僕は王子様にはなれないけれど、

まえばる蒔乃

第1話

「王子を殺して帰っておいでなさい。魔女の短刀で刺して血を浴びれば、あなたは人魚に戻れるわ」


 僕が恐ろしい真実を聞いてしまったのは、花嫁花婿となった王子と姫が、船上で初夜を過ごす夜を夜警しているときだった。


「お願いだから帰ってきて。あなたが心配で、人魚の世界は毎日啜り泣きが聞こえない日がないわ。父上も、おばあさまもすっかり……」

「王子が他の女と成就したならば、あなたは朝日に溶けて泡になって消えてしまう。全てを投げ打って恋をしたあなたが、王子のために消えなくてもいいじゃない」


 僕は口を両手で塞いで息を殺し、僕は壁に背をつけて耳を済ませた。

 空には満天の星。

 ゆらゆらと優しく揺れる甲板。

 東の空の端はちりちりと赤く染まっている。


 もうすぐ、朝がくる。


ーーー


 王子はとして有名だった。

 五年前、16歳の誕生日に海難事故に巻き込まれた王子は、人魚に魅入られたから船を壊されたのだと噂されていた。

 人魚は嵐を呼び人間を溺れさせ、人魚の国へと連れていく妖と考えられている。だから漁師は普通、人魚が顔を出す日は船を出さない。しかし王家は「せっかくの王子の誕生日だから」と無理に船をだし、見事に海難事故を起こしてしまったのだ。

 人々は皆王家が阿保だと言うわけにもいかず、


「王子は人魚に魅入られているので、悲劇に遭った」


 というしかないのだ。

 この話からわかるように国王は愚鈍で、王子もまた阿呆だった。ただし笑顔と中身のない適当な挨拶だけは上手にできるので、政治の実権を議会に譲り渡した「お飾り王室」としては十分な存在だった。


 王子は黒目黒髪、美貌の阿呆。そして手に負えない色好みだった。10代にして顔と立場を利用して令嬢メイド尼僧家庭教師、相手を選ばず取っ替え引っ替え、身籠ってしまった女は身分に応じて将来の側室の約束を取り付けたり、手切金を渡したりしていた。


 だから王子がいきなり絶世の美貌の娘を拾ってきたのも、周囲は「いつものことか」と呆れるだけだった。むしろ天涯孤独で身元もわからない、何も喋らない娘だったので飽きたら捨てればいい、と安心したくらいだ。


 王子はその娘にアリアと名前をつけた。

 碧い瞳はまるで、空と海が溶け合ったような色。

 真っ白な肌は太陽に眩く照らされた翳りひとつない砂浜の色。

 そして誇らしく輝き波打つ真っ赤な赤毛は、珊瑚礁の色を写しとったように鮮やかで。


 王子はアリアの美貌を「僕の宝石」と称賛した。


 アリアは王子によって絹とモスリンで仕立てた高級なドレスを仕立てられ、ますます美しくなった彼女を、王子は人形を愛でるかのように寵愛した。

 普通の令嬢なら嫌がるような、野山に森に山にと、あちこちの遊びへと連れ回した。

 アリアは黙ってニコニコと、軽やかな足取りで付き従った。


 アリアは王子の寵愛を一身に浴びたので、王子の寵愛を求める女たちの恨みを買った。王子は色好みの阿呆だが腐っても王子。見目よくさらに身籠れば貴族令嬢なら側室確約の相手なので、貴族令嬢の恋の相手としては人気だったのだ。


「どこの馬の骨とも思えない不気味な娘ね。気持ち悪いったらありゃしない」

「どうせすぐ捨てられる雑巾だから、私たちの靴底を磨いてもよろしいわよね」


 アリアは言葉で言い返せない分、王子のいない場所ではさまざまな嫌がらせをされてきた。着替えられない場所でドレスを水浸しにされてしまったり、間違ったふりをして雨の庭園に閉じ込められたり。


 異常に猫に怯えることが発覚した次の日は、令嬢たちはこぞって自慢の猫をけしかけ、アリアを襲わせた。

 礼儀作法も知らない彼女のテーブルマナーは貴族令嬢たちの笑い物になった。

 女だけのサロンから泣きながら帰ってきた彼女を見たこともある。

 どうやら「服を返して欲しければ踊ってちょうだい」と下着姿で踊らされていたらしい。

 阿呆の王子に群がる女も皆阿呆だ。ただただゾッとするしかなかった。


 なぜそれらのいじめの実態を知っているのか。

 それは僕が、王子に命じられたアリアの世話役だったからだ。


ーーー


 アリアは喋らない娘だけど実は表情豊かで、何を考えているのかは目を見ればすぐにわかる。

 唇を読んで言葉のやりとりはできるから、きっととても賢い子なんだろう。


 けれど。

 賢さが滲んだ眼差しも、つぐんだ唇の美しさも、全てが令嬢たちの勘に障るのだろう。

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