第4話

       4


 むかし話は、どこまで本当だったかって?

 嘘は言ってない。

 まあ、すべてを語ったわけでもないがな。


     * * *


 それは、事件に巻き込まれる一年前までさかのぼる。

 渉は、陸上自衛隊のなかでも対テロ特殊部隊である特殊作戦群に所属していた。特殊作戦群は2004年に設立され、所属隊員の氏名はおろか、訓練内容、装備などの情報を一切おおやけにしていない、いわゆる極秘部隊だ。その創設当初のメンバーの一人が、渉だった。

 隊員としては優秀であったが、忠誠心という意味においては、渉はエリートとはかけ離れていた。自覚はあったし、上官からもそういう指摘は日常茶飯事だった。それでも隊のなかで、群を抜く戦闘能力をほこっていた。

 あるとき、特殊作戦群の本拠地である習志野駐屯地に、新しい司令官が赴任してきた。通常、習志野の駐屯地指令は、第一空挺団の団長が兼任するのが慣例となっていた。それなのに、その指令には特例人事が適用された。

 すぐに理由は、噂となってみなに知れ渡ることになった。

 指令は、さる権力者の子息だという。

 どのていど上の人間なのか、予想することも困難だった。なぜなら、その新指令は防衛大学校にも行っていない。いや、記録上は卒業したことになっている。しかも、首席で。

 が、同期とされている士官でも、新指令と会ったことがある者はいない。つまり、士官候補生という過去すら権力によってつくられたものだ。そんなことができる権力者など、この世に存在するのかも疑われる。内閣総理大臣ていどでは駄目だろう。それこそ、この日本を牛耳っている影のドンのような存在でもないかぎり……。

 渉は、その噂を信じていなかった。

 しかし、着任すると同時に行われた傍若無人の振る舞いに、信じざるをえなくなった。

 眼をつけられた隊員は、全裸にされ、鞭で叩かれながら永遠と追いかけられた。逆さづりで十二時間放置された者もいた。実弾で太ももを撃ち抜かれ、死にかけた隊員も……。

 死者こそ出なかったが、残虐極まりないイジメであり、暴力であり、殺人未遂だった。

 その行為を止められる者はだれもいない。

 止めようとした士官はいたのだが、その人物はそれからまもなく行方不明になった。自らの意思で除隊したことになっているが、じつは消されたのではないか、と基地内では囁かれていた。本人が現れない以上、それを確かめるすべはない。

 指令の階級は陸将補になるのだが、同階級の第一空挺団長ですら、なにも言えなかった。それどころか、陸将のコントロールもきかないアンタッチャブルな存在となっていった。

 ただでさえ忠誠心の薄い渉にとって、そんなクズのような上官の命令など従うつもりはなかった。

 あるとき、同じ特殊作戦群のメンバーが、その指令から拷問に耐える訓練だと言われ、酷いめに遭っていた。どこで調達したかわからない電気ショックをあたえる拷問具で、隊員は責めらていた。いかに普段から厳しい訓練で鍛えている特殊作戦群の猛者といえども、耐えることは困難なほどだった。

 渉は、その隊員を助けた。

 当然のことだが、邪魔をされた指令は激昂した。

「きさま、上官にさからうのか!?」

 その言葉には、鉄拳で答えた。

 一発、二発!

 阻止しようとした人間も完膚なきまでに叩きのめした。格闘術で渉にかなう者はいなかった。教官ですら、渉にとっては赤子も同然だった。ただし訓練では気をつかって、いつも手加減をしていたのだが。

 渉の強さに、特殊作戦群、第一空挺団──習志野駐屯地に所属する隊員は、すべておびえた。まるでモンスターを相手にしていると思っただろう。それほど実力差は圧倒的だった。

 そして最もおびえたのが、暴虐のかぎりをつくしていた司令官自身だった。

「う、ううう……」

 何十発、何百発、拳で殴られ、張り手でプライドをズタズタにされ、指令は恐怖のあまり失禁していた。

 それでも、渉はいたぶり続けた。

「や、やめろ! 大変なことになるぞ!」

 だれかが、渉にそう言った。

 その忠告は、上官に手をあげた行為を糾弾する意味だったのか、それとも指令のバックにいる巨大権力に対しての恐れだったのかわからない。だが渉にとっては、狂った人間の狂った命令に従った人間も、また狂っているのと同じことだった。そいつにも一発みまって、失神させてやった。

 さすがにそれだけの大立ち回りをやらかしたのだから、渉は自衛隊にいられなくなった。それどころか、逮捕すらありえた。もし自衛隊が軍隊だったとしたら、軍法会議にかけられ、相当な罰をうけたかもしれない。が、日本国憲法のもとでは特別裁判所を設置することはできない。ゆえに自衛隊内の犯罪でも一般の裁判所が判断をくだす。

 しかし渉は、そのことで逮捕はされなかった。理由は、その後の顛末によるものだ。

 怒りに狂った指令が、仕返しをしようとしたのだ。拳銃で襲撃された。渉は二、三発かすっただけで死ぬことはなかった。しかもそれが幸いして、渉による暴行がなかったことになった。つまり、指令の銃襲撃と相殺されたのだ。もちろん、秘密裏にだが。

 渉は一般人となり、普通の生活をしていくはずだった。そうならなかったのは、やはり指令の仕業だった。

 絶対的な確証があるわけではない。

 しかし、まちがいないはずだ。

 渉が人をあやめた事件を仕組んだのは、あの男以外には考えられない。

 繁華街を歩いていたときだ。チンピラが女性を襲おうとしていた。

 路地につれこもうとしていたところを目撃したのだ。その暴漢を蹴飛ばして、女性を助けた。だが、暴漢には仲間がいた。その仲間たちが女性を人質にとった。

 渉は、抵抗できないままに、チンピラから暴行をうけた。しかし鋼と化した肉体には、まったくきかない攻撃だった。

 むしろ、自身の拳と足を痛めたチンピラは、攻撃の矛先を女性に向けた。眼がイッていた。渉は、迷わずに全力を出した。その気になれば、人質をとられていようが、どうにでもできた。

 一人残らず意識を飛ばした。

 女性にも怪我はなく、無事に助け出した。

 ただ一人、元凶のチンピラだけは、気絶させなかった。そいつには、訊くべきことがあったからだ。このトラブルが、偶発的におこったものなのか、何者かによりおこされたものなのか──。

 渉は、そのときの後悔をいまでも噛みしめることがある。

 油断があった。もう戦意喪失し、抵抗する気などないだろうとタカをくくっていた。チンピラは、それまで隠していたナイフを抜いた。

 ぶちのめす過程で、武器があるのなら、すでに出しているだろうという常識がどこかにあった。それをその瞬間まで出さなかったチンピラは、ある意味、たいしたものだ。

 とはいえ、ナイフ一本では、渉にとって脅威でもなんでもない。

 チンピラは、最初から女性を狙った。

 タイミング的には、間に合わなかった。

 仲間たち全員を倒したときも、特殊部隊で司令官をぶちのめしたときも、それは本気とはいえなかった。全力は出していたかもしれないが、その全力は「通常戦闘」でのものだ。

 そのときの渉は、生まれてはじめてリミッターをはずした。

 人を殺すために身体を動かした。

 言い訳になるかもしれない。が、そうしなければ、女性を救うことはできなかっただろう。

 渉は、人を殺した。



「ちょっと待って」

 ここまで黙って聞いていた香坂が、はじめて話をさえぎった。

「それ、本当なの?」

「信じてもらわなくて結構」

「だとしたら、殺人じゃ……」

「人を殺したことは、否定しない」

「他人の命を守るためでも、正当防衛は成立するわ」

「そうはならなかった」

 渉は、淡々と答えた。もう過去のことだ。いまさら悔しがっても意味はない。

「……わかった。人を殺してしまった理由は、信じるわ」

 この女は表情の変化がないから、どこまでが本心かうかがえない。

「それで結局、自衛隊のときの司令官が、そのチンピラをつかってトラブルになるように仕組んでいたの?」

「おれはそう思ってる」

「ごめんなさい……それについては信じられない。そもそも、そんな暴君みたいな人が現実にいるなんて……」

 そう言われたからといって、渉に責めるつもりはなかった。実際に本人と会ってみなければ、信じられないのも仕方のないことだ。この法治国家となった現代の日本で、しかも厳格な自衛隊のなかで、そんな人間が現れたなど想像すら難しい。

「証拠はないんでしょう?」

 トラブルを仕組んだ、という意味だろう。

「請け負った人間を殺しちまったからな。仲間はなにも知らないようだった。それに、証拠なんて意味はない。どんな証拠であろうが握りつぶされたさ。実際、そうだったしな」

「だれが握りつぶすというの!? 警察? 検察?」

「どっちもだ。それだけじゃない。裁判官だってグルだった。いや、傍聴席にいた人間も、みな仕込みだった」

 到底、信じられないようだった。

「さらに言うと、弁護士だってそうだ」

「弁護士まで?」

「無理やり国選をつけられた」

「弁護士のあてはあったの?」

「ない」

「だったら……」

 国選弁護人でも仕方なかったんじゃないの? 香坂は、そういう眼をしていた。表情ではなく、瞳の色でなら、なんとなく感情を読めるということがわかってきた。

「だが、たとえおれが弁護士を雇おうとしても妨害されただろう」

「それ、被害妄想じゃないの?」

「おれだって、こんな話を他人からされたらそう思う」

 渉は、突き放すように言った。信じないのなら、こんな話をしても時間の無駄だ。

「……わかった。それについても信じる」

 香坂の声は、なにかを固く決意したようだった。表情はいつものようにないが、瞳は穏やかで、人を疑う色ではなかった。

 とはいえ、この女を百パーセント信頼したわけではない。あるていど瞳で感情を読み取れるようになったが、心の奥底に眠る本性までは、さすがにさぐれない。

「で、いまのことなんだけど……わたしを押したのって、どんな人間だったの?」

「おれも、はっきりと見たわけじゃないんだよ」

「そう……」

 これで、会話を終わらせたつもりだった。

 しかし香坂は、部屋を出ていこうとはしなかった。

「どうした? まだなにかあるのか?」

「……わたしは、また狙われる?」

「今夜はないだろう」

「どうして、そう言い切れるの?」

「そんな予感がするんだよ」

 渉は、さきほどのことを脳裏に浮かべた。

 彼女にはいま、嘘を言った。

 ホテルの周囲をさぐり、尾行や襲撃を警戒していたときに、彼女がやって来た。すぐに尾行がついていることもわかった。

 その人物は、ホテルから出て、信号待ちしていた彼女を背後から狙おうとした。警告なのはわかっていたから、好きにさせた。

 そいつは目的を果たすと、周囲に溶けこみながら、その場から離れていく。視覚に入らないような角度から、渉はすれちがった。

 すれちがいざま、掌打で肋骨を砕いた。

 すぐに痛みは感じない。ちょうど現場を離脱して、一息ついてから痛みが出る。

 いまごろは、呼吸をするもの苦しいだろう。

「なにが可笑しいの?」

 知らずに笑みを浮かべていたようだ。

「いや、なんでもない」

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