第18話 『ああ、俺とて、こんなことをしたくは無かった!』

 『雷帝の遺言』。それが劇団リュイゲの演目だった。劇団オリジナルの台本ではなく、定番のストーリーで、ラティラスも粗筋は知っている。

 ある男が、雷帝と畏れられていた父の遺言の中に不審な点を見つける。それを探っていった結果、父の死は母と彼女の愛人によって仕組まれた殺人だった事がわかる。そして男は復讐を決意する……といった内容だ。

 カディルは今夜、この劇を見に来ているらしい。

 舞台を明るく見せるため、観客席に吊されたシャンデリアはどれもロウソクの数が抑えられ薄暗い。その薄闇の中、着飾った紳士淑女が舞台を見つめていた。劇場の隅には何人か、劇場お抱えの警備兵が立っている。空気には化粧と香水と、衣擦れの音が満ちていた。

 この場にふさわしいクジャク色の豪華な服に身を包んだラティラスはラドレイ夫妻の後ろに座っていた。充分な金をくれたベイナーに感謝する。賄賂がなければこんないい席を取ることはできなかったし、それ以前にこの服が買えたかどうか。

舞台上では、主人公が飲ませた毒で苦しむ母の愛人を前に、罪の告発を行っている所だった。

『ああ、俺とて、こんなことをしたくは無かった!』

 主人公の切々(せつせつ)とした訴えが、重厚な演奏とともに劇場内に響き渡る。悲劇的なクライマックスに、他の観客たちは夢中になっていた。

『あの人の幸せを祈りながら、穏やかに暮らしたかったのだ! たとえ心の半分が死んで、甦らぬままだとしても』

「カディル様……。カディル様ですよね?」

 小声で確認しながら太ったカディルの肩を指でつつく。ラティラスの手には、黒く塗られた縫い針が握られていた。

「なに……」

「おっと、振り返らずにそのままで」

 空いている手で、カディルの口をおおった。生暖かい息が手の平にかかり、気持ちが悪いが仕方がない。

 隣に座った夫の異変に気付き、夫人がラティラスを見て息を呑む気配がした。

「夫人、もし旦那に生命保険をかけていて、愛がもう冷めているならそのまま悲鳴をどうぞ」

 遠回しに「騒げば殺す」と言われたのに気づいたのだろう。手袋をはめた手で、夫人は自分の唇を押さえた。

 暗闇がラティラスの味方をしてくれていた。目をこらさないと針は見えないはずで、ラティラスとカディルは小声で話をしているようにしか見えないだろう。それなら、多少マナーの悪い奴と思われるだけだ。

 舞台では、主人公の独白が続いていた。

『だのに、なぜ私にかまったのだ。今や私は心の仮面を外さずにはいられない。お調子者の顔を捨て、醜い欲望や憎しみを、むきだしにせずにはいられなくなった!』

「さて、カディル様。リティシア様が襲われたことはご存じですよね」

 コクコクとカディルはうなずいた。心を落ちつかせようとしているのか、震える手でかけていた眼鏡を外して、いじりまわす。

 ヒステリックな弦楽器の音。

「あなたは、リティシア様を襲った賊と関わりがあるはずだ。ラドレイもね。あなたはある組織に金を渡しているでしょう? 賊の正体、教えてくれませんかね」

 ラティラスが右手で強く口と鼻を押さえているため、頭は大して動かなかったが、力の加わり方でカディルが首を左右に振ったのが分かった。

「おや、しらばっくれるおつもりで?」

 針の先端で、軽く首の皮膚を突く。赤い血が球のように膨れあがる。

「これで胸が苦しくなってくるはずですよ。心臓は高鳴って。なに、別に恋をする薬じゃありません。ただの毒です」

 ラティラスの指の間から、くぐもった呻きが漏れる。

「静かに! 大丈夫。解毒剤はあります。格安で、いえただで譲ってあげましょう。さっきの質問に答えてくれるならね」

 もちろん針には毒など塗っていない。レーネスの時と同じはったりだ。針の先の黒いのはインクで、刺したところで刺青のように小さな点が残るだけ。乙女の肌ではあるまいし、大した問題ではないだろう。

 けれど手に当たるカディルの息は荒く、顔は青くなり、じっとりとこめかみに汗が浮かんでいる。

 知らない奴に背後から襲われれば、恐怖で心臓が高鳴って息苦しくなるのは当たり前だし、息だって苦しくなるのも当然なのだが、混乱しているカディルはそれを毒の症状と勘違いしてくれたようだ。

演技とはいえ、舞台の上で人が毒でのたうち回っているのを見ていたのだから余計だろう。

「これから口の手を退かしますが、大声出したら毒が回る前に殺します。他の皆様方の観劇のジャマをしないように。誓えますね?」

 がたがたと震えながら、カディルは何度もうなずいた。

 ラティラスはそっと手を外す。 

「し、知らない。姫襲撃の事なんて……ケラス・オルニスが襲撃に関わっているのだとしても、私には知らされていない!」

 荒い息の下、あえぐようにカディルは言った。

「ほう。やっぱり賊の名前はケラス・オルニスで合ってましたか」

 ハッとカディルが息を飲む。

 慇懃無礼(いんぎんぶれい)の仮面を脱ぎ捨て、ラティラスは強い口調で言った。

「言え! 組織の目的はなんだ! お前は何と引き替えに金を渡した? 姫様はどこにいる!」

「知らない、知らない! ただ持ち掛けられただけだ! 金を払えば邪魔者を消してやると!」

「何?」

「そうだ、ある男から持ちかけられたんだ! 金さえ払えば悪いようにはしないと。ある程度の金を払ったら、本当に商売敵の船が沈んだ。高官とも繋がりができた!」

 おそらく、ケラス・オルニスに金を払い始めてから、さぞ売上が伸びていることだろう。ケラス・オルニスは非合法な仕事をする代りに、契約を結んだ金持ち達から金を受け取っていたのだ。

 しかし、それと姫の誘拐となんの関係が?

「くそ、もう少しで正式なメンバーになれたのに! こんな所で終わってたまるか!」

 視界の端に動く物をとらえ、ラティラスは顔をあげた。

 観客席を縫うように、劇場の警備兵がラティラスの方へと近付いて来ている。

(まずい!)

 劇場の警備兵は、迷惑をかける酔っ払いを追い出すのが主な役目だが、客の貴族や金持ちを守り、たまに紛れ込んでいる暗殺者やテロリストにも対処するのも仕事だ。まともにやりあいたい相手ではない。

 カディルがニヤリと笑い、手にしたままだった眼鏡をかけた。

 ラティラスは舌打ちしたくなった。 

ただもてあそんでいると思っていたが、眼鏡の反射光で警備兵の気を引いていたようだ。だてに歳を喰っていないというわけか。

「お客様、どうかし……」

 警備兵の言葉を遮り、カディルは叫ぶ。

「頼む、毒を盛られた、解毒剤を!」

「やれやれ、やっぱりうまくいかないモンですね!」

 ラティラスは軽口を叩き、客席の間を駆け抜ける。針を投げ捨て、隠し持っていた短剣を引き抜いた。

 悲鳴とどよめきが客席と舞台から沸き上がった。演奏もいつの間にか止まっている。

 ラティラスはとっさに舞台へ飛び上がった。

 従僕役の少年の手をとって、その首筋に剣を突き付ける。

「動くな! でないとこの小僧が死にますぜ」

 叫んだ後で、ふいにラティラスは笑い出したくなった。

まるっきり安い悪者のせりふだ。なんだって自分はこんなところでこんなことをしているのだろう? 皆を笑顔にするのが自分の仕事のはずなのに。

 客達が外に続く扉に殺到する。戸口を守る警備兵は、その勢いに飲まれて姿が見えない。

残っていた兵達が、ラティラスを取り囲んだ。

「道を空けてください!」

 怒鳴ったあとで、ラティラスは震えている人質に耳打ちする。

「殺す気はありませんよ。絶対に無傷で逃がしてあげますから、恐がらなくて大丈夫です。ちょっと、協力してくださいな」

 少年の腕をつかんだまま走りだす。観念したのか、少年は素直に後についてきた。

 人質を気にしているせいで、ひどくためらいがち襲いかかってきた剣を短剣で払いのける。

 細くなった人の流れにそって、開け放たれた扉にむかう。

客達はラティラスの手で光っている白刃に怯え、磁石が反発するように危険な犯罪者から距離を取る。人波が少なくなってきたために床が覗き、どさくさで落ちた靴の片方や扇子、プログラムなどが見えた。

 人波の後を追うように、ラティラスもじりじりと出口に向かう。やたら遠かった出口がようやく近く感じたころ。

「きゃあ!」

 外で悲鳴があがった。出口から逆流して、劇場の物とは違う制服を着た男達が入り込んできた。城の治安部隊兵達だった。

「厄介な奴が……」

 ラティラスは思わず呟く。

「おい、あれ、ラティラスだ! 道化がいたぞ!」

 先頭の治安兵が声をあげた。

「王の前に引きずり出せ!」

 興奮する治安兵達に、警備兵遠慮がちに言った。

「し、しかし、人質が」

「わかっている! 人質を無傷で取り戻し、ラティラスを捕らえろ!」

 劇場の奥に追い込まれたらそれこそ袋のネズミになる。

 一気に敵陣を駆け抜けようと、人質の腰に腕を回して引き寄せる。従者役は「キャッ」とかわいらしい悲鳴をあげた。そして胸を押し付けられる形になった腕に伝わる、男ではありえないやわらかい感触。

「な、なんてこった。あんた、女の子ですか」

「しょ、少年従者の役なので男装を……」

「男だと思ったから人質にしたんですよ! レディーを人質にするほど落ちぶれちゃいませんって! ああ、でも今更逃がしてあげるわけには行きません! こうなったら最後まで付き合ってもらいますよ!」

 ラティラスは短剣を握り直した。

「さあ、道を空けてください!」

 兵達が剣を抜いた。だが、切り掛かることができず、ラティラスを遠巻きにしている。ラティラスは振り上げられる腕や、巻き付こうとする縄、そういった脅威が無いか、忙しく視線を走らせ、包囲の抜け道を探す。そしてまだ新米らしい兵が、青い顔をして立っているのに目をつけた。戦いに慣れていないようで、構えた剣先が震えている。あそこなら、なんとか突破できそうだ。

「こっち!」

 人質の手を取って、一気に走りだす。

 犯人がこっちに突進してくるのに気づき、必死の形相で新兵は剣を振り上げた。

「うわああ!」

 その時床に散らばる何かに足を取られたらしく、新兵はバランスを崩した。

 剣はラティラスを反れ、人質の上に振り下ろされそうになる。兵も自分の状況に気づいたようだが、腕の力を抜いても重い剣にはまだかなりの勢いがある。

「バカが!」

 吐き捨てるように怒鳴(どな)り、ラティラスは少女を抱え込み、兵に背をむけた。

 背中に火箸か氷を押しつけられたような衝撃が走る。その後に背中全体に響く痛み。そして服の背が自分の血で濡れていく感触。

「人質を斬ってどうする気です!」

「人質を斬ってどうする気だ!」

 計ったように、隊長とラティラスの声が重なった。

どこからか振られた剣に、握っていた短剣が弾き飛ばされる。

「捕らえよ!」 

 正面に立つ兵数名が、ラティラスに手を伸ばす。

 ここまでか。

自分が囚われるときのどさくさに巻き込まれないよう、少女を突き飛ばした。殺到する兵達に埋め尽くされる視界の隅、争いの場所から少し離れた場所で、彼女は茫然と床に座り込んだのを見届ける。

 右肩を兵の手が締め付けた。誰かが腰に腕を巻き付ける。

 観念して閉じようとした目の隅に、黒に似た紫の影が走る。素早く何かが動いたときの、微かな風圧をラティラスは感じた。 

「うわ!」

 悲鳴をあげ、ラティラスを捕らえようとした兵達が吹き飛ばされた。

「え?」

 ラティラスは思わず間抜けな声をあげた。

 自分と兵達の間に割って入っている、一人の青年の背中。

 短く切り揃えられた金の髪といい、劇場にふさわしい貴族めいた紫の服といい、上流階級の者だと一目でわかった。

 ラティラスの仲間だと思ったのか、兵が青年に襲いかかっていく。それを青年は悠々とあしらっていく。強い。

 荒々しいベイナーの剣と違い、どこか舞踏を思わせる、優雅な身のこなしだった。背が高いので余計に様になっている。明らかに、名のある剣士に習った宮廷風の戦い方だ。

 聞こえてきた小さな溜息に目を向けると、人質にしていた少女が目を輝かせて青年を見つめていた。その頬が赤く染まっているのに気がついて、なんだかこっちが恥ずかしくなる。

 けれど、少女の恋物語にほのぼのとしている余裕はない。ラティラスは再び男に意識を戻した。

(こいつは誰なんだ? なんでワタシを助ける?)

 どこかで見た気もするけれど、思い出せない。けれど、そいつの正体が誰であれ、今はご厚意に甘えておいた方がいいようだ。

 落としていた短剣を拾う。

 ラティラスは改めて扉にむかった。思ったより血が出ているのか、めまいを感じ、倒れそうになったラティラスの体を、がっしりとした腕が支える。

 例の青年がいつの間にか傍に来ていた。

「何をぐずぐずしている!」

 ぐずぐずと言っても、足を動かすだけで背中に痛みが走る。同じぐらいの歳の男に助けられ、少しプライドも傷つけられたラティラスは思い切りしかめっ面をする。 

 反論する間も与えず、青年はラティラスを半分抱えるようにして劇場を出て、石畳の通りに飛び出した。大勢の体温で温まっていた劇場と違う、ヒンヤリとした空気が体を包む。

 街灯に照らし出されたラティラスの、血で汚れた背中と短剣に驚いた女性たちが悲鳴を上げた。

 入り口から一定の距離をおいて、野次馬が劇場を取り囲んでいる。逃げてきた劇場の客らしき着飾った者と、街の者らしい素朴な格好をした者が区別なく混じっているのが少し新鮮だった。

 その野次馬の間を突っ切り、青年は道路へ飛び出すと、一頭立ての荷馬車の前に立ちはだかった。ちょっとびっくりしたらしく、馬がいななく。

「おい、何す……」

 青年は御者に手をかけ、問答無用で引きずりおろす。そして代わりに馬の上に飛び乗った。

「すまん!」

 そう言って青年は石畳みに投げ出された御者に金貨を投げ渡した。

 青年は、野次馬を蹴散らすようにして、買い取った荷馬車をラティラスの横につけた。

 これで逃げるというのだろう。意図を察したラティラスはなんとか荷台に横からよじ登ろうとする。体を大きく動かしたせいで背中の傷が痛み、息が詰まった。

 ラティラスの上体が半分ほど乗っただけで青年は馬車を走らせた。

「わ、ちょ!」

 ラティラスは這うようにして荷台へ転がる。両足の先が馬車からはみ出しているのがなさけない。

「ぎゃ~! ちょっと、落ちる、落ちる!」

 ラティラスの悲鳴と車輪の音が、街に響いて消えていった。

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