなたに行き着きました」
「私から、なにが聞きたいんだね?」
「倉田哲人と、過去になにがありましたか?」
「知っているから、私のところに来たのだろう」
「裁判を担当されたのですよね?」
「そうだ。たくさんある刑事事件の一つだった」
「どうして狙われるのだと思いますか?」
「狙われる? それは本当のことなのかね? そんなおぼえはないが」
「二件の殺人を倉田は犯しているかもしれません」
「結局は、憶測だろう?」
「はい」
香坂は、堂々と認めた。感心した。憶測であることを突かれたら、もっと弱気になるのが普通だ。こういうとき彼女の無表情は、とてつもない武器になる。
「失礼だと思わないのかね?」
「失礼でしたか?」
この返しには、検察庁の大物であろう人物が面食らったようだった。
「さすがは北島君の部下だ。じつに愉快だ」
その言葉の裏には、じつに不愉快だ、という意味がこめられているのは言うまでもない。
「さあ、もう五分経ったぞ」
「命を狙われることに、恐怖はないのですか?」
「だから、命など狙われていない」
渉は、再び声を出して笑った。
「君は、笑い上戸なのか?」
「いや、おかしいと思ってね。倉田ってやつから狙われてるかもしれないから、他人に護衛させようとしている人物をおれは知ってる。あんたは警察も追い返したようだ。殺されないという自信はどこからくるんだ?」
「……仮に、過去の裁判のことで逆恨みしてるとして、そんなことをいちいち気にしていたら、検察官など務まらん」
たしかに筋の通った意見だ。
発言に裏表がなければ、立派な検察官といえるだろう。が、この男が、そんな清々しい言葉など似合わない黒いものをもっていることは瞬時に理解していた。
「忙しいんだ。もう帰ってくれ」
これ以上の譲歩は許さない語気だった。
香坂は、いさぎよく部屋をあとにした。渉は、彼女に従うだけだ。
中央合同庁舎を出て、しばらくおたがい無言で歩いていた。香坂が先導していたが、はたして次の目的地が決まっているのかどうか……。
「雇われたんだ」
ふいに、彼女がつぶやくように声を出した。
歩みは止めていない。
「だれ? だれに頼まれたの?」
そこでようやく足を止め、振り返った。
「なんのことだ?」
「さっきの話、あなたのことでしょう? 倉田から命を狙われている人間が、護衛を頼んだ……あなたが、守るように依頼された」
あそこまで聞かせれば、この女ならわかってしまうだろうとは考えていた。が、認めるつもりはない。事態がどのように転ぶか見当がつかないからだ。彼女が確実に味方になるとはかぎらない。
「あの連中ね? 昨日、あれからその依頼主に会った」
不謹慎な笑みが浮いていることを自覚していた。
「その人物が、高陽会というところと関係があるのね?」
おおむね、そのとおりだった。
「あなたは、どうするつもりなの?」
「どう、とは?」
「そのままの意味よ」
「おれは、おれのやりたいようにやるだけだ」
「……」
「安心しろ。あんたの仕事には協力する」
「その言葉を信用しろというの?」
「おれが信用できないのは、最初から織り込みずみだろ?」
「……痛いところをつくわね」
無表情のはずの彼女が、笑ったような気がした。
鏡……。
おれが笑っているのか──渉は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます