9部

 部屋に届けられたドボクジカのジビエを頂いて、俺は深夜の誰もいないであろう時間帯に温泉へと向かう。

 あまり知らない人に裸を見られたくないため誰もいない時間帯を狙ってみたが薄暗すぎて何かが出て来そうだ。

 しかし、入浴可能時間的にはまだ入っている為きっと大丈夫だろう。

 そんな楽観的な考えの元、『男』と書かれた暖簾を潜って脱衣室に入る。


「あの暖簾、女将は漢字絶対意味分かってかけてないな………」

 

 その証拠に他の場所では漢字などは一切使われていない。

 大方男ならこっち、女ならこっちと言った大雑把な感覚だろう。


「さてと、レトロゲームはなかったけど風呂は毎日入んねーとなー」


 服を脱いで腰にタオルを巻き、いざ、浴場へと足を踏み込む。

 見た感じはここは洋風な作りになっている。

 右の壁には幾つものシャワー用魔法陣が並べられ、左の壁には三種類の湯船がある。奥を見て見れば小さな部屋と扉がある。

 色々好奇心が刺激される物が多いが、とりあえず先ずは身体を洗う為に右の席に座って辺りを見る。

 この世界には当然石鹸やシャンプー、リンスなどと言った物はない。

 その代わりにこの世界にはドクタークラゲなるモンスターが存在していてそいつが身体の汚れを全て食べてくれるのだ。

 しかもそのドクタークラゲはスライムと似たモンスターである為伸ばしても巻いてもつぶらしても問題がない。


「ほんっと、この世界には不思議な生き物がたくさんいるな」


 ドクタークラゲの粘液をシャワーで洗い流し、今度はドクタークラゲを覆う様に広げて乗せる。

 このまま湯船に浸かっていれば、頭の汚れを食べ終えたドクタークラゲは元の位置へと戻っていき、出る時に頭の粘液を落とせば綺麗になっている。

 ようやく身体を洗い終わって、俺は一つ目の湯船に浸かる。

 この湯船は至って普通の湯船で湯が出ている魔法陣に魔力を込めれば温度の調整もできるようになっている。


「それでこっちは………わーお、ジャグジー………」


 どうやら二つ目の湯船は三つの寝転がるタイプのジャグジーらしく、泡がブクブクと大量に出ている。

 いっちょ試してみようか、などと思った俺は一つ目の湯船から出てジャグジーの湯船に寝転がる。


「おぉ………中々気持ちいな………」


 全身に泡が当たり、まるでマッサージを受けている様な感覚へと陥ってしまう。

 しかし、それも束の間で、俺は最後の湯船を見上げる。

 そう、見上げるのだ。

 最後の湯船は何と古き良き五右衛門風呂だった。

 ウチの実家にも五右衛門風呂はあったが、これはそれよりも大きい。

 おそらく何人か同時に入れる様にだろう。


「懐かしいなぁ………五右衛門風呂」


 今、オトンとオカンは何をしているのだろうか。

 俺の葬式ももう終わってるだろうし、いつもの生活に戻ったのか?

 それともまだ塞ぎ込んでいるのか?

 だとしたら、言ってやりたいものだ。

 俺は異世界で第二の人生楽しくやってるから気にするなって。

 少しだけ懐かしい顔を思い出した俺はジャグジーから出て奥の扉へと向かう。

 曇りガラスのその向こうにはボヤけてほとんど見得はしないが、辛うじてそこが外だと分かる。


「露天風呂!?」


 俺はさっそく外に出て露天風呂に出ると冷たい風が俺の熱った身体に打ちつける。


「ひゃ〜!さっぶ!」


 今の季節はよく分からないが夜とだけあって寒い。

 俺は急いで湯船に入り、中にある大岩に背中を預ける。


「いつぶりだ?こんなにゆっくり風呂に浸かったの………」


 最近はお勤めだ何だで忙しかった。

 と、言うか今まお勤めに向かう最中だが、それでもこうやってゆっくりできたのはこの世界に来てから初めてかもしれない。


「ババン、バ、バンバンバン」


 俺は有名な風呂の歌を口走る。

 ここは今無人なんだ。

 歌を歌っていたって誰に迷惑をかけるわけでもない。

 そんな最中、浴場の方から音が聞こえてくる。


「人いたのか………」


 少し、恥ずかしさを覚えながら俺は口を閉じて静かにお湯に浸かる。

 しばらくして中の人物も露天風呂に来たのだろう。

 曇りガラスに人影が映っていく。


「?」


 が、何かがおかしい。

 主に人影の頭、胸部、尻の辺り。

 人影の頭には出っ張った影が見え、尻には細ら長い何かが蠢いている。

 それだけならまだいい。エルフやドワーフ、獣人など亜人が存在する異世界。

 影の向こうの人物のシルエットが変でもおかしくはない。

 なら、何がおかしいのか。

 胸部だ。あの胸部の膨らんだ影。とてもではないが男の胸板とは言い難い。そうなるならば、影の人物の性別は女と言う事になる。

 さて、ここがこの俺、藤崎百の男と人間性が試されるところとなるだろう。

 男としてはこのまま彼女が入ってくるまで見ていたい気持ちがある。

 そもそも今は男の入浴時間だ。非は完全に向こうにあるのだからこのままいても何ら問題はない。


 つーか、ちゃんと案内読めよ!


 だが、この俺は世界でも礼儀正しいと言われる日本人だ。下半身に任せてこのままいるのはそれに反してしまうのではないのか?

 男と人間性、この二つが鬩ぎ合った結果俺は………。


「ひ、一先ず岩陰に隠れよう………」


 人間性を取るのだった。

 ガラガラと扉が開く音と閉まる音が順番に聞こえた後、水音が聞こえてくる。

 おそらく彼女が湯船に浸かったのだろう。

 このまま彼女が出ていくまでこの水音を楽しんでも良いのだが、残念ながらそろそろ浴場が閉まる時間だ。

 当然男女の入浴時間を把握していない様な人物がそこを把握しているとも考えにくい。

 彼女が烏の行水であることを願うしかないが、あまりにも不確定要素過ぎる。


「ムカつく………」

「?」


 どうこの危機を乗り越えるかを懸命に考えていると、ふとそんな女の声が聞こえて来た。


「何だよアイツ!何度も何度も話しかけて来やがって!こっちは無視してんだから気付けよ!話したくねーんだよ!デリカシーのねー発言!ありゃセクハラだろ!一発ぶん殴ってやりたかったわ!チクショー………。なんでオレがこんな目に………」


 何やら不満を一人でにぶちまけている様だ。

 

 それにしても………クソみてーな奴も居たもんだな………。

 ………いや、それは俺もか?


 俺も虎に無視されてもずっと話しかけていたし、女と知らずに下の話をしてしまった。


「………と、今は反省してる場合じゃねーな。早く脱出しないと」


 と、言っても現状八方塞がりな状態だ。あの出口以外に脱出できそうな場所もない。

 さてどうすると、再び熟考していると何やら足元でざぶんと言う音が聞こえてくる。


「ざぶん?」


 嫌な予感がして下を見てみればそこには俺の頭から離れてスイスイと泳いで帰るドクタークラゲの姿があった。


「誰かいるのか!」


 空気読めやクソクラゲ!


 結構な音があったのだ。気付かれないわけがない。


 ………つーか、あのクラゲ自分で扉開けて帰ってったんだけど?

 え、そんな器用なことできんの?


 とにかくだ、逆に考えればこれはチャンスかもしれない。

 今のできっと彼女はこっちに向かってくるだろう。

 それならば逆側から素潜りでゆっくりと逃げていけばいい。

 幸いなことに、ドクタークラゲのおかげ扉を開ける必要がない。

 音を立てることもないので上手くいけば気付かれずに脱出できる。


「死に晒せェ!」

「ファ!?」


 だが俺の予想は大いに外れて彼女の声と共に温泉のそこら中が光出す。


「アバババババババババ」


 身体に鋭い痛みが流れて俺は体制を崩す。


「やっぱりお前かこのヤロー」


 やっぱり?

 彼女は俺を知っている?


 顔を確認しようと頭を上げて俺は気を失った。


◇◆◇◆


「……………ま!…………様!フジサキ様!」

「んあ?」


 誰かの呼び声と身体を揺さぶられる感覚に俺は目を覚ます。


「よかった!目を覚まされましたか!」


 身体を起き上がらせると隣には女将と涙目のマホがいる。


「ここは?」

「フジサキ様のお部屋です」


 話を聞いてみれば、どうやら浴場の清掃時間となり浴場に入って来た宿の従業員が露天風呂で浮かぶ所々焼け爛れた俺を見つけて急いで運んでくれたのだとか。


「あ、あの………、一体何があったんですか?」

「あぁ、いや、何もなかったよ」


 無駄ではあるだろうが、一先ずは誤魔化しておく。

 この場合、隠れて様子を伺っていた俺にも責任の一端はある。

 

「絶対ウソですよね?」


 案の定ウソはバレてマホに詰め寄られる。


「それにしても………、従業員からはまるで湯煙サスペンスの様だと伺っておりましたが、流石生死の神、ナトス様の神子様。知の神ティジェフ様の神子様もあれだけの怪我を一瞬で治してしまうとは………凄まじい魔力をお持ちで」

「この世界湯煙サスペンスとかあんの!?」

「えぇ、はい………。と言っても劇や小噺の類いですけど」


 衝撃の真実。

 女将は眉を顰めているが、やはり湯煙サスペンスはサスペンス劇場の定番だろう。


 ………今度誰かと見に行こう。


「あの………、こんな時に失礼なんですけどマウンテンウルフの方は………」

「あぁ、はい。請け負います」


 俺は立ち上がって身体がちゃんと動く事を腕を伸ばしたり肩を回したりしながら確認する。

 外を覗いてみれば、未だ月明かりが望みの真夜中だ。


「随分寝ちまったな………」

「何かお夜食をお持ちしますね」

「あ、お構いなく………」


 女将が部屋を出ていき部屋には俺とマホの二人きりとなる。


「そ、その………、一応怪我は全部治しましたけど、明日本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫だろ。いざとなればお前も居るし!スッゲー魔法でぶっ飛ばしてくれよ!」

「え………あの………はい………」

「どうした?」

「な、何でもありません………」


 気分でも悪いのだろうか?明日までに治っていなかったら俺一人で行こう。

 などと頭の中で考えながら殆ど真っ暗闇の外を見る。


「てーへんだてーへんだ!」


 そんな中、小さな光が大声を上げながら宿に入ってくるのが見えた。


「なんだ?」


 俺はマホに部屋に残ってもらう様に頼み、宿の玄関へと向かう。

 玄関に近づくに連れて何やら話し声が聞こえてくる。


「何かあったんですか?」


 玄関に出ると、そこには女将と岡っ引きの様な身なりの男が慌てた様子で話をしていた。


「フジサキ様!大変なんです!この村のライゾウと言うご老人が帰ってきていないみたいで………」

「ライゾウ?」


「へい。この村の古株でごぜーやす。いつも畑仕事をしてて麦わら帽子被って鍬を手にしてるんで村じゃ有名で」

「麦わら帽子に鍬………?」


 その特徴を聞き、俺はある男が脳裏に思い浮かぶ。

 俺達にこの宿を教えてくれた不思議な老人だ。


「あぁ、その人なら知ってますよ」

「本当でごぜーますか!?」

「は、はい。確か夕暮れに山の方へ………」

「山!?」


 岡っ引きが驚いた様に顔を青ざめて、そのまま外に走り出してしまう。


「何なんだ?」

「あの………山に行ったのは確かなんですか?」


 何が何だかわからないが、俺は女将の質問に頭を縦に振る。


「あの………それがどうしました?」

「先ほどお話ししたマウンテンウルフが出る山は、ライゾウさんが向かった山でして」

「はぁ!?」


 俺は女将の肩を掴み更に問う。彼だって村の一員ならばこの事は知っているはずだ。


「なんで!」

「その………彼の孫娘が先日マウンテンウルフに攫われたんです。もちろん私達も懸命に山の中を捜索しました。でも、あまりにもマウンテンウルフの数が多くて………」

「その、娘さんは?」

「多分まだ生きています。マウンテンウルフは獲った獲物をしばらく生きたまま保管してから食べますから」


 随分悪趣味な魔物だな、と悪態を吐きながら俺はマホを呼びに走る。


「マホ!今すぐ狼狩りだ!気合い入れろよ!」

「うぇ!?は、はい!」


 俺はマホと共に直様来た道を走る。

 辺りは暗いが、昨日フレイアさんに教えてもらった『ライト』の魔法を使い進んでいく。


「や、山って言っても広いですよ?あ、当てはあるんですか?」

「マウンテンウルフってのは人を食うらしい。この山は一本道だったろ?なら道を中心に探していけば見つかるはずだ」

「でもそれなら山には別の動物だって………」

「人を食った動物がなんですぐに殺されるか分かるか?」

「え?えーと………」


 俺の質問にマホを頭を悩ませる。


「自然界じゃあ塩分ってのが不足してるから肉食獣は他の動物を食って塩分を補給する。そんなところで塩分大量接種してて、筋肉もあんまり使わないから肉も柔らかい人間を食ったらどうなる?例えるなら人間は肉食獣にとって塩で下味を付けたサーロインステーキッ!一度食えばもう戻れねぇ」


 つまり、マウンテンウルフはもう人間しか狙ってはいない。

 と、なるならば奴らの活動範囲は人間が行き来するあの一本道に絞り込める。

 ようやく一本道に辿り着いてまず俺は辺りの道を見る。


「!見ろ。足跡だ」


 さっき通った時は暗がりで村の明かりばかりを見ていた為気が付かなかった。


「じゃ、じゃあこの辺りに………?」

「そうだな」


 俺は足跡を追って茂みを掻き分けながら散策していく。

 どれほど経っただろうか。山肌にポツンと開いた穴が一つ見える。


 そして、その穴からは鼻を劈く鉄の臭いが………。


「しない!セーフ!」


 とにかく、誰もマウンテンウルフにバリムシャされてはいないことに安堵しつつ、一度立ち止まって穴を観察する。


「?何か蠢いてる?」

「ちょ、ちょっと見せてください。視覚共有の魔法を掛けますから………」


 マホがアイ・シェア、と呪文を唱えると俺の視界に何故か見ているものと違う物が写ってくる。


「うぉ!」

「あ、あまり動かないで下さい。結構酔うんです」


 言われる通りに俺は何とか動かないように我慢しながら鮮明に見える蠢く何かを見る。

 黒い狼が二匹ウロウロと入り口を歩いている。見張りと言ったところだろう。


「………臭いでバレないよな?」

「ここら辺は銀杏ばかりで狼さんの鼻は効かないらしいです。女将さんが言ってました」

「君本当に緊張しぃか?」


 それにしてはサラッと他人から情報を貰ってるし、結構便利な魔法でサポートしてくれてるし………。


「で、でもどうしましょう?見張りが居たら巣に入れません!」

「強行突破」

「え?」


 相手はただの犬畜生だ。ゴブリンみたいに頭のいいこともないないだろう。


「マホは隠れてろ。ちょっと行ってくる」


 俺は脇差二本を抜いて狼二匹に向かって駆け出す。


「ま、待って下さい!マウンテンウルフは………」


 狼に脇差を振るうと、ガキンと、明らかに動物の肉を斬った音では無い。


「のわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 結局、二匹のマウンテンウルフにあちこち噛み付かれた後に何とか始末できた。


「マウンテンウルフは毛が岩みたいに硬いんです」

「そう言うことは早く言ってくれ………。俺じゃなきゃマジで死んでたぞ………」


 身体中から出た血の水溜まりを眺めながら俺は呟く。

 明らかにこれは致死量だ。


「い、言おうとしましたよぉ………」

「それは………うん、ごめん」


 とにかくだ。これで見張りは片付けた。

 見張りのおかげで倒し方も大体把握できた。


「それじゃあ、行くか」

「は、はい………!」


 俺たちは先が見えない洞窟にいつマウンテンウルフが現れるか、と冷や汗を流しながら慎重に足を踏み入れるのだった。

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