第41話 二人のためだけの妖精
鏡の塔についた頃には、すっかり薄暗くなっていた。火の入った街灯の下には豪華な馬車が列をなしている。物珍しさに、街の住人も遠巻きに見物していた。
馬車を遠くに乗り捨て、三人は何食わぬ顔でパーティー参加の列にならんだ。本来飾り気などない見張りの塔だが、華やかな格好の男女が行き来している様子はそれなりに幻想的だった。
仮装は徹底していて、入口で招待状を確認する係の者も、仮面を付けていた。普通だったら到着順に「誰々様のお着き!」と他の招待客に知らせるものだが、その声もない。ただ、あいさつや話し声がひっきりなしにざわざわ、ざわざわと空間を漂っていた。
こういうにぎやかなのが好きなタチのラティラスは、敵の本拠地に乗り込もうとしているのも忘れ、気持ちが浮き立つのを感じていた。
話によると塔は地上三階、地下一階となっているらしい。目玉になるはずの鏡の迷宮は地下一階にある。
塔は真ん中が最上階の天井まで続く吹き抜けになっている。その吹き抜けの内側には蔓 (つる)のように螺旋(らせん)階段が巻き付いていた。当然落ちたら無事ではすまないため、階段部分を残し吹き抜けは柵で囲まれていた。
変わった造りの塔に、見学者から感嘆の声があがる。
「迷宮はあとでお楽しみいただくとして、まずは二階へ」
一階には、露天のような簡単な造りの店が並ぶらしい。中央の階段に行くまでの間、天井から吊された、壁代わりの布が描く四角がいくつも並んでいた。
たどり着いた二階は、壁や仕切りがなく、その階まるまる四角いドーナツのような形をしていた。基は要塞だったものを改装しても、完全に今流行りの様式にはできなかったと見えて、シャンデリアなどはなく、壁には燭台が取り付けられているだけだ。
壁は、剥出しの石造り。ただその表面には、葉を落とした冬の木のような、でなければ血管のような細い線の飾り彫りが施されている。まるで何か大きな生き物の体内にいるようだ。
すでに結構な数の人間がうろついていて、女性達のつける香水が混ざり合って体を包む。誰もが宝石や羽で飾られた仮面で顔半分を覆っていた。老爺(ろうや)もいれば若い男もいていないのは幼い者だけ、といった感じだ。その誰もが異様な姿をしている。仮面で狭められた視界に、妖精や魔法使いが歩き回っているのは悪い夢のようだった。
変わった造りの塔に、見学者から感嘆の声があがる。
「迷宮はあとでお楽しみいただくとして、まずは二階へ」
一階には、露天のような簡単な造りの店が並ぶらしい。中央の階段に行くまでの間、天井から吊された、壁代わりの布が描く四角がいくつも並んでいた。
たどり着いた二階は、壁や仕切りがなく、その階まるまる四角いドーナツのような形をしていた。基は要塞だったものを改装しても、完全に今流行りの様式にはできなかったと見えて、シャンデリアなどはなく、壁には燭台が取り付けられているだけだ。
壁は、剥出しの石造り。ただその表面には、葉を落とした冬の木のような、でなければ血管のような細い線の飾り彫りが施されている。まるで何か大きな生き物の体内にいるようだ。
すでに結構な数の人間がうろついていて、女性達のつける香水が混ざり合って体を包む。誰もが宝石や羽で飾られた仮面で顔半分を覆っていた。老爺(ろうや)もいれば若い男もいていないのは幼い者だけ、といった感じだ。その誰もが異様な姿をしている。仮面で狭められた視界に、妖精や魔法使いが歩き回っているのは悪い夢のようだった。
行動を起こすには、イスから解放された今しかない。緊張で鼓動が早くなる。
リティシアはそっと汗ばむ手を握り締めた。手首を腹の前で縛られた手の中には、やわらかい布の塊があった。
それはベルフから盗んだ刺繍だった。リティシアは例の刺繍を盗んだ後、それを丸めて自分の髪できつく縛り、ランプの煤(すす)で塗った。一見小石のように見えるそれを、リティシアは牢獄の隅に転がし、ベルフのチェックを逃れさせていた。
牢獄を出る時、こっそりと隠し持ってきていたこれを見せれば、ベルフ達の間にスキができるだろう。
けれどラティラスの存在がリティシアの邪魔をする。
フィダールの手の中で揺れる、ラティラスのペンダント。
相手は彼を人質にとっている。もしリティシアが変に逆らったことで、ラティラスが殺されてしまったら?
「それにしても、招待客の中に変わった格好した奴がいたな」
何気なくベルフが言った。
「肩にぴらぴら羽をつけて、髪をツンツン尖らせて……ありゃなんの扮装だろうな?」
しばらく考えた後、リティシアは笑い出しそうになった。
チーパック! ラティラスは会場にいる! そしてそれをベルフが把握していない辺り、ラティラスが囚われているというのはハッタリの可能性が高い。だとしたらもう遠慮する必要はない。
「それにしても、姫様が少しかわいそうな気がするよ」
言葉のワリにはベルフはニヤついていた。
「鏡の塔を動かすには、全身の血が必要らしいからな。そして姫を殺すことで完全にロアーディアルにケンカ売ったことを組織の奴らに知らせるんだとよ」
その内容にゾッとしながらも、リティシアは無理矢理笑顔を浮かべた。
「ベルフ。ひどいことを言うなあ」
意味ありげな視線をベルフに送る。
「私の事を愛していると言ったくせに」
ぴくりとフェシーの眉が動いた。
「は? 一体何のことだよ」
「とぼけるな。これを私にくれたじゃないか。フェシーより私のことを愛している証明に」
滅多に出すことはない艶っぽい声で言うと、リティシアは爪で刺繍を括(くく)っていた髪を切った。そして指先で広げると、「ほら」とその布を床に放り出した。
刺繍を内側に硬く折り畳んでいたため、裏側は煤で真っ黒になっていたが、糸で描かれたバラには美しく咲き誇っていた。
フェシーは、数秒間固まったように自分が作った愛の刺繍を見つめている。
「この! どおりであの刺繍の事を聞いても黙っていたわけね!」
珍しく怒りの表情を露わにして、フェシーはまずベルフを睨みつけた。そしてリティシアに怒りの矛先を向ける。
「あなたが誑(たぶら)かしたんでしょう?!」
フェシーの手がドレスの胸倉をつかむ。
この刺繍を奪い取ったとき、リティシアがベルフにひっついていたのは彼女もまだ覚えているはずだ。リティシアに怒りが向くのも無理はない。
「おい、待て。リティシア姫を傷つけるなと言われているだろう!」
ベルフがフェシーの手をはがそうとした。当然鎖の端を握ってはいるが、注意が疎かになる。この瞬間を待っていた。
手首を縛られたまま、リティシアは両手で鎖をつかみ、思い切り引っ張った。ジャラジャラと鎖がこすれあい、音を立てる。
ベルフの手から鎖がすり抜ける。
「あ、こら!」
ベルフがリティシアをつかまえようと手を伸ばした。その手に向かい、リティシアは鞭のように鎖を振り回す。
「やめっ!」
打たれるのを怖れ、ベルフは手を引っ込めて退(しりぞ)く。
そのすきにリティシアは吹き抜けにむかって走り出した。
両隣に続く扉のどちらかに向かう事も考えたが、もし鍵が掛かっていたり、隣室に人がいたりしたら逃げ切る自信はなかった。
「待っ、ておい!」
後を追おうとしたベルフの前にフェシーが立ちふさがる。
「まだ、こっちの話は終わってないわ」
珍しく怒りの表情を露わにして、フェシーはまずベルフを睨みつけた。そしてリティシアに怒りの矛先を向ける。
「あなたが誑(たぶら)かしたんでしょう?!」
フェシーの手がドレスの胸倉をつかむ。
この刺繍を奪い取ったとき、リティシアがベルフにひっついていたのは彼女もまだ覚えているはずだ。リティシアに怒りが向くのも無理はない。
「おい、待て。リティシア姫を傷つけるなと言われているだろう!」
ベルフがフェシーの手をはがそうとした。当然鎖の端を握ってはいるが、注意が疎かになる。この瞬間を待っていた。
手首を縛られたまま、リティシアは両手で鎖をつかみ、思い切り引っ張った。ジャラジャラと鎖がこすれあい、音を立てる。
ベルフの手から鎖がすり抜ける。
「あ、こら!」
ベルフがリティシアをつかまえようと手を伸ばした。その手に向かい、リティシアは鞭のように鎖を振り回す。
「やめっ!」
打たれるのを怖れ、ベルフは手を引っ込めて退(しりぞ)く。
そのすきにリティシアは吹き抜けにむかって走り出した。
両隣に続く扉のどちらかに向かう事も考えたが、もし鍵が掛かっていたり、隣室に人がいたりしたら逃げ切る自信はなかった。
「待っ、ておい!」
後を追おうとしたベルフの前にフェシーが立ちふさがる。
「まだ、こっちの話は終わってないわ」「そんな事言っている場合か! 説明は後だ!」
そんな痴話喧嘩(ちわげんか)を背中で聞きながら、リティシアは吹き抜けにつけられた階段に走った。
階段の入口は、柵が閉ざされ鍵がかかっていた。鎖を柵の一番上に絡め、それを助けに乗り越える。長い間ろくに動いていなかったせいで、階段につけた足に力が入らず、転びかけたところを手すりに縋り付く。階段の角にスネが押し付けられて傷んだ。絶対に後で痣になるだろう。
「そうやってごまかすつもり?」
「話は後で聞くから!」
柵に絡めた鎖をほどき、じゃまにならないように腰へ巻き付ける。
リティシアは階段を駆けおりる。走ったのなど久しぶりで、何度も転びそうになっては手摺りにしがみつく。もしもこの支えがなかったら、間違いなく吹き抜けから転落していただろう。
「おい、何があった!」
なだれ込んだ足音からすると、隣室にいた手下が異変を感じでやってきたのだろう。先回りされる前に下に辿り着かなければ。
階段の先に二人の見張りが立っていた。いつの間にか自由になっている囚人に、驚きの表情を浮かべる。
「貴様!」
ベルフにしたように、リティシアは鎖を振り回した。
相手は一瞬ひるんだものの、一瞬の隙をついて鎖の端をつかんだ。
もう一人がリティシアの手を掴もうとする。それを振り払って、リティシアは階段の手すりを乗り越える。柵の内側の、わずかな場所に足を置くと、下から風が吹き上げてきて、リティシアの背筋を冷やした。
「おい!」
鎖の端をつかんだままの見張りに向き直り、リティシアは命じた。
「しっかり、つかんでいろよ。私を床に落としてジャムにしたくなければな。私の血が必要なのだろう?」
「ッ! まさか!」
両足を縁から外す。ガクンと下に引っ張られる感覚。肩に痛みが走るが、幸い脱臼はせずにすんだ。ぶら下がった状態のリティシアは、自分が今まで立っていた階段を真横からどアップで見ることになる。
鎖を持っていた見張りが、リティシアが身を投げた勢いで引っ張られ、ほとんど手すりから身を乗り出すようになった。再び体が少しずり下がる。
らせん状になった階段の、下の層の手すりを爪先が捉えれば、あとはその内側へ滑り込むだけだ。その拍子に、手すりで尻を打ちつけたがまあ生きて転がり込めただけましというものだろう。
「お、おい手伝ってくれ!」
鎖を持った見張りが、相棒に声をかける。
そろそろベルフやフェシーも見張りのいる場所にたどり着くころだ。さっきは落ちる勢いがあったからよかったが、さほど体重がないリティシアが四人がかりで引っ張られては吊り上げられてしまう。
リティシアは急いで柵に足をかけ、鎖を思い切りひっぱった。
鎖を持っている見張りの、「ああっ!」という短い悲鳴が上がる。
向こうで手を放したらしく、ふっと抵抗する力が消え、鎖の先端が上から落ちて来てふきぬけに垂れさがった。いそいでそれを引き寄せる。
リティシアはそのまま残りの階段を一気に駆け下り、会場の二階へ飛び込んだ。
突然駆け込んできた美女に、近くにいた参加者達が少し驚いた顔をする。
リティシアは微笑み、優雅に宮廷風のお辞儀をしてみせた。
人の中に紛れてしまえば、時間は稼げるはずだ。リティシアは階の端に向けて走り続けた。
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