第3話

あなたの事がずっと知りたかった。けれど大臣からメイドまで誰一人貴方が誰か教えてくれず、ずっと心が張り裂けるような気持ちだった……」


 人に感謝できる脳みそくらいは残っていたらしい。

 けれど激しく女遊びしながら、よくもまあ抜け抜けと。女遊びは人探しのつもりだったとでも言いたいのか。

 僕は白けた思いで、見つめ合う二人を眺めた。


「もったいないお言葉を賜り恐縮です」


 姫は可憐だったが一般的な審美眼としては、決して抜きん出た容姿ではない。

 しかし背筋を伸ばし、高価なドレスや宝玉を纏っても霞むことのない佇まいは、まさに高貴な姫そのものだった。

 彼女は王子へと、上品に微笑んだ。


「修道院内でも身分を偽って修行をしておりました。なので御国の方々は本当に、私があの修道女だとご存知なかったのでしょう」

「ああ、姫……。あなたが婚約者で僕は幸福です。どうか私の妻となってください。運命の人よ」


 王子は今までにない目の覚めた表情をして、彼女に愛を告白し、婚約を申し込んだ。


「はい。共に両国を盛り立てて参りましょう」


 嵐のような展開だった。


 鳴り止むことのない拍手。そんな広間の片隅で呆然と抜け殻のようになっているのはアリアだった。アリアは何の音も聴こえていないような表情をしている。


「アリア……」


 なぜかアリアは、命のように大切なものをごっそり奪われたような正気のない顔をしていた。彼女が王子に恋をしているのは知っている。けれどそれ以上、何か大きなものを喪失してしまったようなーー


 僕の声も、彼女には届かない。

 その日のうちに僕は、彼女の世話役の任を解かれた。


ーーー


 帰国後すぐ、結婚式が執り行われることとなった。

 王子は帰国後ぱったりと女遊びを止め、側室の約束をした令嬢たちに後宮を用意し、それ以外は手切金を渡して縁を切り、すっかり身綺麗に変貌した。

 悪党が女子供を助けると必要以上に讃えられるのと同じように、阿呆王子の潔い行動と隣国の姫とのラブロマンスは、あっという間に国中をロイヤルウエディングへのお祝いモードへと染めあげた。


「あの王子を改心させるなんて、素敵な姫だわ」

「命の恩人のために更生するなんて、なんて尊いお話なの……」


 茶番に浮かれる人々の興奮がが国中を席巻する中。

 王子の愛玩少女ーーアリアは、今までの寵愛が嘘のように離れに閉じ込められ、まるで消えてしまったように扱われてしまっていた。

 僕も世話役の任を解かれて以後、アリアに会う権利を持たないただの下級騎士へと戻った。

 アリアがいじめられていやしないか心配だったが、どうやら令嬢たちはすっかり彼女に興味を無くしたらしく。3食の食事すら、まとめて配膳されるようになったらしい。


 ただの従者になった僕はある日、唐突に王子に呼び出された。

 王子はピカピカの執務椅子に深く腰掛け、書類に右から左に雑に目を通しながら僕に言った。


「あれ、お前にやるよ」


 まるで、「そこのゴミ捨てといてくれ」の気軽さだ。


「あれとは」

「……あれだよ、あれ」


 一瞬虚を突かれた僕だったけれど。

 下卑た王子の眼差しで。彼が何を言いたいのかはっきり分かった。


「王子……」


 僕は胃液が逆流するような気持ちになった。


「王子。お言葉ですが、アリアがあまりに可哀想です。せめて他の令嬢のように側室にお迎えになられたり、おか」


 その続きの言葉は、おもむろに立った王子から繰り出された蹴りにかき消された。思い切り胃を蹴られ、僕は床に吹っ飛ぶ。吐き気を堪えたところに髪を捕まれ、顔を覗き込まれて嘲笑された。


「お前、アリアのことが好きなんだろう? 今度の船上結婚式、お前も護衛に入れてやる。あいつも呼んでるから隙を見て適当な船室で遊んでいいぜ」

「王子……」


 退出を命じられ、僕は虫のように這いつくばって部屋を後にした。

 王子はちっとも変わってなんかいやしない。その場かぎりの言葉が巧みで、アホのくせに立ち回りが上手いのはいつものことじゃないか。僕は倒れてしまいそうだった。ゾッとするような、怒りで気がおかしくなるような、悲しいような情けないような、ドブ色の感情がない混ぜになりながら、僕は生きる屍のような心地で業務に戻った。


「アリア」


 うわごとのように呟く。

 いつか僕に振り向いてくれたら。そんな下心がなかった訳じゃない。世話役の立場を利用して、彼女と一緒にいられることは確かに幸福だった。

 けれど、王子の下卑た眼差しと態度で、恋心がべったりと穢された気分だった。

 メイドたちの会話が聞こえてきた。

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