第42話 マネージャーの正体

 唐突な一振りは、油断しきっていた女の顔を斜めに切り裂いた。


 呻きながら後退りした女は、顔を押さえながら目を見開いている。驚愕でも怒りでも恐怖でもなく、ただ笑っている。


「あ、あははははは! 何で分かったんです?」


 手を離したその顔には奇妙な変化が現れている。顔の右側が灰色になり、目は人間とは思えないほど巨大化し、唇は紫色に膨張している。


 半分だけを見れば、明らかに人間とは思えない顔になっていた。テレビで噂程度に特集されていた魔人の顔と同じだった。


 レムスは質問には答えず、先日マオウカマキリの素材で作り上げた刀型の武器【マオウ刀】を構えたままゆっくりと近づいていく。


「おやぁ? ちょっとくらいお話しても、いいんじゃないですかー? まあいっか。私も忙しい身ですからね」


 魔人であることがバレてしまった彼女は、ごく自然にその場を歩き去ろうとする。すぐに攻撃に移ろうとしたレムスだったが、危険を察知して足を止めた。


 歩き続ける女の影から、何かが残像のように生まれ出た。それは真っ白な顔をした、彼女と同じ格好をした女達だ。歩き続けるほどに影から現れ、すぐにレムスを包囲してしまう。その数は十人ほどであった。


 しかし生まれ出た白い顔は、彼女の分身とは言い難い。髪も眉毛もなく、顔自体も笑顔のままで固まっている。まるで粘土で作られたような奇妙な生物達は、ひたすらに不快な笑い声を出していた。


「コピーモンスター、デスカ」


 レムスは立ち去ろうとする魔人に向けて、一気に距離を詰めようとした。しかし、生み出されたモンスター達が一斉に手にした剣を振りかざし妨害する。


「はぁーい。無意味なことはやめましょうねえ。では、失礼しますー」


 軽い挨拶をして、彼女はすぐにその場を立ち去った。その時、小さく詠唱をしているのがレムスには分かった。魔人にはまだ、やるべきことが残されている。


 コピーモンスター達は、笑いながらジリジリと距離を詰めてくる。ひりつく空気の中、レムスは静かに刀を構え、行き止まり近くにある魔道具のような祭壇に目をやった。


 恐らくあの魔道具は通信を妨害するための物。配信に映らない形で、あの魔人が何かをしようとしているのだ。早く止めなくてはならない。


 ◇


「うがぁー! なんでウチらが負けんのよー! なんでなんでぇ!」


 一方その頃、RTAバトルのゴール地点である闘技場のようなフロアでは、珠理亜が悔しさを爆発させていた。丈一郎も意識を取り戻し、呆けた顔であぐらをかいている。鉄男は怒り心頭の珠理亜に叩かれ、思わぬ喜びを得ていた。


「はいはい! もー終わったんだから、あーだこーだ気にしない。ってか姫っち、ここから先はグダッちゃうから、挨拶して終わろっか。もう帰ろうよ」

「あ、はい! そうですね」


 琴葉もまた、どうしていいか分からない状態だったので、配信を終えて帰ることに賛成した。すぐに視聴者に挨拶を始めるべく、まどかはまずレムスから渡されたカメラを見た。


「……あり? これって動いてないのかな。もしかして、配信止まってた?」


 だがカメラの様子がおかしい。気がつけば、自らが装着していたゴーグル型機材の配信も止まってしまっている。


「え? あ、なんか動いてないですね。電源切れちゃったんでしょうか」

「んー。なんかの故障かな。けっこういい感じの絵が撮れてたのにねえ。通信悪いのかなー。まあいいっしょ、一旦ダンジョンから出てー」

「ちょっと待って! まだ終わってない!」


 琴葉とまどかが話を進めようとしていたところで、珠理亜が鬼のような剣幕で迫ってくる。


「そうだった! ウチらはRTAより大事なことがあったんだよ! ヒメノンとか言ってるアンタ」

「は、はい!」

「やっぱり間違いない。アンタは人間じゃない。魔人だったんだ」

「……え?」


 突然自身を魔人呼ばわりしてくる珠理亜に、琴葉は戸惑ってしまう。


「はあ? 何言っちゃってんのアンタ。負けたからって、いくら何でも無茶苦茶なこと言ってんじゃないよ」


 まどかは呆れていた。敗北を認められず、荒唐無稽なことを言い出したと思わずにはいられない。だが、おかしなことを言い出したのは、珠理亜だけではなかった。


「おう! その通りだぜ。俺も確信した。お前のその動き、その強さ、やっぱ人間じゃねえ。地下鉄で殺人をやらかした魔人だな」

「まさか本当だったとはね。私も驚きだよ。いやあ、魔人に痛ぶられるというのも、悪くはないけどね」


 丈一郎と鉄男が、同調しながら立ち上がり、こちらへと近づいてくる。探索者として長い経験を持つまどかは、この言動には驚いていた。


「は!? な、なんでアンタらまでそんなこと言い出すわけ? ……っていうか——」


 ふと三人を見ると、瞳から奇妙な紫色の光が発せられている。目だけがやけにぼうっとしているように見えた。


「えええ!? ど、どうしたんですか。あたし魔人なんかじゃないです!」

「嘘ばっか! そうやって探索者の中に取り入って、こう君に迫ろうとか考えてんでしょ」

「こう君って? あの、あたしー」

「とぼけないで!」


 まったく聞き耳を持たない珠理亜から、みるみる殺意が膨れ上がってくる。すると、丈一郎が二本の剣を鞘から抜き去り、鉄男もまた剣と盾を構えていた。


「お、おいおい!? 何してんのアンタら! まさか殺し合いする気じゃないよね?」

「魔人は殺すべきっしょ。おばさん、アンタも邪魔するなら容赦しない」

「面白くなってきたなぁ! 魔人とやれるぜえ」

「ああ、これからどんな目に遭うのだろう。はあ……はあ……」


 一気に事態は緊迫感を増していく。闘技場のようなフロアは、まさに血ぬれた決闘の舞台へと変わっていた。珠理亜達の配信用ドローンは、フロアの隅に落下したまま動いていない。


「ちょお!? ひ、姫っち! 逃げよ——」

「あらあらー、なーんか大変そうじゃないですか?」


 じりじりと迫る三人。異常な状況にある中で、ただ一人呑気な声色でやってくる者がいた。


 長い金髪が印象的で、すらりとした長身はスーツに包まれている。薄明かりが顔の半分だけを照らしていた。レムスが向かった通路から出てきたその女と目が合った時、琴葉は何か違和感を覚えた。


「あれ? あなたって何処かでー」

「あはは! 覚えててくれてうれしー! ね、これ貰ったよね」

「あー! あの時の!」


 女は急に砕けた口調になり、懐からメモ帳を出してひらひらと振った。電車の中で初めてサインをお願いしてきたギャルだ。


 だが、彼女は学生服を着ていたはず。今は完全に社会人という風貌である。


「姫っち、あの人知り合いなの?」

「はい。以前電車で一緒だったんです」

「ねー! 私、充分女子高生でいけるよね。まあ、その辺は置いといて、なーんかヤバそうじゃないですかぁ」


 どうやら学生服を着ていたが、実のところ社会人だったらしい。混乱する琴葉とまどかだったが、それよりも肝心なのは、なぜここにいるのかという疑問だった。


「うおおおりゃああああ!」


 しかし、考えている暇すら与えないとばかりに、丈一郎が咆哮を上げて飛び込んできた。両手に持った剣は炎と氷に包まれており、魔法剣を用いて獲物を切り裂こうとしている。


「ま、待ってください!」


 琴葉はくるりとターンするようにして、まるですり抜けたかのように回避。すると続くように鉄男が剣を振ってくるが、これは最小限度の動きで避ける。


「死になさい」


 今度は珠理亜が遠間から、即死魔法の塊を飛ばしてきた。三人の瞳は紫色に澱んでおり、明らかに正気を保っていないことは明らかだった。即死魔法デスの標的はまどかであり、彼女は必死に逃げ回っている。


「ちょ、ちょおおお!? やめろってバカ! マジで殺す気かぁあああ!?」

「まどかさん!? えい」


 しかし、ここで琴葉が悪霊の塊のような何かをビンタした。すると怨念の集合体はあっという間に飛び散ってしまい、そのまま消え去った。


「は、はあ……?」


 ぼんやりとした瞳のままで、珠理亜は固まってしまう。自らの魔法がこれほど簡単に破られたのは初めてのことだ。


 唐突に始まってしまった殺し合い。その様子を見て金髪の女はほくそ笑んだ。よく見れば、先ほどまで隠されていた顔半分が露わになっていた。気がついたまどかは思わず叫ぶ。


「ちょっとちょっと!? アンタその顔、魔人みたいじゃん!」

「え? ええー!?」


 丈一郎と鉄男から距離を置きつつ、琴葉は驚きで叫んだ。その時、コロシアム中央で煌めいていたゲージが、とうとう最下層まで到達した。

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