第2話

 僕や王子の監視のない、女だけの場所で彼女がどんな扱いを受けているのか、憔悴していく彼女を見れば明らかだった。


 僕は世話役だけど、あくまで奴隷の一歩手前、平民育ちの従者だ。

 学も教養も家柄もないけれど、「アリアの世話役にはお前が都合がいい」と決められた者だ。


 こんな僕が令嬢に楯突いても、令嬢の耳には聞こえない。


「あら、羽虫が飛んでいますわね」


 僕がアリアを守ろうとすれば、遠慮のない扇の一閃がぴしゃりと飛ぶ。


「王子様に片づけてもらってもいいのよ? あなた」


 地に這いつくばった僕の手をハイヒールで踏みながら、令嬢は楚々と笑った。


「それとももっと、あの生意気な娘をいじめてやろうかしら?」


 僕は、無力だった。

 せめて僕は何度も、彼女に対するいじめを王子に訴えた。

 しかし王子はいつも、ニヤニヤと笑うばかりだった。


「しかし、彼女はこのままでは……」


 今日もまた、適当な調子であしらわれた。


「女たちのいじめくらい、可愛いものさ。肌に傷が残らないのだから好きにさせておけ」


 あれだけ寵愛しておきながら、王子はそんなことを言ってのけるのだ。


「おい、お前。道化がなぜ必要か知っているか?」

「道化、ですか……?」

「不満のガス抜きのために必要なのさ。僕がいろんな女から恨みを買っているのは当然知っている。だからアリアを連中に与えてやっているんだ」

「な……」

「アリアも行き場のない女だったんだ。王宮で不自由なく暮らして僕に愛されているのだから、少しは役に立ってもらわないとな」


ーーー


 王子に何を言っても埒があかない。

 かといって身分が低い僕が令嬢たちのいじめからアリアを庇っても、僕がクビになるか、アリアへのいじめが酷くなるだけだ。

 だから僕はせめて、アリアの味方でいるようにした。アリアが部屋に閉じ込められたら、すぐに合鍵を使って解放する。アリアが泥まみれで泣いていたら、すぐに風呂を準備させて入れるように手配する。

 髪飾りが壊されたら、野花をつんで髪に挿してあげた。


「ごめんね。僕の身分がもっと高ければ苦労させないのに」


 ある日、女たちのお茶会帰りのアリアを出迎えると、見事な赤毛がしっちゃかめっちゃかにされていた。髪結の遊びでもされたのだろうか。子供に与えるおもちゃの人形よりも悲惨だ。


「椅子に座って。僕が解いてあげるから」


 彼女は素直に頷き、庭園に置いた椅子に腰を下ろす。

 めちゃくちゃに乱された髪を解いてあげていると、頭が揺れる。

 アリアがこちらを見上げていた。


「痛かった?」


 僕が尋ねると、彼女は小さく首を振って否定する。

 ぽってりと可愛らしい唇が、ありがとう、と動いた。

 アリアはにっこりと笑う。いじめられっことは思えない、あまりに清純で、清らかな微笑みだった。陽の光のような眩しさで、海の輝きのような瑞々しさだった。

 感動と興奮で、僕は全身の肌がざわざわと粟立つのを感じた。嫌悪でなはなく恋の興奮でも鳥肌が立つのだと、僕はそのとき初めて知った。

 僕はアリアに恋をしたのだ。


 しかしアリアは酷い扱いを受けても、王子を熱っぽいような、慈愛のような眼差しで見守り続けていた。恋を知ってしまった僕は、アリアの饒舌な眼差しが、どんな気持ちを湛えて輝いているのかわかってしまう。

 彼女は心から王子に恋をしている。僕なんて目に入らないほどに。


 そして。

 王子が22歳の誕生日を迎えると同時に、隣国の姫と結婚する運びとなった。


ーーー


  ずっと公にはされていなかったが、隣国の姫は阿呆王子の婚約者だった。


 非公式だった理由の一つは王子の色好み。

 そしてもう一つの理由は、隣国の姫には隣国の法律により、数年間修道院で修める花嫁修行が必要だったこと。隣国の姫は修道女のように戒律に厳しく、貞淑かつ規律に厳格な姫らしい。

 隣国と我が国の力関係は、明らかに我が国の方が上。しかし隣国は他の帝国や別の強国と隣接した土地なので重要な婚姻だった。


 僕はずっと願っていた。王子の色好みが災いして潔癖な姫との決定的な婚約破棄になることを。

 しかし正式な婚約を結びに隣国へ赴いた王子は、なんと一目で姫に恋に落ちてしまう。


 色好みの王子にとって唯一忘らない運命の相手が彼女だった。

 16歳の時の悲惨な海難事故、そこで浅瀬に打ち上げられた王子を助けて介抱した修道女こそ、身分を隠した隣国の姫だったのだ。


「ああ、姫。あなたは流れ着いた僕を、献身的に助けてくれた淑女ひとだったのですね。

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