第4話
昨日の放課後。夕暮れの明かりに照らされた小さな空き部屋での出来事。あの一時間近くでアテナの心は決まった。
経験上、体の不調というものは出てこない事は理解していた。気持ちの反動はかなり大きい。それはこれまでと変わらなかった。しかし、一ヶ月ほどに戦い前の精神状態へ回復していく事はほとんどない。
故にアテナ本人にしても、そこまでメルタへの感情は軽いものだったのか。小さな疑問を持っていた。だが、これは教師という大人の手本に対する尊敬という事に変わりは無い。存在が小さいのではなく、アテナが成長したから回復が早かった。
それも友人のお陰と呼ぶには軽すぎる気がした。
いつもの軽い足取りでアテナは住宅の間を歩く。空は曇り。心は晴れ。こんな日もあった。今日もそんな日。
学校までの道のりがここ数日。数週はとてつもなく重くて苦しくて呼吸をするだけでも苦しかった。だが、その嵐も随分前の事みたいに今までにあった同じ楽しい空気をする通学路。
これがあるべき日常。あるべき道。あるべき感情。
着いたのは圧倒いう間だった。玄関に生徒の姿はまだない。校庭から生徒達の声がする。運動部が朝練をしている。廊下を歩いてすれ違う生徒はいない。教室に誰もいない。ましてや、教室は昨日の放課後から何一つ変わらないままでいた。誰かが残したのか。忘れたのか。ペン一本が教卓の上に置かれていた。サーシャが普段から使っていた印象は全くない。ペンをテレビ下の棚に乗せた。
背負っていた革製のブラウン鞄と運動着など学校生活に必要な用具が入る肩掛けバッグを机の上に置く。
手ぶらのアテナは窓側へ移動する。カーテンをしまう。曇った中にぼんやりと明るい陽。だが、朝に変わりは無い。窓を開けた。生ぬるい夏の風に当たる。これでも夏の朝だ。
「ふんんんっ・・・・・・!!」外の空気をたっぷりと吸い込む。「ふぅ~~」大きな息を吐く。誰もいない一人だけの教室で大胆に呼吸する。
何も思った事はない。何も無い。
廊下を歩く。
体育館へ繋がる廊下。体育館の半分をバスケ。もう一方をバレー部が使ってる。ちらっと練習風景を見ては目線をそらす。チラチラと見られる事は人にとって気持ちの悪い事として思われる事が多い。
アテナもそういった様子をうかがわせまいと空気でいることにする。
目線の先を右に曲がった廊下。サーシャの姿がある。薄いファイルを持って歩いていた。
こちらへ向かってくる彼女も存在に気づく。互いは目線を合わせる。直線に向かい合ったところで二人は立ち止まった。
「おはようございます。先生」
「おはようございます。アテナさん」
挨拶を交わす。
「先生。お話があります」
「なんですか?」冷静に問いかける。彼女は生徒の話に耳を傾けようとしている。
「私はあの戦いで死んでしまったかもしれない。けど、あの戦い。これからおこるかもしれない戦いはメルタ先生や私の友達が許さなかったから今。生きているんだと思うんです」
「何を許さなかったと思うんですか?」
「死ぬ事を」
サーシャは一度小さく口を開ける。すぐに口を窄める。一息吸い今度こそ言葉を発しようとする。
「そうですか」
「本当は戦いたくない。でも、友達が死んだらもっと嫌です。だから、最低限戦うことにします」
「最低限……。そうですか」
「はい」
「分かりました」
「お話は以上です。お時間をいただきましてありがとうございました」
アテナはサーシャに一礼をする。教室へ戻った。
数分だけ話をした間に玄関前の廊下はいつものように賑わう朝を迎えていた。
階段を一段一段登る間にも、すれ違う生徒の数は圧倒的。
「あ! アテナちゃん、おはよう!」「おはよう」知り合いとすれ違う度にアテナは挨拶をする。
一年以上いる場所で交友関係が広がる。これが生活をしていてのほんの少しの大切な幸せなのだろう。
二学年のフロアにも、壁に寄り添っては井戸端会議をする。何をするのかしてきたのか。生徒は左右から右左へ廊下を歩いていく。
交わる道を横切りい組教室へ戻ってきた。
い組にもクラスメイトが登校してきて各々の時間を過ごしている。中からミツキの姿を捉えた。自然と二人は目が合う。
教室にはミツキが朝練の後だった。フェイスタオルを首に巻き汗を拭いていた。
アテナは真っ直ぐに彼女の元へ来た。
「おはよう、アテナ」「おはよう、ミツキちゃん」
二人は一瞬の間を出す。
「あの……」
「ちょっと、今回はあまり話す気になれなかったんだ」
「あ……、うん。分かる。私もだった」
「もう大丈夫だから」
「うん。私も。私も大丈夫だから……。変に――。その……鋼鉄ボールなんて投げたりしないから」
「ふふ……」
「どうしたの!?」
「いやっ、鋼鉄ボールなんか投げつけられた事無いから、話さない間にそんなもの投げられかけてたのかと思って。なんか、ほんとに変なのって」
「はあ~。なんか、またアテナにレベル低く見られちゃったかな」
「そんな事無いよ。それがミツキちゃんでしょ」
「まっ、まあ……ね」
そう、これからまた戻せる。初めて会ってから気持ちを打ち明けられるようになった時みたいに。
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