第33話 運命の縁はたやすく切れぬ

イスに座り、うなだれるようにして眠っていたラティラスは、うめき声を聞いた気がして顔をあげた。

 前に置かれたベッドの中で、今までぴくりとも動かなかったルイドバードが、カーテン越しの窓から差し込む昼の光を嫌がるように、もぞもぞ動いているのに気づいてほっとする。

「おはようございます。ご気分は?」

 今現在置かれた状況を把握できていないのだろう。ルイドバードは部屋を眺めてぼーっとしていた。

「ここは? そして彼女は?」

 ルイドバードが言う「彼女」は、宿に備え付けられた小さなテーブルの傍に立っていた。買ってきたばかりのパンや果物を広げる手を止め、嬉しそうに目が覚めたばかりの王子様に微笑む。

「よかった、気がつきましたか!」

丸顔に穏やかな瞳。ふわふわっとした濃いべっこう色の髪。その笑顔を見て、なんとなくラティラスは羊を連想してしまう。

 いまだにきょとんとしているルイドバードに、ラティラスは意味ありげに笑ってみせた。

「覚えていませんか? 劇場でワタシが人質に取った少女です」

 劇場で見たときは男装していたこともあり、少年に見間違えたけれど、こうして普通の少女と同じに分厚い麻のワンピースに肩掛けをしている所を見ると、かわいらしい女の子だ。

「ああ……しかしなぜ彼女が?」

「なぜもなにも。あなたを助けたのは彼女なんですよ」

 ラティラスの言葉に、少女の頬にさっと赤みがさした。

「助けたなんて。たまたま上手くいっただけで……元気になってよかったです」 

 ファネットは、ルイドバードの様子を見て、毒の症状だと見抜いた。そして、あちこちの店を回り、あるいは草原にしゃがみこみ、草や木の根など材料を調達すると解毒剤を作り出した。そしてそれをルイドバードに飲ませたのだった。

それらのことを語り終わったラティラスは、「あなたは感謝しないといけませんよ、ファネットさんは今の今までずっとあなたの看病をしていたのですから」とテーブルの上を顎で示した。

そこには食糧の他にもロウソクや薬草、それにファネットとラティラスがルイドバードの額を冷やすために使った水の入った桶と布などが隙間なくごちゃごちゃと置かれている。

「聞きたいことはたくさんあるが、とりあえず助けてくれた礼を言おうか。すまなかったな。名前は?」

 お礼なのに、ちょっと偉そうなのは王族なので仕方ないだろう。

「そういえば、きちんと自己紹介をしていませんでしたね。私はファネットといいます」

「それにしても、いまさらですがよく毒だと分かりましたねえ。医学の心得がおありで?」

「ええ。あれは私の故郷に伝わる毒ですわ」

 いかにも恐ろしいというように、ファネットは体を震わせた。

「狩人さんが矢に付ける毒です。地元にしかいないカエルを原料にするんです。私の知り合いに狩人さんがいて、万一の時のために、解毒剤の作り方を教えてくれたんです」

「本当に、ファネットさんがいてよかったですよ! 毒の材料自体は手に入りやすい物だったのですが、マイナーな毒だったので出来上がった治療薬が売っていなかったんです」 

「でも、なぜあんな所を歩いていた? 劇団があるのに、こんな所にいてもいいのか」

 ルイドバードの言葉にはほんの少しだが不信があった。ラティラスも秘かにその事が気になっていたので、ファネットに向き直る。

今までルイドバードの看病が忙しく、状態が落ち着いたと思ったら疲れがドッと出てしまい、身の上話を聞く機会がなかった。

 ファネットは二人から目をそらした。

「実は、あれから劇団を逃げて来たんです」

「逃げて?」

「団長が、この町で私を売ろうとしたんです。怪しげなお店へ」

「なんてことを!」

 ルイドバードが怒りのあまり思わず声を上げた。ラティラスは「ああ」と呟いただけだった。

 上品なルイドバードはともかく、ラティラスにはめずらしい話ではなかった。

 金持ちが、俳優や下働きの中に気に入った者を見つけると、こっそりと団長に金を渡すことはよくある。金額に応じて一夜だけなり期間を決めて囲うなり、後はご自由に、というわけだ。

もちろん、花形を犠牲にするわけにはいかないから、あまり売れていない者に限られるのだが、まあそれは一々ここで言うことではないだろう。

「それでとにかく劇団から逃げ出して、この町からも逃げ出そうとしたんです。そうしたら声が聞こえた物で。行ってみたら、ルイドバードさんが倒れていて……」

「なるほど。でもなんだって私達を助けたんだ? 私の状況を見れば、厄介なことに巻き込まれていると分かっただろうに」

「そ、それは、その……やっぱり傷ついている人を放っておけませんし」

 しどろもどろにファネットは言う。

 思わずラティラスは二人から顔を背け、苦労して笑いを押し殺した。

 ファネットがルイドバードに一目惚れしたことは、横で見ていたラティラスでさえ気付いたのに、肝心の彼が気づいていないなんて。

 ルイドバードはまるで教師のような口振りで言った。

「家はどこなんだ? 両親とか親戚とか、頼れそうな所は?」

 そこで初めてファネットの顔が曇った。

「家はあったんですけど。私は祖父と二人暮らしをしていたのですが、その祖父に追い出されてしまって」

「追い出された? 縁を切られるほどの不良娘には見えないが」

「ひょっとして、口減らしに売り払われでもされそうになったんですか?」

 それぞれの推測に、ファネットは静かに首を振った。

「それが、私にも分からないんです。今まで幸せに暮らしていたのに、急に家を出ろと言われて、団長に引き渡されて……祖父は、私が嫌になったのでしょう。」

 やわらかな口調が不安定に揺れて、少しずつ涙を含んでいく。

「いやだって……そりゃ腹を痛めて産んだわけではありませんが、自分の孫娘でしょうに。そう簡単に嫌われたりは」

 ラティラスの言葉に、ファネットは首を振った。

「祖父とは、血が繋がっていないのです。三年前、嵐が通り過ぎた朝、浜辺で倒れていた所を助けられて。それより前の記憶を無くしてしまった私に、「自分を祖父と思うように」と。ずっと、その言葉に甘えてきました」

 ファネットは無理に笑おうとしているようだった。

「祖父は団長と知り合いだったので、私を託したんです。あちこち回っていれば、見覚えのある風景に出会えるかも知れないと。でも、団長はあまりいい人では無かったみたい」

(ひょっとしたら、祖父親も団長とグルだったのかも知れないな。彼女を売った金を山分けするつもりだったのかも)

 そんな考えがラティラスの頭に浮かんだが、それは言わない方がいいだろう。

「ですから、帰る場所がないんです。お願いです、一緒に連れていってはくれませんか」

「冗談を言ってはいけない」

 軽く怒った様子でルイドバードは言った。

「我々は今、ちょっと、いやかなり厄介な問題を抱えているんだ。連れてはいけない。危険だ」

 そこでルイドバードは少し考えてから言った。

「行く所がないのなら、修道院にでも行ったらどうだ。そうすれば食うに困ることはないだろう」

「でも、うら若き乙女がシスターとは感心しませんね」

 ラティラスの口調は軽く咎めるような口調になる。

「おしゃれも恋もできないのでは、一気に歳をとりますよ」

 言いながらラティラスはハンカチを取り出した。結び目を作り、そこから布の角を二つ飛び出させ、ウサギの形にする。そしてそれをぴょこぴょこ動かしながら

「『恋せよ! 汝短き青春の真中(まなか)にあり』ってね」

 と、腹話術で有名な詩の一部を引用して見せた。

 涙をこらえていたファネットは、くすっと笑ってくれた。

「うまいな、ラティラス。いや、しかし、彼女の安全を考えれば……」

「ま、まあその事はおいおい考えましょう」

 ラティラスは自分でもあからさますぎると思いながら、無理に話を断ち切った。

「せっかくルイドバードも無事に気がついた事ですし、お祝いしましょう。申し訳ありませんが、ファネットさん、ぶどう酒でも買ってきてくれませんか。ワタシはお尋ね者ですから……」

 どう聞いてもルイドバードと二人だけで話し合いたいための苦しい言い訳で、それはファネットも気づいていたはずだが、彼女はおとなしくにっこり笑って外へ出て行ってくれた。

「で、本当にあなたを襲ったのは弟君(おとうとぎみ)だったんで?」

 ファネットが部屋の扉を閉めてから、充分な時間が経ったのを見計らって、ラティラスは言った。

 ウサギをもとのハンカチに戻し、ポケットに入れる。

「ああ、間違いない。なにせ、最後にご本人が登場したのだからな」

 殺されかけたことでそうとうプライドを傷つけられたのだろう。ぎりっと唇を噛みしめて、強く拳を握った。

「奴はケラス・オルニスの名前を言っていたぞ」

「え?」

 ラティラスは思わず聞き返した。

「ケラス・オルニスを利用するとかなんとか。まさかロルオンがケラス・オルニスと組んでいるとは」

 「……でも、分からなくもないですよ。もしもケラス・オルニスが人体の半分を消せるほどの武器を持っているなら、あるいは開発しているのなら、それに取り入って後々その技術をモノにしてしまえばいい。そうしたら後はスキにできるってもんです」

「おそらく、開発中なのだろうな」

 苦々しく呻くようにルイドバードは言った。

「ロルオンは、私を殺そうとした。しかし、殺さなかった。おそらくは武器がうまく働かなかったのだろう」

 瞼の端に浮かんだ光。あのときにルイドバードは武器を向けられていたのだろう。だがそれがうまくいかず、やる気をそがれたロルオンは、ルイドバードを毒で死んでいくにまかせようとした。

「運がよかったですね。師匠のようになってもおかしくなかったわけですから」

 そこでふいに意地悪な気持ちになって、ルイドバードに皮肉な笑みを向ける。

「今からでも、弟に頼んで一枚噛ませてもらったらどうですか? うまくいけば強力な武器で世界征服できるかも知れませんよ」

「バカな!」

 毒が抜けたばかりの体のどこにそんな力が、と思うほど強く襟首をつかまれた。

「そして恐怖政治を敷けとでも? そんな国のどこに幸せがある」

「冗談ですよ」

 まったく、とかなんとかいいながら、ルイドバードは手を放した。

 なんだかそこでラティラスは急に泣きたくなった。

(姫様。あなたの婚約者は結構いい人ですよ。だからワタシは嫌いになれないし、会えばあなたも好きになるかも知れません。ワタシにとっては辛いことですが)

「そういえば、何か気になる事を言っていたな。鏡の塔でパーティーとかなんとか」

「鏡の塔?」

 頭の中から情報をひっぱり出してみる。

 確か、昔戦乱時代に物見のために作られた塔だ。

 最近とあるギルド(店の組合)が、出しあった金で国から買い取ったという話を聞いたことがある。なんでも一階を商業施設に、二階は鏡張りにして入場料を取って、大儲けしようとしていると。

 名前もロディンの塔から鏡の塔と変えられたらしい。

「そういえばそろそろリニューアルが終わって、オープン前にお祝いのパーティーをするとか……うわ、塔を買ったギルドって、その正体はケラス・オルニスだったんですか」

「そういうことのようだな」

「……」

ラティラスは口を閉ざして考え込んだ。

一か八か、そのパーティーに乗り込みたい。だが、そういった身内のパーティーでは招待状が必要だろう。こういった小さなパーティーなら招待状一枚につき大抵ペアの男女に従者が一人か二人で参加すると決まっている。ルイドバードが主人役として、ラティラスが女装することで女役をするとしても、人数が足りない。

 考え込んでいると、ルイドバードが溜め息をついた。

「どうせお前のことだから、パーティーに乗り込むつもりだろう。それより先に、ファネットをどうするか考えなければ」

「そのことですけどね、ちょっと」

 ラティラスはルイドの袖をひっぱって、内緒話をするために耳を近づけた。

「ここで下手に彼女を放り出す方が危ないかも知れません」

 どういうことだ、というようにルイドバードは軽く眉をしかめる。

「もし、あなたを助けたのがファネットさんだと、ケラス・オルニスやあなたの弟君(おとうとぎみ)、でなければ治安維持部隊に知られたら?」

「なに?」

「だって、劇場でもワタシ達と一緒の所を見られてるんですよ。これであなたを助けた所を誰かに見られていたら、間違いなく我々とグルだと思われます。ワタシ達がどこにいるのか、何を考えているか、何をするつもりなのか、拷問でもされて聞き出されたらかわいそうでしょう」

 さっきの騒動を見た者がいないとも限らない。それにラティラスが未だにお尋ね者なのは変わっていないのだ。

 治安維持隊に保護を求めたとしても、逆にラティラス達の情報を聞き出すために手荒なマネをされてもおかしくない。リティシアの父親は慈悲深く、必要に迫られなければ人に害を与えるような命令はしなかったが、こと娘に関することだ。必死になって聞き出そうとしても責められないだろう。

 それでも城に捕まるならまだいい、ロルオンか、ケラス・オルニスの連中が手を出して来たら最悪だ。

「では、我が国で事が片付くまで保護すれば……」

「あなたの弟君がちょっかいを出さなければそれもいいでしょうが。大嫌いな兄上がじきじきに保護を頼んだ女性なんて、ワタシがロルオンだったら全力でかまいに行きます」

「……」

「結局の所、もう逃げ場はないんですよ。彼女も私達も」

 あの時、人質にするために彼女の手を取ってしまったことをラティラスは後悔した。

自分は、途中で力尽きて死んでもかまわないと思っていた。でも、レーネウス達に続いて無関係な他人の運命まで狂わせてしまうとは。

(でも……)

 これはこれで好都合だ、とラティラスは思った。

(でも、ファネットが代わりに女役をやってくれればとりあえず人数の問題はクリアできる)

要は、利用しようというのだ。イナカから出てきた何も知らない女の子を。自分は彼女を売り飛ばそうとした団長とどう違うのだろう。いや、団長よりタチが悪い。『怪しげなお店』に売られたところで、そうそう下手したら殺されるような目に合わされたりはしないだろうに。

抑えきれない笑い声をくっくっともらす。

これでは姫を助けるナイトなのか悪者なのか、分かった物ではない。

 リティシアと再会したとき、リティシアは変わった自分を見てもまだ好きでいてくれるだろうか。ラティラスはふとそんなことを考えた。

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