第34話 彼の者を諦められたなら、誇りを持って死ねるものを
フィダールが次にリティシアの前に現れたとき、後ろにフェシーを従えていた。彼女の手にはなぜかメジャーが握られていた。
「なんだ? ドレスでも作ってくれるのか?」
冗談のつもりで言った言葉に、意外にも「そうだ」と返事が返ってきた。
「生贄がみすぼらしくては恰好がつかないからな。もっとも、ロアーディアル家がつくる物より質素な物になると思うが」
しゃべるにつれ、フィダールの言葉に陶酔が混ざってくる。
「盛大な宴がある。お前の父親から王位を譲っていただくための宴だ。私はお前と遠い親戚なのだよ」
リティシアは呆れてフィダールを見つめた。
王家の血筋に連なる物は、きちんと家系図が作られているし、それなりの位に就いている。一般人に王の血が薄く引いている者がいないとも限らないが、もちろんそんな者に王位継承権があるはずもない。
「我が父王が快く王座を明け渡すとは思えんな。あの方は頑固者だ。私が剣の練習用に男物の服を持つことを許してもらうのに、どれほど苦労したか。力づくで奪うにしても、お前達に戦の用意ができているとは思えないが。それとも悪魔の軍団でも召喚するつもりか?」
侮蔑(ぶべつ)の視線に気づいたか、フィダールはリティシアの髪をつかみ、頭を壁に押し付けた。
「弟神リアードは、姉女神のために人間を滅ぼそうとした。その神々の武器がこの手にある。圧倒的な力の差を見せつければ、ロアーディアルだけでなく他の国も従うだろう」
フィダールは口づけできそうなほど顔を近づけてきた。
一般的な物とは違うその神話は、幼いころ王にひそかに教えてもらったことがある。誰にも教えてはいけないという注意つきで。
そして、直系の王族しか知らないこの神話を知っている以上、フィダールの言葉も妄想と片づけるわけにはいかなくなった。
リティシアは顔を引いたりせず、刺すような視線をフィダールのそれと合わせる。
「その武器を動かすには、神に連なる王家の血が必要だ。あれこれ試してみたが、やはりその辺の卑しい人間の血では無理なようだな。なかなか思ったような効果が出なかった」
「まさか……」
トルバドの国で起きている吸血鬼騒動については、リティシアも噂は聞いたことがあった。
では、人々から血を抜き取ったのは、その武器を動かすための実験だったのか。
「まさか、そのために人を殺したのか!」
「どうも我々の血も永い時を経て薄くなってしまったらしい。私の血だけではうまく動かなくてな。あれこれ試してみたのだが」
「王家は民の保護者であり、導き手だ! 人を殺しておいて何とも思わぬ者に支配者が勤まるか!」
もちろん上に立つ者は辛い決断をくださなければならないときもある。誰かの命を奪うように命じることもあるし、戦の決断をしなければならないこともある。リティシアとて、治世が綺麗事だけで済むと思うほど愚かではない。
だが、弟神の武器など神話の中の話だ。フィダールがどんな物を手に入れたか知らないが、本物かどうか怪しい物だ。そんな不確実な物に人の命を使うなど。自称とはいえ王族のやっていいことではない。
人を殺めることにためらいを感じなくなったら、王どころかまともな人間で無くなるではないか。
「随分と優しい姫君じゃないか」
フィダールは嘲(あざけ)るような笑みを浮かべた。
「だが、皮肉なことにそのお前の血が街を滅ぼすのだ。さすがロアーディアルの正統な姫。私の血よりも呪力が強い。お前の協力のおかげで、人工的にその呪力を秘めた血を作り出す方法が分かった」
自分の中に流れる血を意識したのか、フィダールはちらりと自分の手首の血管に目をやった。
「私の血を採っていたのはそのせいか」
「お前には生贄となってもらう」
フィダールは醜悪な笑みを浮かべた。
「今度のパーティーで、ロアーディアルの城下町を灰塵(かいじん)にしてくれよう。お前の血を燃料としてな」
「まさか、街一つ滅ぼす威力のある武器など……」
そこまで言いかけ、リティシアはハッと鋭く息を吸った。
父上じきじきに教えられた、公(おおやけ)にされない王家の神話。弟神の持っていた武器の中に、『竜の蹴爪(けづめ)』というのがあった。大きな大きな大砲で、金属ではなく光の球を撃ち出すという。それが町に落ちるとまるで巨大な竜に踏みつぶされたように家々はなくなり、スプーンでえぐったかのような凹みが地面にできるほどだという。その話を聞いたとき、怖くてなかなか眠れなかった物だ。
まさか、ケラス・オルニスはその武器を手に入れたというのか。
普通に考えれば、とても信じられない。だがフィダールの様子には、嘘やハッタリだと片づけられないものがあった。
「安心しろ、城だけは残してやる。力の差を思い知れば、王も聞く耳を持つだろうよ」
寒気が背中を這いあがる。
(私の血が使われる…… だとしたら私のやることは一つだ)
リティシアはランプにほんの一瞬だけ目を走らせた。
服に火をつければ血が全て蒸発させて焼死できるだろうか。あるいはあれを割って、ガラス片で両手首を切れば? 床に流れてしまえば、もう血を使うことはできないだろう。
死体を見つけたフィダールは、さぞかし悔しがるだろう。そうなったら天国からだか地獄からだか知らないが、指さして嗤(わら)ってやる。
『姫(ひい)さま』
ふいににっこりと微笑むラティラスの顔が浮かんだ。
クソ、こんな時に。
死にたくない。心の中に急に恐怖が湧き上がってきた。もう一度ラティラスの姿が見たい。ほんの一瞬でもかまわない。
人は愛ゆえに強くなる、とは教会で聞いた説教だったか。私の場合、弱くなってしまったようだ。ラティラスの姿を思いだしたら、王族として自分に火をつけることも、破片を握ることもできなくなった……
「随分気丈な姫だと思ったが」
呆れたようなフィダールの言葉に、自分が涙を流しているのに気付いた。
「しょせんはただの女か」
頭から手が放され、座り込みそうになる体を、壁に手をついて支える。
フィダールが離れる気配がした。
牢獄を出ていったフィダールの背中を見もしないで、リティシアは壁を殴りつけた。
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