第16話 マオウの魔法

「ホントだー! 久しぶりに見たかも。カッコいいよね」


 琴葉は呑気な感想をこぼしていた。彼女の視線の先では、人間サイズの巨大な昆虫がいる。


 二本の触角は細長く、顔は鋭角的かつ後頭部が伸びた菱形になっている。ところどころ赤色だが、全体的に緑色が多くを占めていた。二本のカマで獲物となった熊を捕まえて貪り食っている。


:マオウカマキリだ!!

:デケエええええ

:モンスター版ってこんなに大きくなるのかよ

:こいつがフロアボスなん?

:なんか、バッファローの死体とか、ミノタウロスの死体とかあるんだが

:死体が一部だけ残ってるうううう

:これ全部食われたんだろ。ヤバすぎ

:モンスター化したら一番強いのは昆虫類かな

:こればっかりは姫もやばいんじゃないの

:たしか花に擬態する昆虫だったと思うけど、こんなにデカかったら意味なさそう


「はい。そうですカマキリちゃんです! ではこれから戦ってきます」


 身長にして二メートルはあるカマキリは、接近してくる人間を見つけて食いかけの獲物を投げ捨てた。すぐさま両手を持ち上げ、威嚇のポーズを取る。


「けっこう前に戦ったことあるけど、やっぱり強そう」


 しかし、琴葉は相手を認める発言をしつつも、構えてはいない。じりじりと距離を詰めてくるカマキリは、彼女の間合いに入る前に足を止めた。


 レムスのカメラで捉えられている鋭角的な風貌に、微かな歪みが発生する。


:んん?

:なんだなんだ

:カメラの故障?

:あ! これヤバくね

まどか:撃ってくるなこれ

:姉さんw

:姉さんも見入ってるのかよw


 数秒もしないうちに、口から強烈な黒い球が吐き出された。琴葉はひらりと気弾のようなものをかわす。すると黒い何かが反対側にあった壁にぶつかり、小さな穴を作ってしまった。


「魔法デスネ。ブラックボールデス」


 放たれたのは、最も基本的な闇属性の魔法だ。だが威力が普通のモンスターが放つそれとは異なっている。物理だけではなく、魔法にも秀でていることは間違いなかった。


 先手を取ったカマキリは、続いて一気に距離を詰める。両手のカマを思いきり振り下ろし、獲物を捕まえにかかる。ぎりぎりのところで横に飛んでかわした琴葉だったが、猛攻は一度では終わらない。


 一切の声を出さない怪物は、今度は横なぎにカマを払ってくる。関節が異様な方向に曲がり、バックステップで避けた琴葉を追従するように、今度はメチャクチャに両手を振り始めた。


:えええええー!?

:ちょ、ちょちょちょ

:おかしいって! カマキリそんな動きできないよ

:モンスター化するとなんでもありになるんだな

:マジでヤバすぎる

:普通にランカーでも苦戦するだろこいつ

:っていうか、ダンジョンの地面切ってるじゃん

:捕まえて食う以外にも、ただ普通に切って殺せるわけか



 しかし、琴葉は途切れることなき連激をかわし続ける。もしドレスを纏っているなら、優雅に踊っているようにも映るかもしれない淀みない仕草で。


 ニセハナマオウカマキリはカマを振りつつ前進し、自らの全てを駆使して獲物を潰そうとする。しかしカマは空を切り、噛みつきもホールドも成功しない。攻め手にあぐねた頃、彼女はダンスステップのような回避をやめ、轟音と共に反撃に転じた。


「えい」


 下層のモンスター達でも一撃で仕留めてきた、右の正拳突き。それがカマキリの柔らかい腹部めがけて放たれる。


 今回も勝負あった、そう確信した者もいた。しかし彼女の拳は空を切った。なんとカマキリは腹部の一部分のみを異常なほどへこませたのだ。


:避けたーーー!?

:マジかよ

:姫の突きが外された!?

:姫、逃げたほうが

:やっぱりボスは一味も二味も違うわけか

:モンスターになってから習得したのか


「そうこれ! これが見たかったんです」


 しかし、琴葉はニコニコ笑っていた。チャンスとばかりに捕まえにかかるマオウが目前に迫る。


:姫、なんでそんな余裕なん!?

:え、わざとだったんですか

:笑ってる場合ではないような気が

:このままじゃ食べられない? 大丈夫?


 ボスモンスターになった昆虫は、先ほどよりも一段とスピードを上げた。捕まえた、と確信したマオウカマキリが次の瞬間、自身のカマに何もないことに気づいた。


「!?!?」


 複眼で後ろにいることは気づいたが、モンスターとなり知能が高まったカマキリは戸惑っている。すぐ振り返って逆転に転じようとしたところで、今度は琴葉が先手を取った。


「やっ」


 短い掛け声と共に放たれたのは、ジャンプしながらの右足による前蹴りだった。今度も腹部を狙っていることは明らかだ。マオウカマキリは先ほどの要領で、腹だけを思いきりへこませて回避行動に出る。


 次は捕まえる。そう決意したモンスターは、一瞬の回避の後に捕獲できるよう、カマを振り上げた。


 そして次の瞬間、同じように前蹴りが空を切る——と確信した時、鈍器で叩きつけられたような音が鳴り響いた。


 マオウカマキリの視界がぐるぐると回転している。気がつけば頭部に尋常ではない衝撃が走り、さらには回転したまま壁に叩きつけられ、力無く地面に倒れてしまう。ただの一蹴りで絶命した。


「できた! ねえレムちゃん、うまくいったよ」

「一本デス」


 琴葉は確かに最初、腹部へと前蹴りを放っていた。それを防がれる直前に、上段回し蹴りに切り替えたのだ。レムスは空手の審判のような動きで、右手を琴葉に向けた。


:ハイキックかぁああああ

:いやいやいや、こんなの普通決められないって!

:ボスモンスター相手にハイキック決めて勝っちゃうなんて、前代未聞じゃね!?

:カマキリめっちゃくるくるしてた

:姫の脳筋は他のパワーファイターより遥かに上だわ

:うおおおおおお!

:やばい。こんなに気持ちいい配信始めてかも

:おおおお

:ちょっと待って凄すぎん!?

:防ぐ手段ないやん

:あれ、前蹴り防がれるから切り替えたの? それとも最初からフェイント?

:死んだ! 熊すら捕食するカマキリが!

:すげー


「あ、あはは。えーと、そうなんです。お腹に決まらなかったら、頭に変えようと思ってました」


:姫、センスが違いすぎます

:実戦でそんな判断できんって

:ただのワンパン姫じゃなかったのか

まどか:あたしも初めて見たんだけど……何も言えない

:格闘技の試合でも見れない爽快KO

:めちゃくちゃな軌道描いてなかった?

:姉さんーーーーー!

:姉さんすら呆然とする勝利


「ま、まどかさん! や、やば!? まどかさんに見られてるの」

「ハイ。ズット視聴サレテマシタ」

「えええ!? すっごい緊張してきた! え、え!? し、しかも、同接が、同接が」


:今気づいたの?w

:姫、チャット欄全然追えてないww

:まあこの流れだもんな

:同接十一万になってる

:めっちゃ焦ってて草

:こんな急に同接跳ね上がるって初めてかも

:めちゃ注目されてまずぞ姫!

:すげー!

:プレッシャーにはひたすら弱いヒメノン

:草すぎ

:ってか、何気に一人で下層ボス倒したって快挙なんじゃ?

:トップクラスのランカーならいるけど、それ以外じゃほとんど見たことないな

:なんかプルプルしてるww


「姫サマ。ボスデスガ、実ハモウ一匹イマス」

「あ、ホントだ。お花だと思ってたんだけど。しかも色が変わってきてる!」


 しかし、戦いはまだ終わってはいなかった。


 ボスフロアの奥に潜んでいたマオウカマキリの体が点滅を開始している。先ほどまで同じカマキリが苦戦しているのを目にしても、巨大な花そのものとなり擬態していたのだ。


 下層ボスモンスターは、他のモンスターを捕食していたことにより、さらなる暴虐の存在へと進化していくのだった。

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