第8話
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別行動のあいだ、なにをしてたか? それは、ご想像にまかせるよ。
それともなにか? おれには一人で行動する自由もないのか?
安心しろ。たとえ犯罪行為をおこなっていたとしても、彼女にはなんのかかわりもない。すべては、おれの責任だ。それでいいだろ?
* * *
男たちの用意したワンボックスに乗せられた。走行中はだれとも会話はなかったが、目隠しをされるようなことはなかった。ただし遮光フィルムがはられていたので、外の景色はほとんど見えない。
三十分ほどで車は停まった。
ついたのは、どこの街にもありそうな五階建ての雑居ビルだった。廃工場や建設途中で投げ出された工事現場を想定していたのだが、拍子抜けもいいところだ。
三階の部屋に通された。なかはガランとしているし、入り口には社名や店名もなかったので、空いているスペースのようだ。
部屋の中央にオフィス用の机が置かれ、椅子ではなく、その机の上に男が腰かけていた。
見覚えのない男だった。年齢は、三十代であることはまちがいない。自分よりは年下だろうと、渉は目算した。
「ようこそ」
「あんたは?」
一見、誠実そうな容姿をしているが、その内面に怖いものが潜んでいることを瞬時に察知していた。
「私の名など、どうでもいいでしょう?」
「それもそうだな」
あっさりと渉は同意した。
「ですが、まったく名乗らないのも都合が悪いですね。私のことは《
「なんだそりゃ?」
「人よりも長いんですよ」
男はそう言うと、おどけたように舌を出した。別段、長いようにも見えなかった。
「で、おれをこんなところに呼んだ理由は?」
舌のくだりはそのままスルーして、渉は本題に入った。
「こいつらが会わせたかったのは、あんたなのか?」
「まさか。ちがいますよ。もうすぐ、ここにやってきます。私は雇われ人です。その人物とあなたを引き合わせるためのね」
数人の手下たちが、どこからか大きなソファーを運んできた。
「どうぞ、それで休んでください」
遠慮なく、渉は座った。べつの数人が、もう一つソファーを持ってきて、渉の正面──向かい合うように置いた。たぶん、会わせたいという人物のためのものだ。
それから十分経ったころに動きがあった。
手下たちに先導されて、一人の老人が姿を現した。
年齢は、七十歳前後と思われる。
老いていても肌には張りがあった。眼光も生気に満ちているのだが、どこかに世を投げ出した暗い光がやどっていた。
「……」
渉は思案した。どこかで会ったことがあるのだが、よく思い出せない。
「久しぶりだな」
老人が言った。
「あんたは?」
「覚えておらんのか。まあ、仕方ないか」
「どこで会ってるんだ?」
「それがわからないのは、おまえに罪悪感がないからだ」
そう答えながら、老人はソファに腰をおろした。
その言葉で、渉は思い出していた。
「そうか……あの男の親だったな」
「そうだ。おまえが、虫けらのように殺した男の親だよ」
渉は、単純なことを見落としていた。
かつての上官のことばかりしか頭になかった。本来なら、一番に疑わなくてはならない相手だ。
殺してしまった──被害者の遺族。
罪悪感がないというのは、まったくの事実だった。死んでも当然のクズ男だったのだ。
「いっとくが、おれは殺そうと思って殺したんじゃない」
「裁判では認められたではないか」
「あの裁判は、でたらめだ」
「ふふふ」
激昂するのかと思ったが、老人は場にそぐわない笑い声をもらした。
「でたらめか……そうかもしれんな。だがな、わしにとってはどうでもいいことだ。おまえが息子を殺した事実はかわらないんだからな」
「あいつはクズだ。女を暴力で支配し、殺そうとしたんだからな」
「ふふふ」
これにも、老人は怒りをあらわすことはなかった。
「息子がクズなのは、わかりきっていたことだ。べつにおまえを恨んでいるわけではない」
「だったら、どうしておれと会おうとした?」
「おまえに頼みがあるからだ」
渉は、老人の顔色をうかがった。感情は読み取れなかった。これなら、あの香坂のほうがまだわかりやすい。
「頼み? おれを狙ってたんじゃないのか?」
「いまさらおまえに復讐したところで、なんになる。それに、あのバカ息子が死んだのは自業自得だ。おまえのことは好きになれないとしても、殺そうとは思わない」
嘘を言っているようではないが、心情を読み取れないから、演技であることも頭に入れておかなくてはならない。
「じゃあ、おれたちを狙ったのは、あんたじゃないんだな?」
「知らんな」
そう答えて老人は、《長い舌》に顔を向けた。
「私たちが接触したのは、今日がはじめてです」
視線にうながされた彼が続けた。
「では、どうやっておれたちのいる場所がわかった?」
「どうでもよいことだ。蛇の道は蛇……そういうことだと思え」
同類の行動は、同類にならわかるということを言いたいようだ。
おれと同類? 渉は考えたが、ちがうと感じた。
そうか、出所してからつけ狙っている連中のことだ。そいつらと情報源が同じ……。
香坂の近くにいるという推理が正しければ、その人物は方々に話を振っている。なんの目的があって……。
「蛇の正体を教えるつもりはないんだな?」
老人は、今度は声を出すことなく笑った。
「では、本題にもどってもよいか?」
「頼みっていうのは?」
「わしを守ってもらいたい」
「これはけったいな」
少しあざけるような響きがともなっていることは自覚していた。
「ヤクザの親分が、おれに守ってもらいたいって?」
「それは、むかしのことだ」
この老人は、関東を拠点にした老舗のヤクザだった。息子が死んでから──渉が死なせてしまってから、組を解散したという。
「もういまでは、わしを守ろうとする者などおらん」
「だれから守れというんだ? むかしの恨みか?」
「そうだ」
隠すこともなく、老人は答えた。
「なにをやった?」
「ちょっとな……陥れたんだ」
老人が現役だったころの恨みを、いまごろ晴らそうとする人間がいることに軽い驚きがあった。
「相当、えげつないことをやったんだな」
渉は決めつけた。
「そういうことだ」
「具体的には?」
「引き受けてくれると約束できるのなら、教えてやろう」
「いや、話のほうがさきだ」
数瞬の間をあけて、老人は語りはじめた。
「……かつて邪魔な男がいてな。わしとある人物の癒着を書きたてようとしていた記者だった」
黒い交際を書かれて困るということは、政治家か財界人だろう。芸能人などの著名人も困るといえば困るだろうが、だからといって、ひと一人を排除することはしない。なによりも、黒社会の側も困らないかぎり、そんな強硬手段には出ない。
「消したのか?」
「ああ、そうだ」
殺しの容疑をあっさりと認めた。
「消した人間の肉親が、復讐でもしようというのか?」
「まあ、聞け。話はこれからだ」
老人は、苦いものを吐き出すように息をついた。
「同時期に、殺人を犯したやつがいた。うちとつきあいのある人間だ。普段は経営コンサルタントや、起業アドバイザーなどと名乗っていたが……とにかく胡散臭いやつだった」
元組長がそう表現するのだから、まともな人間ではなかったのだろう。
「いくつか裏のビジネスをまかせていた」
「フロントってことか?」
「いまのように精巧なものじゃないがな」
現在における暴力団とフロント企業の関係は、渉の知っているころとはさまがわりしているという。一般の人間はおろか、同業の暴力団員でさえ、系列のフロントだとは知らないケースがあるらしい。真っ当であると信じられている会社が、じつは裏では黒く染まっている。
世も末だ。渉はそう感じてしまう。
「ところが、そいつがトラブルをおこした。詐欺まがいのことをたくさんしていたからな。全財産をまきあげられた被害者の一人に狙われたんだ」
そして、返り討ちにしてしまったというわけか。
「そこで、うちに泣きついてきたってわけだ」
しかし陥れたというのだから、助けたわけではないだろう。
「ちょうどよいタイミングだった」
「で、問題の記者も殺させたのか?」
「ちがう。それはべつの人間がやった。いっとくが、うちはその殺しには関わっていない」
あくまでも、政治家(財界人)のルートから動いたようだ。
「わしらの仕事は、その殺しをやつにかぶせることだった。つまりやつは、二件の殺しで逮捕されたというわけだ」
一件は、実際の殺人。
もう一件は、冤罪。
「もちろん、その男の了解は得なかったんだよな?」
だからこそ、陥れた、という表現になる。
老人のほうも、いちいちうなずくことはなかった。
「刑期を終え、そいつが出所している」
「何年入ってた? かなりの恨みだろうな。二件だから無期か?」
無期の場合、三十年以上かかるはずだ。へたをすれば、四十年。渉のいた刑務所にも四三年入っているが、まだ仮出所の話がない受刑者がいた。
「十五年ぐらいだった」
「二人殺して?」
一人が冤罪だとしても、裁判官はそれを知らない。たとえ情状酌量が最大限に認められていても、十五年の懲役は軽すぎる。
「一件のほう……本当に殺したほうが、正当防衛にでもなったのか?」
「そんなことはない」
「では?」
老人は、それを答えようとはしなかった。
室内に微妙な空気が流れた。
それを嫌ったのか、老人が話の続きを語りだした。
「出所したやつは、はじめやがったのさ」
復讐を、ということだろう。
「まずは、捜査を担当した元警察官だった。取り調べも担当していたようだ……」
「偽の調書でもつくられたのか?」
「そうだ。そして、その次は元裁判官……」
「判決に不服だとでも?」
それはおかしい。
二件の殺害で十五年は、むしろ感謝すべき判決だ。
なにかおかしい……。
渉は、思い至った。
「おれだ……」
おれといっしょだ──。
「裁判も仕組まれてたってわけか」
警察も検察も裁判官もグル。
そんなことができるのは、ある一定の権力者だけだ。
「あんたと関係のあった人間はだれだ?」
強く渉は詰問した。
「それを知ってどうする?」
老人に答えるつもりがないことはわかっていた。
自分のケースと似ている──それは、錯覚や思い込みではない。同じ人間が黒幕にいるからだ。
「どうやって守ればいいんだ?」
渉は、本題にもどした。
瞬間的に、ある思惑が浮かんだ。このままこの老人につきあっていれば、いずれ黒幕や猿渡にぶつかるかもしれない。その期待があった。
おそらく、この部屋にいる連中──《長い舌》も、それに関わっているはずだ。
「ふふふ、そうだ、それでよい。おまえは、わしに罪滅ぼしをしなければならん」
「ごたくはいい。どういうプランで守ればいいんだ?」
「普段の守りは必要ない。滅多に屋敷からは出ないからな。それに彼らもいる」
「普段じゃないときっていうのは?」
「そのときが来たら知らせる。それよりも、おまえの機動力を生かして、襲撃者を始末してもらいたい」
「殺せと?」
「できるだろう?」
「いやだね。またムショにもどるのはごめんだ」
「できんというのか?」
「おれは殺し屋じゃない。殺しを頼むなら、こいつらのほうが適任だろう」
渉は、《長い舌》を見た。
彼は口許に笑みをたたえていた。
「守るのならやってやる。可能なら、殺すのではなく、捕まえてやる。それで充分だろう?」
「ふふふ、わかった。それでよい」
「で、あんたの命を狙ってるやつの名は?」
「倉田哲人という男だ」
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