第2話
パパの顔は、よく覚えていない。
いつの間にかいなくなって、小さい頃は「遠いところへお仕事に行ったの」と聞かされていた。
――だから、自殺したと知ったのは、つい最近だった。
原因は多分、働き過ぎなのだろう。「これから増える家族のために」と建てた家のローンがあったし、出産を機に仕事を辞めたママと、生まれたばかりの私の二人を養っていくのに、自信をなくしてしまったのかもしれない。
私さえ生まれなければ、パパは死なずに済んだのに。
パパの死の真相を知ってから、そんな事ばかり考えて、苦しくて、苦しくて……。
だからせめて、パパに会って聞きたかった。
――どうして、パパは死んだの?
その答えを知れば、この先も生きていける――あるいは、心置きなく死ねる気がした。
けれど、サンタさんに願い事を託すのに「会いたい」というのも変だろうと、「欲しい」と書いたのを真に受けて、サンタさんがパパになるとは思わないじゃん?
「何なん? あのジジイ」
「呼んだか?」
すぐ後ろで声がして、私は文字通り椅子からひっくり返った。
ここは私の部屋だし、ドアに鍵を掛けていた。一体どうやって入ったんだ?
「なに、難しい事は何もない。ワシはサンタさんじゃからな」
「煙突から煮えたぎる鍋に落っこちて死ね!」
けれどこのジジイ、怯むとか諦めるとかいう言葉を知らないようだ。
「どこかにそんなおとぎ話もあったかのう。ところで……」
と、話を切り替えてくる強メンタルである。
「先程のビデオの続きなのじゃが」
「見るなと言っただろうが!」
耳まで赤くなるのが分かった。このクソジジイ……! と、私は赤いローブの襟首を掴む。
「叩き出すぞコラァ」
「まあまあ、そう言わずに……ちょっと見て欲しいものがあるのじゃ」
仕方なく、リビングに向かう。
そしてむっつりとジジイの横に座ると、ジジイはリモコンのボタンを押した。
……幼稚園の学芸会で歌う私、三輪車で無邪気に笑う私、水遊びではしゃぐ私、遊園地の観覧車でママと並んでポーズを取る私……。
全部私だ。
小さな私の一瞬一秒を撮り逃すまいと、カメラが向けられていたのが分かる。
でも、ここ何年も見ていない。恥ずかしいだけだし、これを話題にゆっくりと話し合えるような相手もいない。
ママは忙しいし、私がこういう喋り方をするのをすごく嫌がる。
「もっと女の子らしい口のきき方はできないの?」
「そんな風のまま大きくなったら、社会に出てから困るわよ」
だから、あまりママには話し掛けないようにしている。
きっとママも、私を避けているに違いない。
必要最低限の会話で日々を過ごす。それだけで足りていると思っていた。
すると、ジジイが動画を止めた。ちょうど観覧車が、真ん中の支柱に来たところ。
「なんで止めるんだよ」
私が聞くと、
「いいからいいから」
と、ジジイは少し早戻ししてから再生する。
「ここに映ってはおらんが、もう一人、この場にいる人がいるのに、気付いておるかのう」
半ばテレビから目を逸らしていた私は、ハッとして画面を見た。
観覧車では、外を眺めて小さな指を向け「ブーブー」とたどたどしく言う私に、「さっきパパと乗ったゴーカートだね」とママが答えていた。
……「パパと乗った」――確かに今、画面の中のママはそう言った。
深く考えていなかった。
だが、考えてみれば当たり前だ――このビデオは、パパが生きていた頃のものなのだ。
だって、撮影者がいなければ、このビデオが存在するはずがないのだから。
観覧車の窓の外の風景が、再び観覧車の支柱に差し掛かった時。
「こっち向いて」
優しい男の人の声がした。
それに応えるようにカメラを向くママと、幼い私。
その瞬間。
支柱の影になった背後の窓に、一瞬だけ、男の人の顔が映った。
ビデオカメラのせいで半分隠れているけど、満面の笑みを私たちに向けているのは分かった。
――パパだ。
そう理解した瞬間。
急に涙が込み上げてきたから私は慌てた。焦って気持ちを落ち着けようとするけれど、今度はしゃくり上げが止まらない。
「うう……うう……」
顔を押さえても、指の間から涙が零れる。
やがて声も止められなくなって、私は小さい子みたいにワンワン泣きだした。
ジジイは黙って隣にいた。
ビデオは、砂浜を歩くママと私、幼稚園の卒園式、小学校の入学式を映し、やがて終わった。
何も映っていないテレビが、無様に泣き腫らした私の顔を映している。
その横にいるジジイは穏やに細めた目で、テレビに映った私を見ている。
何となく、今じゃなかったら二度と口に出せないだろうと、そんな気がした。
何度も何度も深呼吸をして、それでもまたしゃくり上げて、途切れ途切れに言葉を吐き出す。
「私が、生まれなかった方が、パパも、ママも、幸せだったんだ」
するとジジイは、フォッフォッフォッと独特すぎる笑い声を上げた。
「君がいなければ、パパもママも、あんな幸せそうな顔で笑えたじゃろうかのう」
耳触りのいい言葉なんかいらない、そう心の壁が弾く音がした。
けれど、圧も角もないその言葉を相手に押し返すだけの力は、私の壁にはなかった。心の前にコロンと転がって、扉が開くのをじっと見上げている感じ。
「…………」
だから、何も言い返せずに、私は黙って膝を抱えた。
けれど、ジジイはそれ以上、私の壁を叩いてこようとはしなかった。
その代わり、
「せっかくの休みじゃし、出掛けようかの」
と言い出す。
「勝手に行けば?」
「それでも良いが、せっかくじゃ、クリスマスプレゼントを買ってやっても良いぞ?」
なんてウインクしてくるから、私は呆れた。
「おまえ、サンタだろ」
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