第36話 琴葉は気がついた
池袋ダンジョンは攻略が進み、探索者は迷路の作りすら暗記している者が多い。
特にまどかは何度も挑戦した経験があり、最初の階層については迷うことなく疾走していた。このまま普通にゴールまで到達してしまうのではという勢いである。
だが迷路を走ること数秒後、二人を阻むように前方にモンスター達が出現した。
わらわらと剣や棍棒などを持ったゴブリン達が、こちらをめがけて走ってくる。リザードンと呼ばれる二足歩行の大トカゲモンスターも混じっていた。
その数はおおよそ二十匹程度はいる。
「まどかさん、ゴブリンがいます。あと、緑のトカゲさん」
「うおっし! こいつらは蹴散らしながら進むよ。ファイアーーーーーー!」
「え?」
ゴブリンの弓兵が狙いを定めようとした時には、まどかは作り上げた火球を放り投げていた。先制の一撃はゴブリン達のど真ん中に被弾し、モンスター達はパニック状態になる。
:決まったー!
:この瞬間が気持ちいいんだよな
:姉さんの超ドSプレイが始まったわ
:この後、持ってる剣で切ってくのが雑魚敵退治のお約束
:ゴブリン達めっちゃ慌ててんな
:リザードンはすり抜けたっぽい
:火傷どころじゃねえw
「このトカゲがめんどいのよねー」
まどかは細身の剣を抜き放つと、スルスルと早い速度で近づくリザードンを切りつけようと構える。
だが次の瞬間、トカゲ型モンスターは姿を消した。
「は?」
まどかは何が起きたのか理解できず、周囲をチラ見するが、やはりいなくなっていた。
「なに? ねえ姫っちー」
「はーい」
するといつの間にか、琴葉が前を走っている。そしてやけに静かになった洞窟内に、まどかの違和感は増していく。
ゴブリン達もいない。一匹もいなくなっている。
「ちょっと待って。あいつら消えたわ」
「あ、倒しました」
「ん? あー、そっかサンキュー……って、え!?」
:ちょww
:いつやったの!?
:姫が消したのか!
:マジックだわこれ
:いやいやいや、全然見えなかったんだけど
:まさか、視認できないほどの速さで倒してたの
:マジかよ
:こ、これはかつてないRTA映像の予感
:ええ?
:どうなってんの?
:姫さま、怖すぎますぞ
まどかは咄嗟に振り向いて後方を確認した。すると、よく見ればリザードンもゴブリンの姿もある。しかし、既に倒された後の姿だった。
「ま、マァージかよおお!? 姫っち、暗殺とかもできんじゃないの?」
「ええ!? そ、そんなことできませんよー」
「姫サマナラ、優秀ナアサシン二ナレマス。推薦デキマス」
「もー、そんな推薦やだよっ」
軽口を叩く一人と一体のやり取りを眺めつつ、まどかは驚きを隠さずにいる。しかし、RTAはこれからである。
「よおーし! いいよ姫っち。あたし達でこのまま天下を取っちゃおー!」
「が、頑張りまーす」
彼女達のスピードは、あらかじめ多くの人々が予想していたものを軽く凌駕していた。配信を視聴している者の中には探索者も多くいたが、まさか最初からここまでペースを上げるとは思っていなかったのだ。
あっという間に地下二階、地下三階に到達し、ダンジョン濃度は百を超えていた。中層と呼ばれるエリアまでやってきていたが、二人のペースは止まらない。
「おぉーらオラオラオラオラぁ!」
(まどかさん、すっごい気合い。ううん、それよりも……)
一緒に走りながら、琴葉は大先輩の戦いっぷりを眺めていた。デカボスゴブリンや強化コブラ、火蝙蝠といった魔物達を相手取りながらも突き進む彼女は、余計なことなど一切思考から抜けているようだった。
「あはははは! まだまだ序の口だってのよぉお!」
(なんか、すっごい楽しそう)
急に配信がバズって以降、琴葉はいつも不安を抱えていた。
もし配信中の不意な行動、言動がきっかけで叩かれてしまったらどうしよう。失敗してしまったらどうしよう。
猛烈な視聴者の増加により、プレッシャーを感じずにはいられなくなっていたのだ。今までのように楽しめなくなっている自分がいた。でも、有名になったらみんな同じではないか、とも思っていた。
しかしまどかは違う。あまりにも自分をさらけ出しているのが分かる。飾っている様子もなければ、不安や緊張で縮こまっているわけでもない。彼女はありのままだった。
(そっか。それでいいんだ!)
琴葉はようやく気がついた。
誰に見られていようが、何人に見られていようが関係ない。別にありのままでもいい。自分なりに楽しんでいい。それで良かったのだ。
この気づきは、まどかとコラボしなければずっと知らなかったのかもしれない。
「キタァ! ありゃ中層の難関だわ。姫っち、ここはあたしに任せて!」
猛烈な速度で駆ける迷宮の中に、一際不気味な巨体が姿を現した。四メートルはあろうかという巨大なオークだ。人間を一撃で仕留めるべく、身の丈とほぼ変わらぬ斧を手にしている。
普段の一般的な探索者であれば、巨大オークに負けることは少ない。だが、RTAバトルのようなスピードを問われる行為の最中では、ミスを犯してしまうことも多い。
「ウオオオオオオオオオ!」
獲物を前にして、筋肉の塊に脂肪をかぶせたようなモンスターが咆哮する。中層とはいえ、尋常ではない怪力の持ち主だ。
巨大オークは防御力も高く、一撃ではなかなか倒せない。相打ち気味に喰らった斧の一撃で、撤退を余儀なくされるのは失敗配信の定番でもあった。
「はん! 舐めんじゃないわ。その図体ごとあたしの魔法でーーー」
「よーーーし!」
「お!? ど、どうした!?」
経験豊富な先輩の目前で、後輩が姿を消した。まるで風のように消えたかと思うと、いつの間にかオークの眼前まで迫っている。
唸り声と共に、モンスターは強靭な両腕を振り下ろし、華奢な体を両断しようとした。
「ちょ、姫ぇーーー!?」
まどかは必死に追いつこうと腕を振っていた。その細い体が両断されると、誰もが最悪の予想を掻き立ててしまう映像である。
しかし、オークの両手斧は彼女を切れなかった。そしてどういうわけか、斧を持っているのは琴葉だ。
配信画面ではほとんど視認できなかったが、斧を片手で受け止めた後にぶんどっていた。
「ウ、ウォエエエ?」
「えい」
「ブォヘエエエエエエ!?」
目前にいる弱いはずの生物の、尋常ならざる腕力。驚くのも束の間、巨体は垂直に飛ばされていた。
琴葉が斧を持っていないほうの手で、ジャンプしながら放ったアッパーカットが直撃していた。その一撃はあっさりと顔面を破壊し、ただの肉塊とかしたモンスターが上昇を続ける。
気がつけばダンジョンの天井を貫通し、その姿は配信から消えた。
「う……え?」
まどかは不覚にも足を止めてしまった。視聴者達もまた、少しの間チャット入力をやめて見入ってしまう。
「えへへ。貰っちゃいました! じゃあ行きましょう」
「姫サマ、ソレハ貰ッタノデハナク、奪ッタトイイマス」
「ふぇ!? あ、あー! そ、そうね! やるじゃん姫っちー、そうこなくっちゃ!」
しかし今はバトル中であった。まどかは驚きに包まれながらも、するべきことを思い出してまた走り出す。視聴者達もまた、止まっていた時が動き出したかのようにチャットを連投する。
:えええええええええええ!?
:ちょ、ちょっと理解が追いつかないんだが
:なんでこんなことできんの
:姫さま、なんか変わった?
:姫ーーーーーー
:物理法則とか無視してないですか!?
:あああああああ
:まるで格ゲーじゃん!
:汚ねえ花火が上がったのかな?
:うおおおおおおお
:姫ってば超人過ぎ
:やばい。姉さんが絶句してたぞ
:この後は下層か
:どうなっちゃうんだこれ
:すげー楽しみ
:ひ、姫さま、斧を持ったままですが、まさか
「姫サマ、グッドデス」
「えへへ! じゃあ次はー」
「よっしゃあ! 下層だよ姫っち」
まどかもいつになく興奮していた。もしかしたら最速記録が出せるかもしれない。吹っ切れた相棒を、レムスはサムズアップで賞賛していた。
そしてヒメノンチャンネルの同接は序盤だというのに、既に二十八万を超えてしまっている。一体どこまで伸びていくのか、誰にも予想できない程の勢いであった。
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