第17話 無遠慮な侵入者2

そしてその数分後。

 レーネスは背もたれに体をあずけ軽い寝息をたてていた。

 ラティラスは立ち上がり、そっと部屋の戸を開ける。緊張を抑えるために、一度大きく深呼吸した。

部屋だけでなく広い廊下も美しく整えられていて、小さなテーブルにカビンに生けた花が飾ってある。台所でメイドが仕事をしているらしく、食器のふれあう音が聞こえてきた。

 部屋を出て右手には入ってきた玄関ホール。左には二階へ続く階段があった。階段までの間、廊下の両端には彫刻を施した分厚いドアが並んでいる。

 大抵、家の主人の書斎というのは、二階の奥まった静かな場所にあるものだ。ラティラスはそろそろと階段を登り始めた。小さな軋みも、家の者に気づかれるのではないかとびくびくする。

 二階へ上がると、一階と同じような造りになっていた。廊下を挟み、左右三つずつ扉が並んでいる。

 一番初めに目に入った部屋の鍵穴をのぞく。そこはイスや木箱が押し込まれていて、あまり使われていないようだった。外れ。

 またそばの扉をのぞくと、今度は猫足のイスやピンクのクッションが置かれた部屋だった。おそらくはレーネスの物だろう。隅にはチェンバロが置かれている。外れ。

 そして次の扉をのぞいてみる。紙の束が載った机に、皮張りのイス。そして高価そうな本がたくさん詰まった高価そうな本棚。

「ビンゴ」

 小さく呟いて、ラティラスはノブに手をかけた。残りの三部屋を確認する手間がはぶけた。それに幸い、中には誰もいない。だが、鍵がかかっているらしく開かない。

(家族相手に随分と厳重だな……これが普通なのかな?)

 一般家庭で育った覚えのないラティラスは、そんな事を思いながら服の裾に隠していた針金を取り出した。そしてそれを鍵穴に差し込む。

 廊下をふらついているだけならともかく、こんな姿を見られたら言い逃れができない。焦る気持ちを抑えながら、針金を操る。パチンと弾けた音がして、鍵が開いた。

 中に入ると、インクの匂いがかすかにした。机に歩みより、山になっている紙は無視をする。まさか、黒づくめの奴らに人を襲わせるような、怪しげな組織と関係をうかがわせるような物が、ほいほいとその辺りに置いてあるとは思えない。

 机の天板の下に、引出が左右に二つ並んでいる。ラティラスはまず右一番下の引き出しを開けてみた。ペーパーウエイトに、手紙の封に使う蝋と印。そして使われていない手帳。ペーパーナイフにインク瓶。色々と詰め込まれているが、どれも珍しい品ではない。

 今度は左の一番下の引き出しを開けてみる。そこには、受け取ったカードの束に、使った跡のないペンが数本と、使用人を呼ぶためのハンドベルがあるだけだ。

(なんで片方だけに詰め込んであって、こっちはガラガラなんですかね?)

 そう考えたとき、側面にあるかすかなひっかき傷が目に止まった。引っかき傷は一つではなく、幾筋もついている。どの傷も引き出しの底でぴたりと止まっている。うっかり傷付けてしまったという数ではない。

 側面の板と底の間に、かすかな隙間があるのにラティラスは気がついた。高級そうな家具なのに、こんないい加減な作りなんてことがあるだろうか? 曲げた針金を突っ込んで、底板を持ち上げる。かすかに軋んだ音をたてて底がかすかに浮き上がった。

(二重底……!)

 思わず心臓が高鳴る。引出側面の傷は、ラドレイがこの二重底を何度か外すうちについたものだろう。こちらの引き出しに物が少ないのも説明がつく。一々全部引き出しを空にして底を開けるのに、あれこれ入っていたら面倒くさい、という俗な理由だ。

 何が隠されているのだろう。右手で板を持ち上げたまま、緊張で震える左手で引き出しの中の物をすべて机の上に退かした。

 仮の板が外れ、本当の底板の上に現れたのは、三枚の紙だった。どの紙にも表が書かれている。

 きちんと並んだ日付と金額。一見出納(すいとう)帳のようだが、出て行く金しか書いていないのが不思議だった。しかも、金額の多いこと。

 じっくりと見たいが、何しろ時間がない。紙を懐に入れ、底を戻す。ペンをつかんで引き出しの中に入れようとしたとき、どこか近くでドアの開く音がする。

「なんだ? 今なにか音がしたような」

 そして近付いてくる足音。声からして、ハチを追い払った使用人だろう。音の近さから言って、ラティラスがこの部屋に入り込んだときにはもう隣の部屋にいたに違いない。

全室チェックをしておくべきだった、とラティラスは今さらながら後悔した。

 隠れてやりすごそう。ラティラスが机の下に潜り込もうとした瞬間、一歩遅く書斎のドアが開く。

「お前、こんな所で何をしている! この泥棒め!」

 使用人は、ラティラスの腕と肩をつかんだ。

「ちょ……!」

 ラティラスはもがいたが、相手は格闘の心得があるらしく、鉄の罠のような手から逃れることができない。

 そのまま床に引きずり倒されそうになる。

 ラティラスは叫んだ。

「レーネス様は?!」

 意外な名前が出てきて驚いたのか、使用人は動きを止めた。

「レーネス様は、今どうされてますか? ワタシなんかにかかずらっていていいんですか? お嬢様が心配では?」

「なんのことだ」

 ぎりぎりと腕を後に回される。

『きゃあ!』

 階下からメイドの悲鳴があがった。

『お嬢様、お嬢様!』

 聞こえてくるメイドの取り乱した声に、使用人の腕がゆるんだ。

ラティラスは渾身の力で相手の手をふり払う。

「レーネス様に毒を盛らせていただきました」

 きしむ肩を回しながらラティラスは言った。

 もちろんそれは嘘だ。レーネスには無害な眠り薬しか盛っていない。

『お嬢様、誰か早くお医者様を!』

「早いところ、手当てしないとまずいかも知れませんよ」

 こうやってハッタリをかければ、使用人はラティラスをほったらかしで主人の元に駆け付けるだろう。

「な……貴様!」

 だが使用人は両手でラティラスの胸倉をつかんだ。

「え? ちょ、うぐっ」

(逆効果だった!)

 胸がしめつけられ、息ができない。顔に血が溜まって熱くなる。

 部屋の隅に追い詰められ、背が本棚に当たる。その衝撃で本棚が揺れ、飾られていた小物が落ちる。

「よくもお嬢様を! 殺してやる!」

(大丈夫です! 毒じゃない! ただの眠り薬です!)

 そう言たかったが、息もできない状態で言葉をしゃべれるわけがない。

 視界に妙な光が飛び始めた。

 ラティラスは使用人の拘束を外そうとする無駄な努力をやめ、手を袖にいれて薬包紙を取り出した。もともと締め付けられて不自由な息を止め、包みを破り、怒りで歪んだ使用人の顔に残りの眠り薬をぶちまける。

顔全体を覆う霧のように、白い粉が舞った。げほげほと使用人は咳き込む。

 相手が思わず手を放したスキに、白い霧の届かない所までよろめき出ると、ラティラスも咳き込んだ。こちらは薬を吸ったのではなく首を絞められていた影響だが。狭い部屋に男二人の咳が響く。

 一瞬早く回復したラティラスは、戸口をくぐって廊下に出た。

「待て、貴様……」

 背後からド派手に何かにぶつかった音がした。追おうとして何かにぶつかったのだろう。速効性の眠り薬を吸ったのだから、足元がふらつくのも無理はない。

 まだ少し痛む首筋に手をやりながら、ラティラスはつぶやく。

「あなたは我を忘れて激昂するほどお嬢様のことが好きなんですね。少し、親近感が沸きますよ」

 階段を登ってきたメイドの横を擦り抜け、ラティラスこと占い師コステナはラドレイ邸を逃げ出した。


 オレンジ色のランプがぽっちりと灯った宿屋で、ラティラスは安い机に就き、奪い取った表を眺めていた。

 出て行くばかりの出納(すいとう)帳。支払先の所には、『ケラス・オルニス』と書かれていた。『ケラス・オルニス』。おそらくはそれが姫をさらった集団の名前。まさか孤児院か教会に寄付したわけではないだろう。

 この表の記録から、ラドレイは賊に金を渡していたのは違いない。もちろん何か見返りを受け取れなければ金なんて渡さないだろう。ああいうタイプの商人は特にそうだ。では、その見返りとはなんだろう? 

 娼館で自分を取り囲んだ男たちを思いだした。あれだけの人数を動かせるということはかなりの大きさの組織だ。かなりの活動資金がいるだろう。出資者はラドレイだけではないはずだ。

 そこでラティラスは一枚の紙の上部に走り書きをみつけた。

『カディルもそうか?』

 人の名前だった。ケラス・オルニスへの出資者は、互いの存在を知らないようだ。だがラドレイは何かのきっかけで知り合いのガディルも同じ出資者ではないかと疑いを持ったではないだろうか。そうすればこの落書の意味がわかる。

 問題は、ケラス・オルニスが金を集めて何をしようとしているかだ。

 カディルという名の、賊に高額な支出できるほどの金持ちで、ラドレイの知り合い。調べるのは簡単そうだった。

 本当ならばもう少しラドレスを調べてみたいところだ。でも、むこうは当然、警戒をしてくるだろう。またちょっかいを出すのは得策ではない。

だとしたら、行くべきところは一つだった。

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